学問・資格

ハイネの『抒情的間奏曲』とシューマンの《詩人の恋》





先週の土曜日のことになりますが、日本独文学会春季研究発表会での口頭発表、終了しました。

今回の題目は、以下の通り。

「詩人・ハイネ再考 ーー 『歌の本』と《詩人の恋》を手がかりに ーー」

そう、ホフマンスタールでもR. シュトラウスでもなく、ハイネとシューマンでの口頭発表でした。





これまで、ブース発表という、発展途上の研究で確たる結論を出すことも求められず、意欲さえあればそれを認めてくれるという、何とも太っ腹というか大らかなカテゴリーでは、ハインリヒ・フォン・クライストとゴットフリート・ベンについて喋ったことはありました。でも、長年連れ添って来た(?)ホフマンスタールとシュトラウス以外での、きちんとした研究発表は実は今回が初めて。

当初はあまり音楽に踏み込む予定ではなかったのですが、実際にはかなりの部分、音楽面での考察に紙幅を割くことになりました。それは、受容するために作品そのものが求めているものを明らかにしようと奮闘した結果のことでしたが、オペラならともかく、歌曲はやはり言葉と音楽が不可分で、どちらか一方だけでは駄目だということを痛感する良い機会になりました。





独文学会だったので、「そんなに音楽のことばかり扱って意味があるのか」と突っ込まれるかとも思ったのですが、それも杞憂に終わり80部用意した資料もまさかの完売。院生時代の先輩からは「とても説得力があって、これまで感じていた疑問が解消した」というコメントと有益なご指摘・ご質問を頂きました。そして何より、ハイネの専門家の先生に「新鮮でとても面白かった」と身に余るお言葉を頂戴したことが、本当に嬉しく、胸を撫で下ろしたのでした。

懇親会でも何人かの方にお声を掛けていただいたのですが、そのようなわけで結構音楽に割いた時間が多かったのにも拘らず、正しく「ハイネのイロニー」についての研究発表だと受け取って頂けたようで、そのこともホッとしました。

《詩人の恋》を扱いたいと一度は研究計画書まで書いたのは、もう20年前(!)。ほどなくしてホフマンスタール/シュトラウスでひっそりと音楽業界にデビューする機会を頂いたため、ハイネ/シューマンはそれきりになってしまっていたのですが、それでも文献を見かければ手に入れ、確実に書棚の一角を占め続けていました。そんな《詩人の恋》での発表を、自分の一番のフィールドである独文学会で聴いて頂けたことが、とても嬉しかったのです😌



(文学史の中での位置付けの確認は、やはりこの本に立ち返ってしまいます。)


今後とも研究を続けて行きたいと思えたのが、一番の収穫でしょうか。もう少しこの2人を追いたいと思います。聴いてくださった方たちに感謝いたします。
(2018/05/30)

【追記】
懇親会に出るとレアな日本酒があるそうですよと、後輩くんに耳打ちされて参加w
そのレアな日本酒というのは、早稲田大学独文科の卒業生が杜氏をしている蔵のものだったのだそうです。私好みのコクのあるお酒でした(⌒▽⌒)


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R. シュトラウス・シンポジウム論考集 御礼



(会場だった関西大学千里山キャンパス第一学舎)


昨年2015年5月31日に日本独文学会春季研究発表会で行ったシュトラウス・シンポジウム。その成果としてまとめた日本独文学会研究叢書を、10月22、23日に関西大学で開催された秋季研究発表会で配布しました。約200部あったものが、残ったのは何とたったの33部でした。



(右端のうす緑色のが私どもの叢書)


これで漸く、構想から数えると足かけ2年半のシュトラウス・シンポジウムに一区切りが付きました。しかも、望外の上首尾で。

評判というものは、意外と当事者の耳には直接届かないもので、ずいぶん経ってから「あのシンポジウムはすごく評判良かったですよね」と言われて「えっ、そうなんですか!? そうだったのなら嬉しいです」と、謙遜でも何でもなく本当に驚いたこともあったくらいです。それが今回、このように目に見える形で結果を出すことができて、自分でも意外なほどホッとし力が抜けて、その晩はいい気分で酔っ払ってしまいました(笑)。



(最終的な残部はこの33冊!)


正直に言えば、これまでは(今でもですが)決して平坦な道のりではなく、「こんな研究は意味がない」というような厳しいことを言われたり、心ない言葉で揶揄されることも少なからずありました。迎合したほうがよほど楽ではないかと、挫けかけたこともあります。でも不思議とその度に新しい出会いがあったり、別の機会への手を差し伸べられたりと助けられることが多く、何とか自分の思う道を歩んで来ることができたのです。

そのようにして細々と続けてきた研究をまとめたものが、これだけの部数捌けたということは、言うまでもなくそれだけ興味を持って頂けたということで、私の方向性は決して独善的でもなければ、間違ってもいなかったということなのだなと、心底安堵し、じんわりと喜びを噛み締めています。

もちろんこれは私などの力ではなく、演劇学の北川千香子さん、音楽学の広瀬大介さん、声楽家の望月哲也さんという(アイウエオ順です! 偶然シンポジウムでの発表順でもありますが…笑)、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの、名実ともに日本を代表する優秀な研究者・音楽家のお陰に他なりません。私などの呼びかけに快く応じてくださって、どうもありがとう。この顔ぶれが決まった時は、「私にできるんだろうか?」と震える思いも実はありました(告白)。でも皆さんのお陰でとても明るく楽しく、常に前向きな雰囲気で準備を進めることができて、この経験は一生のお宝です。



(左から、北川・望月・広瀬の各氏)


そして、私にこの機会というか指令を与えてくださった武蔵大学教授(今や副学長!)である光野正幸先生、この、漬け物石のように頑固でいつまで経っても不肖の弟子である私を、今もってお引き回しくださって、本当にどうもありがとうございます。少しはご恩返しができたようなら、とても嬉しいです。



(宅急便で送り返す覚悟もしていたのが、小ぶりのエコバッグでお持ち帰り可、という嬉しい結果に。)


そして、関心を持って昨年のシンポジウムを聴きにお出でくださった方々、今回の学会会場で研究叢書を手に取ってくださった方々に心より感謝申し上げます。
(2016/10/25)

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【日本独文学会会員および関係者のみなさま】





写真にあります、日本独文学会研究叢書115、本来であれば明日28日と明後日29日の春季研究発表会期間中に会場の獨協大学でお配りする予定でしたが、印刷会社側のミスによる落丁があったため、現在刷り直し中です。明日明後日には間に合わないそうなので、学会側のご配慮により変則的ではありますが、10月22、23日に関西大学で行われます秋季研究発表会会場でお配りすることとなりました。

ご迷惑をおかけいたします。刷り直したものの納品は近いうちになされると思いますので、執筆者の方々にはお送りできると思います。
(2016/05/27)

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2015年最後の大仕事。

2015年もそろそろおしまい。という書き出しの前エントリで話題に挙げた、R. シュトラウス・シンポジウムの成果を形にする日本独文学会研究叢書。無事、18日に原稿を発送しました\(^o^)/。執筆者と論文タイトルは以下の通りです。








今回はオンライン入稿ではなく、完全原稿をプリントアウトした原版を入稿しなければならず、つまり原則として、提出したものがそのまま印刷されるため、自ずとプレッシャーもかかりました。プリンタの状態やインク切れの心配をしたのは、おそらく修士論文の提出以来だった気がします(笑)。

そんな中でも、SNS内に作った学会シンポ打ち合わせ用のグループで頻繁にやり取りができたため、ずいぶん励まされ癒されましたし、このメンバーだったからこそ頑張れたのだと思います。改めて、北川千香子さん、広瀬大介さん、望月哲也さんの三氏と、そして何よりもシンポジウムのきっかけを作ってくださった光野正幸先生にお礼を申し上げたいと思います。



(郵便局で原稿を発送したあと、その足で行きつけのカフェで乾杯!)


そして…これだけでも充分大仕事だったわけですが、実はそれと並行してCDリリースのための作業も行っていました。本来は、このCDの仕事が私の手を離れるのは11月中のはずだったのですが、諸般の事情により押せ押せになってしまい、完全に研究叢書の原稿執筆・編集作業と同時進行になりました。自分は無事に年を越せるのだろうかと気が遠くなるほど大変でしたが、この修羅場をくぐり抜けたことで、もう大抵のことなら動じないような気分になっています(苦笑)。





いつも朗読コンサートのチラシやプログラムをお願いしているオフィス・ルーチェの相澤久仁子さんに、このCDジャケットのデザインもお願いしました。いつもながら素敵なセンスで仕上げていただいて嬉しいです。本当にお世話になりました。また、CDリリースのご提案をしてくださった、朗読家・フリーアナウンサーの秋山雅子さんにも今年はいろいろなサジェッションをいただきました。どうもありがとうございます。





CDについては、年が改まってから本格的にご案内するつもりでおりますが、嬉しいことに既に何件かのお問い合わせとご注文をいただいており、発送作業も進めております。CDの内容は、6月28日に行った Stimme vol. 3同じ構成です(ライブ録音ではありません)。もしご興味を持ってくださった方がいらっしゃいましたら、

[email protected]

までどうぞ。2枚組3,000円です。





それでは皆さまもどうぞ佳いお年をお迎えください。
(2015/12/30)

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R. シュトラウス・シンポジウム論考集

2015年もそろそろおしまい。今年は本当にいろいろなご縁に恵まれ、多くの実りある仕事をさせて頂いております。

5月に日本独文学会の全国大会で行ったR. シュトラウス・シンポジウムは、私の積年の念願が、自分として考え得る限り最高の形で実現した大舞台でした。改めて関わってくださった方たちに心から感謝いたします。



(広瀬・望月両氏による本番前の音合わせ)


そして現在、この成果を形にするべく、シンポジスト一同論文作成に励んでおります。日本独文学会の研究叢書として、ISBNの付く正式な刊行物となります。



(若き才能!)


世に出るのは来春になりますが、締め切り間際のこの苦しい状況のなかでも、懐かしく盛り上がったりしています。今回、私は編集責任者でかなりあたふたしているのですが、広瀬大介さんのキャラクターに癒されております(笑)。思えば、このシンポジウムも広瀬さんの気配りでとてもスムーズに進行したのでした。私一人では、とてもあのように好ましい形でまとまらなかったと思います。



(右端おじゃま虫^^;)



(発起人?の光野正幸先生を交え、シンポジスト顔合わせの一コマ)


素晴らしい仲間に恵まれたこと、何ものにも代えがたい一生の宝です。どうもありがとうございました。
(2015/12/14)

【ボーナストラック】
意気投合するシュトラウス研究者とシュトラウス歌い。もっちーに「ねえ、撮って撮って」とせがまれた一枚(笑)。


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レクチャー・コンサート Stimme vol. 4のお知らせ





学会発表も終わり、いよいよ次はStimme vol. 4レクチャーコンサートです。「学会発表も終わり」と書きましたが、実は鹿児島での発表と今度のレクチャーとは連動しています。言わば、タイアップ企画というわけです(笑)。

病理解剖医であったゴットフリート・ベンと、医学を志し勉強を始めたものの戦争によって志半ばにして中断を余儀なくされたパウル・ツェラン。この二人の、人体への向き合い方には大きな差異があり、そこが非常に興味深いところです。

グロテスクな描写に潜む抒情性を呈示できればと思います。

出演者は、ご覧の通りです。





今回は、いつもご出演頂いている東京都交響楽団団友の中山良夫先生に加え、オーケストラ・リベラ・クラシカやバッハ・コレギウム・ジャパンでもご活躍の山形交響楽団首席ヴィオラ奏者・成田寛氏をお迎えします。豪華でレアな演奏をお楽しみ頂けること請け合いです!


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レクチャー・コンサート Stimme vol. 4
「二台ヴィオラと繙く現代ドイツ詩の世界」

【第一部】
レクチャー
鼎談・対照的な詩作を腑分けする
ーー 現代ドイツ詩を代表するベンとツェラン
野口方子(ドイツ文学)/三ッ石祐子(ドイツ文学)/山口康昭(解剖学)

【第二部】
朗読コンサート
独日朗読とヴィオラの対峙

【演目】
ベン:《モルグ》より
ヒンデミット:無伴奏ヴィオラソナタ Op. 25-1
ツェラーン:《糸の太陽たち》
イサン・ユン:《コンテンプレーション》(1988)
ツェラーン:《声たち》
バッハ:無伴奏チェロ組曲第四番 BWV1010
ツェラーン:《死のフーガ》
ブリッジ:《ラメンテ》(1912)

【日時】
2015年11月8日(日)
13:45開演(13:30開場)

【会場】
慶應義塾大学三田キャンパス北館ホール

【料金】
一般:3000円
学生:無料

【出演】
野口方子(翻訳・訳詩朗読)
三ッ石祐子(翻訳・原語朗読)
中山良夫(ヴィオラ)
成田寛(ヴィオラ)
山口康昭(解剖学)

【主催】文化工房シュティンメ

【お問い合わせ】 [email protected]

【後援】
国際芸術連盟

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日本独文学会@鹿児島大学



(鹿児島大学の歓迎立て看板)

10月3日、日本独文学会の秋季研究発表会(全国大会)で発表をするため、鹿児島大学へ行きました。心配された爆弾低気圧も支障なく、予定通りの快適フライトでKOJに到着、桜島も穏やかで美しい姿を見せていました。


(鹿児島大学のゆるキャラ二体...違)


(今回の演題)

今回の発表テーマは、これまでの私とはガラリと変わって、Anatomie (anatomy)です。私は病理解剖医であったゴットフリート・ベンの抒情詩《モルグ(遺体安置所)》について、ベン自身の詩論『創作の告白』を手掛かりに、創作をする際のベンの対象との向き合い方、言葉の持つ意味などに触れつつ報告を行いました。既訳では漠然として内容がよく判らない部分が多いため原文に当たってみたものの、やはりよく解らない。これはやはり医学的な知識がないとベンの描いたことが理解できないのではないだろうか?という疑問が出発点でした。


(今回の共同演者)

「ドイツ語ではこんなようなことが書いてあるのだけれど、臓器の位置関係や解剖の作法が解らないと、グロテスクな描写の中に潜むベンの抒情性も解らないのではないか。」

実際、解剖学者にそれらの疑問をぶつけ、レクチャーを受けながら読み返してみると、改めて解剖医であったベンの詩人としての、そして科学者としての透徹した視線を再発見した思いがしました。ベンが観照していたであろう光景が鮮やかさを増したように感じたのです。

そして、解剖学者の意見をききながら改訳を試みたものを、既訳とともに会場でお配りしました。その「再発見」をどこまで反映できたかは、まだまだ推敲の余地があるのは無論のことですが、発表後にお話しに来てくださった先生がたに概ね好評で、ほっと胸をなで下ろしました。生野幸吉先生の既訳にある意味挑むという、大胆な試みであっただけに、「ベンがどういうことを描いているのかがよく解りました。これは一つの成果ですよ」と言っていただき、嬉しかったです。


(ここのお店は、肝吸いではなく肝味噌汁!)

発表の後は、鰻で昼ビー。コップ焼酎が170円という天国のような(笑)。その後、白熊も制覇。


(これでベビーサイズ。)

今回の発表ではもちろん課題も新たに見つかり、それを宝として今後に繋げたいと思います。
(2015/10/04)

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