イメージと思考を結びつける
イメージと思考との関係について考えることが好きだ。
言葉にならないものをイメージで表現するといったりする。もちろん、イメージを使えば言葉と異なる表現ができるのだけど、だからといって、イメージが表現しているものを言葉で説明することを怠ったりするのは、あまり好きじゃない。イメージを表現に使うにしても、その背後には思考があってほしい。とうぜん、それが言葉による思考である必要はないし、思考をイメージで表現するのではなく、イメージによる表現自体が思考であればいいのだけれど、そもそもの思考がないなら、それは好みではない。
むしろ、言葉にならないものを表現しているからこそ、イメージそのものが表すものについては、言葉で表現されたもの以上に言語化する方向で思考を巡らせたほうが面白いはずだ。
田中純『歴史の地震計』中の図版「ムネモシュネ・アトラス」のパネルの1枚
だから、アビ・ヴァールブルクの『ムネモシュネ・アトラス』という971枚の図版が総数63枚の黒いパネルに配置された作品(?)を言語化する田中純さんの試みには、繰り返し惹かれている。
例えば、『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』という本を読んだのは、2008年の7月だから10年弱経っている。そして、つい最近も『歴史の地震計』を読んで、いろいろ興奮させてもらったばかり。
その本で、ヴァールブルクの『ムネモシュネ・アトラス』はこう紹介されている。
まず、『ムネモシュネ・アトラス』の概要を説明しておこう。
「ムネモシュネ」とはギ…