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曦子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曦子内親王
第88代天皇准母
皇后 宝治2年8月8日1248年8月27日
仙華門院
院号宣下 建長3年3月27日1251年4月19日

誕生 元仁元年(1224年
崩御 弘長2年8月21日1262年10月5日
父親 土御門天皇
母親 源有雅
役職 伊勢斎宮
内親王宣下 寛元2年12月16日1245年1月15日
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曦子内親王(ぎし(あきこ)ないしんのう、元仁元年(1224年) - 弘長2年8月21日1262年10月5日))は、鎌倉時代皇族土御門天皇皇女。生母は源有雅(大宮局)。伊勢斎宮後嵯峨天皇准母皇后宮、のち女院院号仙華門院(せんかもんいん)。

生涯

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寛元2年12月16日(1245年1月15日)内親王宣下、異母兄後嵯峨天皇即位に伴い、同日21歳で斎宮に卜定。同3年8月13日(1245年9月5日)、左近衛府初斎院入り、同年9月17日(10月9日)野宮へ移る。同4年1月29日(1246年2月16日)、後嵯峨天皇譲位により、群行せず退下。宝治2年8月8日(1248年8月27日)、後嵯峨天皇准母として皇后冊立建長3年3月27日(1251年4月19日)院号宣下、仙華門院と称する。弘長2年8月21日(1262年10月5日)、39歳で崩御

参考文献

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  • 芳賀登 他 監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1998年、p. 603