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「スウェーデンの中学教科書----あなた自身の社会」(アーネ・リンドクウィスト、ヤン・ウェステル、川上邦夫訳 新評論)より
スウェーデンで中学生に当たる年齢の子が使う教科書は、やはりすごいと感じさせられた。おそらくこんなことを中学の教科書で書いたら、左翼だのなんだのと大騒ぎになるだろう。 考えてみたら、日本の世論調査で死刑を支持する人の割合は、ヨーロッパでは極右を支持する集団と同じ割合(一般の市民で調査すると、死刑支持者なんてほとんどいない)らしいから、当然日本の教科書も極右レベルなのかもしれない。 で、次の例は、中学生が何かを働きかけたい、と考えた場合にどのように事態が進んでいくか、をシミュレーションした例らしい。 生徒が給食に不満を持つのは毎年のことです.そして、彼らの不満は給食のおばさんに向けられます。しかし、実際のところ、それはおばさん達が悪いわけではありません。彼女らはできる限りおいしいものを作っているのです。必要なのはお金なのです。とにかく、刑務所のほうが学校よりいい食事が出るとテレビでは言っているし新聞にも書かれています。いまや生徒たちはみじめな給食に真剣に立ち向かうことにしました。 数回のクラス委員会での討議の後、生徒たちは三つの重要項目について要求を提出する事にしました 1 給食への予算配分を2倍にすること 2 民主的な投票で決まったお好み料理のトップ20---私達が食べたいのはこれだ 3 使い捨て食器類の全廃 彼らは地元の新聞の投書欄へこれを書いて送りました。それが一連の論争をひきおこしました。多くの大人が生徒を支持しましたが、それより多くの人が批判的で、生徒たちを「甘えた、だだっこだ」と決め付けました。 しかし、生徒たちは保護者会で親たちの支持を得ました。 また、学校職員の支持も得ました。校長は学校事務所の会計責任者に会う機会を作ってくれました。この人が学校給食の総元締めなのです。会計責任者は学校給食がそんなに酷いとは認めませんでしたが、来週にも、これらの要求をとりあげようと約束しました。来年度予算に関する学校行政上重要な会議が開かれることになっていたのです。・・・・ こういうことを教科書で学ぶのである。 その後、生徒の代表が会計責任責任者を訪れて給食費増額要求を出すこと、総合予算案の決定に先立って労働組合の代表との交渉などが書かれている。 日本の教科書でこういう当たり前のことを書いたら「共産主義者が子供に思想を植え付けている」「マルクスレーニン主義の教義に従った教科書」となるだろう。戦争に反対するとマルクスレーニン主義、平和と言ったら左翼。この国は当たり前のことをいうのがおかしいかのようにいう逆立ちの国 また、別のページでは民主主義の実現過程にこのようなことが書かれている。 投票は4年に1回だけです。選挙と選挙の間に私達はコミューンの政治に如何にして影響を与えることができるのでしょう。 人は一人では無力です。何かに影響を与えたいとき、成功を勝ち取るのは他の人々と一緒にやるときです。多くの人々が集まりデモをすれば、統治者はより真剣に耳を傾けようとしますし、マスメディアのより大きな関心もひきつけることになります。大勢が一緒にやれば良い考えが生まれてくるものですし、交渉力も増加し、敬意を呼び起こし、成功への可能性を高めます。 この章の最初に紹介した「若者会館」は、まだ選挙権を持っていないものであっても、成功を勝ち取れることを示しています。ありとあらゆる手がかりを利用し、目的のために懸命に働くことにより、若者たちは彼らを後押しする力強い意見を獲得しました。こうした意見に対しては政治家たちは敏感なのです。(「若者会館」の話は、給食の前に出ていた、似たようなシミュレーション。長くなるので引用しなかった) デモなんてやれば警察がその両側を挟んでサンドイッチにし、交通への妨害を3倍以上にしながら、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と耳をつんざく大音量で、デモ隊の主張が聞き取れないようにがんばり、デモがいかにじゃまなものであるかを宣伝する、そんな国からするとなんだか別世界の話だ。デモをやって「敬意」?民主主義を実践しようとするのはじゃまでご迷惑だと毎日教えられているような国民には意味わかんな~い。誤訳?と言いたくなる。 私は以前、民主主義とはこういう現場からわき上がってくるようなものだ、それでうまくいくんだというようなことを書いた。何となく実現不可能なような印象を持たれた方も多いと思うけれども、そしてスウェーデンと日本が何もかも同じという気もないけれども、こういう方向にもっていくことは可能なのではないか。 日本だと何かというと教育委員会に告げ口して先生を処分してもらう、という形でしか話が進まないが、お上に頼らない限り物事を解決できない国民作りをするかどうか、この中学生あたりの教育から分かれていくのかもしれない。 ほかにも、男の子と女の子のあり方、青少年の犯罪に対する態度など、あまりに違いすぎる。なかなか面白い。 スウェーデンというと、過去には断種なのではないか、ナチスと同じなのでは、といわれた問題があって、その見かけと実像の差が話題になった。 またスイスなども、過去の歴史を見ると、こんな国なのか、と思うところもそれなりにある。 たとえば、有名な「民間防衛」という本などは、敵のスパイのやり口はこうだ、などと読んでいたら恐ろしい本だ。60年代につくられたもので、冷戦時代は若干妥当したかもしれないが、90年代は軍備の完全廃止の国民投票で30%を超える支持を得るような国に変わった(最近も行われたが残念ながら911のあとで、むしろ割合は下がったらしい、それでも軍隊のないスイスを目指す会の若者たちは日本の9条を一つの理想としてがんばっている。日本が9条の旗を降ろすと、グリーンがどこかわからなくなるかも)。 なお、先日スイスからの留学生に「民間防衛」って知ってるかと聞いたらもちろん知らなかった、中身を言うと大笑いしていた。 これらの国は着実に進歩している。 そういえば、スウェーデン写真クイズなんてやったっけ? 一方日本はどうか。戦後与えられた憲法はまだぶかぶかの服のままだ。最近は袖が、裾が長すぎるから、この服を脱ぎ捨てて、窮屈な軍服に着替えたいという人が多いらしい。戦後すぐなら理解できなくてもやむを得ないだろう、その後何年もあったのに全然成長せずか?大人の服が似合う程度にまで成長することもできなかったのか?子供用軍服を着て戦争ごっこか? がんばろう、ワールドカップで勝つより、こちらで勝った方がよっぽどすごいぞ。
by luxemburg
| 2006-06-21 18:45
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