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2011年8月 5日 (金)

内田樹先生の「ネット上の発言の劣化」に子飼氏の「必読!!! 情報をピックアップする物差しは受信側にある。」当てているのはナンセンス。論点が違うかな。

 以下のTweetに反応。 

“僕は内田さん派ですね。RT @BYRONYUKI: 必読!!! 情報をピックアップする物差しは受信側にある。RT @JETSET_CEO これ子飼さんが完全に論破してたような→ http://bit.ly/qo4gAs RT @tsudahttp://htn.to/bFAjDh 
RT by finalvent from SimplyTweet

 内田先生のブログエントリーのタイトルを受けて、言論の自由と、人が公共でどうあったらよいかという問題提起も含んでいる部分として「根拠を示さない断定や、非論理的な推論や、内輪の隠語の濫用や、呪詛や罵倒は、それ自体に問題があるというより(問題はあるが)、それを差し出す「場」に対する敬意の欠如ゆえに「言論の自由」に対する侵害として退けられなければならないのである。」という言及がある。 
 子飼氏の主張は、「発言の劣化」そのものについてではなく、「言いたい事を言わせる者だけが、言いたい事を言えるのだ」にありそうだ。ここで、論点が噛み合わない。 
 この「言いたい」の部分に、「人が公共でどうあったらよいか」という内田先生の文脈を付け足すと道理が通る。 
 もし、子飼氏の主張する「言いたいこと」が、何を言っても自由であるという考え方の基に成り立っているとすれば、言い方を変えれば、「何を言ってもよい」となるのでは? 
 公共の場では、それでは無秩序になる。例えば、子飼氏の文脈を借りると、「何でも言わせたくない者は、言いたいことを差し控える」となる。これが変だと思わなければ話しにならないが、言論の自由とは違う文脈であると思う。 
 どちらかというと、目には目を、歯に歯をの部類。 
 両ブログを何度か読んで、子飼氏の反論の論点は、内田先生のタイトルの文脈とは違うという結論に達した。 

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