コンテンツにスキップ

大原内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大原内親王
時代 平安時代初期
生誕 不詳
薨去 貞観5年1月19日863年2月10日
父母 父:平城天皇、母:伊勢継子
兄弟 阿保親王高岳親王巨勢親王上毛野内親王石上内親王大原内親王叡奴内親王
斎宮 大同元年11月13日806年12月26日)- 大同4年4月1日809年5月18日
テンプレートを表示

大原内親王(おおはらないしんのう)は、平城天皇の第3皇女。母は宮人の贈従三位・伊勢継子(正四位下木工頭・伊勢老人の娘)。高岳親王の同母姉妹。伊勢斎宮

生涯

[編集]

大同元年(806年)11月13日、平城天皇の斎宮に卜定され、同2年(807年)8月24日に野宮入り、同3年(808年)9月4日に伊勢に群行したが、翌4年(809年)4月1日には、平城天皇の譲位により半年余りで退下した。弘仁元年(810年)叔父・嵯峨天皇から、近江国播磨国備前国の穀800を賜る。同年、薬子の変により同母兄弟の高岳親王が皇太子を廃された。清和天皇(嵯峨天皇の曾孫)の治世になった貞観5年(863年)正月19日、無品のまま死去した。

参考文献

[編集]