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光の粒子? 色素の粒子?

私は根っからの文系人間なので、タイトルのような言葉には無縁の生活を送っているのだが・・・

「光」で考え込んでいるのは、息子の言葉。2歳くらいの、まだ言葉もロクにしゃべれなかった頃、彼はよくアイスコーヒーにミルクを入れるのを見て「カーテン」と言っていた。あの、ミルクが小さな渦を巻きながら沈んでいく様子が、カーテンが風にひらめく感じに見えるのかな、とずっと思っていた。

しかし、一年ほど前だろうか、あれは、朝カーテンを開けた時に、部屋に光が差し込んでくる様子だと言うではないか! これには、本当に驚いた。コーヒーが闇の部分で、ミルクが光だと、はっきり言うのだ。彼には、光の粒子の動きが見えているのだとしか思えない。そういえば、色彩の微妙な差異にもうるさい人で、とても小学生とは思えない渋い(濁っている、というのとは全然違う)色彩で絵を描いたりするので、光と色の人なのだろう。我が息子ながら、凡庸な母には想像するしかない。すまぬ。

そんな私も、最近、通っているデッサン教室で水彩に挑戦するようになった。木炭でのモノクロの世界でも、光と影の濃淡の深みにはまっていたというのに、色彩あふれる迷宮にまよい込んで、いささか困っている(笑)。

Photo_3モノクロ時代の総決算?となった、この水牛のしゃれこうべは、プラスチックの模型ではなくて本物だったので、眼窩の中や眼の下の表面の質感など、興味深く観察しながら描いた。某解剖な方にもお褒めの言葉を頂戴したが、歯科な方でもあるその人には、「歯は適当に描いただろう」とズバリ言われてしまった( ̄◆ ̄;) 。リンゴがチャーム・ポイントだと自負している。

Photo_4そして、水彩の第一作目がこれだ。 この、なんということのない静物だが、問題は机の色。よく会議室においてある、あの長方形の机なのだが、師匠曰く「単に茶色っていうだけじゃないでしょう。よくよく見てみると、紫っぽい色も混ざっているよね。そういう所までよく見て塗らないと、物と机とがバラバラになっちゃうから」と。

「ええ~」と思ったが、茶色に紫を混ぜて塗ってみると、確かに落ち着いた感じになった。

Photo_6 しかし、水彩第二作目の、この剥製。まだデッサンの段階だが、 この鳥は、お腹が白く、背中がブルーグレー。「あの綺麗なブルーを表現できるといいね。あとは、止まっている木なんだけど、あれも茶色の濃淡だけじゃないでしょう」と先生。「影の濃淡も、っていうことですか?」と私。「もちろんそれもあるけれど、あの鳥のブルーが映ってきて、青っぽい色も見えるよね」「ええっ、すみません、私にはあの中に青色は見えない~」「いや、よーく見てください。茶色だけじゃない、いろいろな色素が見えてきますよ。」

お腹が青いのなら、まだ解るけれど、どちらかというと、お腹の白に、木の茶色が映る感じなのではないだろうか・・・・と困惑してしまうが、この師匠も光と色の鬼(笑)なので、私などには到底理解の及ばない、色の粒子が見えているのだろう。

センスというものは、努力は当たり前のことで、その先にあるものだと痛感する。事業仕分けに代表されるルサンチマンの蔓延している昨今、謙虚に受け止めたいものだ。(2010/10/30)

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