情報学 | 2007/02/15
規範はいったん記述するとあたかも例外なくしたがわなければいけないように思えてしまうのですが、規範の全体像はそういうものではありません。規範を「価値基準の対立」としてとらえていくとはどういうことか、基本的な考え方を解説します。
○記述された規範と全体としての規範
(a) 記述された規範
規範を「~してはいけない」という形で記述すると、それは例外なくしたがわなければいけないものとして理解されます。一つでもそれを認めれば、他の状況でも認めることになってしまうとも言えるでしょう。 (カントの定言命法はこのことを指摘するものです)。
(b) 全体としての規範
ところが、こうした(記述された)規範は無数にあり、それは相互に対立します。本来、規範の全体は、こうした対立の全体として理解されるべきです。ただし、こうした規範の全体はどうやっても記述することができず、記述した瞬間に(a)の集まりになってしまいます。
○価値判断の主体と価値基準
規範がこのように成立しているとすると、それぞれの状況で価値判断をするのは誰なのでしょうか。
価値判断の主体は、問題の性質によります。 たとえば、「<私>についての問題」なら判断する主体は<私>です。 「<社会>についての問題」なら判断する主体は<社会>です。こういった価値判断の主体は「価値基準」と言うこともできます。これらは前述の(b)に対応するものと言うことができるでしょう。
○さまざまな価値基準
価値判断の主体としては、大きく<心>と<社会>があると言えますが、<社会>というのは、さまざまなレベルでのコミュニケーションのつながりを含むもので、家族、地域、企業、大きなところでは国家としての視点があります。「判断する主体が<社会>」というのは奇妙な言い方ですが、要するに、「法律で決まってるからダメなんだよ!!」「とにかく規則なの!!」っていうアレです(笑)。 それぞれの<社会>の歴史において、規範が決められていくわけです。また、「法的な価値判断」「経済的な価値判断」「○○主義」といったものも価値判断、価値基準の主体の一種と言えるでしょう。
こういったことは、前述の(b)だけではなく、(a)についても常に成り立ちます。「~してはいけない」というとき、それは<心>や<社会>における部分的な価値判断の主体であり、価値基準です。(a)-(b)の分類は、価値判断の主体、価値基準についての分類でもあります。
○価値基準の共約不可能性
ここで、異なる価値基準のうちどちらが優れているというようなことを、特定の価値基準によらずに決めることは一般にはできません。価値基準を優劣を決めるのはまた価値基準だからです。こういう価値基準の関係は、一般には「共約不可能性」などと言われたりします。倫理の問題は、こういった「共約不可能な価値」の対立としてまとめられます。
○システムと規範
以上、システム論的な説明は一切行わず、倫理学的な問題関心にしたがって規範について説明してきましたが、これは、システム論における規範概念を前提にしたものです。
このメモで「価値基準」と述べたものは、情報学的システム論ではシステムです。ここで、システムは情報の集まりであり、次々に情報が生成していくものです。たとえば、心というシステムには次々に私にとっての現象としての情報が立ち現れるのであり、社会というシステムにはコミュニケーションという情報が生成していきます。ここで、どのような情報が生成するのは、そのシステムの全体、システムの歴史性のようなものによって決まります。ここで、「どのような情報が生成しやすく、どのような情報が生成しにくいのか」という観点からとらえられたシステムの構造が、システムの規範と言うことができます。規範について考えるとは、システムについて考えることにほかならないわけです。
その上で、冒頭の(a)と(b)の関係は、システムがどう立ち現れてくるかという、システム論の議論を表現したものです。伝統的なシステム論の用語法だと(a)がシステムの構造で、(b)がシステムの構成です。同じことですが、情報学だと(a)が存在的情報で、(b)が本質的情報とも言えます。
規範には、道徳規範だけではなく、言語や、一人の人間の行動基準のようなものも含まれます。たとえば、「めらめらとした熱いものに触ってはいけない」というのは、その人にとっての規範と言えるでしょう。また、それが社会における共通了解になっているのなら、社会における規範とも言えるわけです。したがって、情報学における規範概念は一般的な規範概念よりかなり広い概念です。
/////
以上、かなりラフに、情報学における規範のとらえ方について説明しました。社会におけるさまざまな意見の対立、価値基準の対立は、このことから理解されます。
○関連記事
価値基準の対立関する具体的な問題について議論した記事に、以下のものがあります。
著作権とは何なのか?―共約不可能な価値の対立の問題として
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_2a2d.html
○関連サイト
http://petarou.blog42.fc2.com/blog-entry-135.html
http://albatros2.blog27.fc2.com/blog-entry-404.html
固定リンク | コメント(2件) | トラックバック(1件)
わざわざありがとうございます。
これからもいろいろ勉強させていただければと思います。
なんでお前が『ヘーゲル哲学研究』は紹介して、あれは紹介しないんだ、という電波を受信しましたので、とりいそぎもう一冊。現代カント研究、節目の一冊です。 カント研究会『現代カント研究10 理性への問い』御子柴善之・...... 続きを読む
漫画版「風の谷のナウシカ」のラストについて
に対する
進撃のナウシカさんのコメント
「風の谷のナウシカ」について補足
に対する
異邦人さんのコメント
世界の情報量は求められるのか? (2011/02/19)
WEBRONZAのホメオパシー騒動とメディアの問題 (2011/02/11)
クリスマスという記号 (2010/12/24)
書評:マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』について (2010/12/07)
社会学玄論がダメな理由―相対主義の怖い罠 (2010/09/04)
「院生の天窓」の管理者のものです。拙ブログにトラックバックいただき、ありがとうございました。そればかりでなく、関連サイトとして紹介いただき、誠に光栄であります。
もろもろの規範相互の対立や、価値判断の主体間の対立の問題は、「定言命法」のカントにおいてはかなり難しい問題で、そこからカント倫理学の不備を指摘されたりすることもありますので、たいへん興味深くこの記事を拝読いたしました。サブシステム―システムという観点は、黴臭い学問をやっている私には新鮮でした。参考にさせていただきます。
これからもまたお邪魔したいと思います。気が向きましたら、拙ブログにもおいでくださいませ。