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泉皇女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
泉皇女
時代 飛鳥時代 - 奈良時代
生誕 不詳
薨去 天平6年2月8日734年3月17日
別名 泉内親王
位階 二品
父母 父:天智天皇、母:忍海小竜娘色夫古娘
兄弟 弘文天皇建皇子川島皇子志貴皇子大田皇女持統天皇御名部皇女元明天皇山辺皇女明日香皇女新田部皇女大江皇女泉皇女水主皇女
斎宮 文武天皇5年2月16日701年3月29日) - 慶雲3年(706年
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泉皇女(いずみのひめみこ)は、天智天皇皇女。母は天智天皇の後宮女官である宮人(めしをみな)、色夫古娘(しこぶこのいらつめ)で、同母兄姉に大江皇女川島皇子がいる。伊勢斎王

経歴

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文武天皇5年(701年)2月16日に斎宮に卜定される。翌2年(702年)1月17日、新しく設けられた斎宮頭斎宮寮の長官)に、従五位下であった当麻真人橘が任命された。これ以降、斎宮頭には、従五位下に相当する位の官人が任命されることとなった。慶雲3年(706年)閏1月28日に泉皇女は伊勢へ下向する。同年の8月5日には、新たに田形皇女が斎宮に卜定され、泉皇女は退下した。霊亀元年(715年)1月11日に帰京後、三品に叙せられていた泉皇女は、封戸100戸を加増された。その後、時期は定かではないものの二品に叙せられた。天平6年(734年)2月8日に死去。

血縁

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