知力とは、わからないことをどれだけ考えられるかという度合い

前に、友人のフランス人女性が言っていた「日本語には美味しいを示す言葉のバリエーションが少ない」という言葉が記憶に残っている(正確には、その女性がそう言っていると彼女のパートナーの日本人男性が教えてくれた)。


Ca a l'air tres bon.


一方、フランス語には、美味しいを表すたくさんの表現があって、例えば、
  • C'est bon !
  • C'est délicieux !
  • C’est succulent !
  • C’est excellent !

のような表現がある(日本語にしようとしても、どれも「美味しい」になってしまいそう)。
もちろん、これに très をつけて、C'est très bon !(とても美味しいです)と言ってみたりもするから、確かに日本語にはない「美味しい」の言い分けのバリエーションができる。

「美味しい」という言い方にバリエーションなんてなくてもいいじゃないかと思うかもしれない。けれど、そうじゃない。
フランスで食事をしてると店の人がほぼ必ずといっていいくらい、食中、食後によらず「美味しいか?」「美味しかったか?」と訊いてくるから、こんな風に表現のバリエーションがあるのは役に立つ。

その意味では、日本人がフランス人に比べて味の違いがわからないという話ではなく、こんな風に食べた感想を言う場面が日常的に多くないというのも、表現数の違いには関係しているのだろうと思う。
区別する価値があるからこそ、区別をするのだ。

さて、ここで思うのは、「1.違いを感じとれる」ことと、「2.感じた違いを表現する」ことという2つの能力が物事を捉えるためには必要になっていそうだということである。

そもそも味の違いが感じとれなければ、違いが存在するということすら、わからないんだろうけど、問題なのは、なんとなく違うかもと感じかけたのにその違いにちゃんと向き合わず、スルーしてしまうことだ。
もちろん、ここで言ってるのは、味の違いがわかるようになろうという話ではなく、より一般的な意味で「わかるようになるには?」ということを考えているのだ。

さあ、ということで、「わからない」という状態をいかに「わかる」に変えるかということについて考えてみたい。

わからない状態からわかるという状態へ移行するからこそ意味がある

「あれはわかる」けど、「これはわからない」という風に、わかる/わからないを静的な状態として捉えることにあまり意味はない。
特に、わかっていることをわかっていると再認識したり、わかっているんだと主張することは、自慢以外の意味は感じない。そんなところにばかり、こだわる人は進歩や成長からは程遠い。

静的な状態を捉えることに意味があるとすれば、何をわかっていないかということを認識する場合だ。
ただし、これも、これからそのわからない対象をわかる状態に移行しようとする動的な状態変化の意思があってこそだ。
あれはわからないからいいやといって、わからないまま放っておくなら、やはり、わからないという静的な状態を認識することにも意味はない。



人生とは、わからないものを認識して、それをわかる状態へと移行させる、そのための活動が次々と繰り返される舞台なんだと思う。
そのひとつひとつ活動のスタートとして、自分がわからないものを認識し、そこに注目してみるというのは、最初の一歩として欠かせない。

その際、さっきも味の話で書いたように、味の違いをまったく感じとれなかったとしたら、さすがにスタートはきれない。けれど、どう違うかはわからなくても、なんとなくの違和感(それはポジティブなものでもネガテイブなものでも)に気づけば、それは知的活動への起点となる。

いや、むしろ、そういう違和感に気づくこと以外に知的活動がはじまる場所はないだろう。

そこにある違いをスルーしない

だから、知的活動するためには、まず違いを感じることを大事にすることだ。
大事にすると書いたのは、多くの場合、本当の意味で違いを感じないということはなくて、違いを感じてもちゃんとそれを認識せずスルーしてしまっていることが大部分だからだ。

考えてもみてほしい。
現実世界にどれだけ違いがなく、本当に同じものがどれだけあるかを! 同じものなんて全くないし、同じ出来事なんてほぼ起き得ないのに、僕らは日常それらの違いをスルーしてしまっている。



もちろん、すべての違いに目を向けていたら逆に何も考えられないし、行動が起こせない。だから、僕らはそもそも違いをスルーして、何かと何かを同じものとして扱うようできている。
けれど、それでも新しく何かを「わかる」ためには、日常同じものとしてスルーしてしまっている違いを再度認識しなおさないといけない。何かの拍子に「あれ?」「ん?」と感じたつまずきをさらっと流さないで、その原因に目を向けようとする姿勢が必要だ。

本来の好奇心というのはそういうものだと思う。

創造力ということを考える際に、何かをアウトプットすることのばかりに注目が集まるのは、そういう意味でナンセンスだ。新しいものを構想できなくては創れるはずはない。なのに、構想を生みだすリサーチや研究ということに関心が低いのは、そもそも何が創造を阻むのかということをわかっていないように思う。

自分の感情の動きを「わかる」ための知的活動の起点にする

さて、何かに違和感を感じた時、それがなぜ生じているのかを考えずに、放っておかないこと。自分のなかの違和感の相手をちゃんとしてあげて、その違和感が生じている理由をちゃんと言葉にしてあげること。
それが何かを新しく「わかる」ようになるための基本姿勢だと思う。
リサーチ力というのは本来、この自身の感情の変化にどれほど敏感になれるかということである気がする。

違和感といったが、逆でもいい。
自分のなかに芽生えた、これ、いいな、好きだなという感情についても、単にいいな、好きだなと思うだけでなく、なぜ、それが生じたのかを言葉に変換してあげること。

そういう自分のなかに生じる感情の動きを、ちゃんと大切にしてあげて、それを何かしら自分の腹落ちする言葉、説明に変えてあげるということを日々繰り返してみること。
実は「考える」ということが得意になるか、不得意になるかは、そういうことを日常的にどのくらいやれているかということなんだと思う。



感情を言葉へと変換する際、感情を動かしたものを単独で考えても、それをなんと言って良いのかは見つかりにくい。
だって、それは未知のものであり、人間は未知のものを直接には考えることはできないからだ。人間は既知のことしか考えられない。だから、未知について考えるためには既知のものを媒介にする必要がある。

キメラ的メタファーを用いながら未知のものを言祝ぐ

そう。既知のものと未知のものを比較するのだ。

けれど、それは単に決まった枠組みのなかにマッピングすることでは必ずしもない。

エリザベス・シューエルが『オルフェウスの声』のなかで、リンネの分類学に関する、イギリスのロマン派詩人である、サミュエル・テイラー・コールリッジのこんな批判的な言葉を紹介している。長めだけど、引用する。
「それを基に植物が無機物の世界、動物の世界とどういう横の関係にあるのかを理解できるはずの、植物そのものの核心的観念も、性それ自体の構成的、内的な必然性もリンネには分かっていない」、とコールリッジは続ける。リンネ病に対する的確な診断だ。ではオルフィックな精神は救いをオウィディウスに求め、彼の中に植物の核心的観念、自然の各秩序間の横の関係、性の構成的必然を見つけられそうだろうか。少なくとも可能ではありそうだ。少し後のところでコールリッジはこう言っている。「現在の時点で植物学とは何であるか。巨大な命名表、魁偉なるカタログ以上の何ものでもない。……終りなく配置作業が展がるばかりで、ふるえる神経もなく、成長や心裡の共感を伝えて搏動する脈もない巨大集塊に向かわせられるどんな言葉、システム、いかなる方法、いかなる科学が手間取るばかりの無駄でなくて済むか」と。
エリザベス・シューエル『オルフェウスの声』

既存の知との比較において、未知のものに言葉を与えるといっても、ここで批判されているようなリンネ的分類学のように命名表やカタログ的な仕方で、未知のものを理解したつもりになることが重要なのではない。
既知のものの力を借りて、その比較から類似や相違を思い浮かべながら、キメラ的メタファーを用いながら未知のものを言祝ぐのである。



それは既知のものがメタフォリカルに変身を遂げた姿で詩の言葉のように歌われる。
それは様々なものが組み合わさったキメラ的様相で言語化される。
だから、それは様々なものに似ていると同時に、何にも似ていないことが明確になる。既知の枠組みへ回収されてしまうことのないまま、未知のものはほんのすこし「わかる」ほうへと近づいてくる。
あのアルチンボルドの寄せ絵が、博物学的蒐集の結果、顔の輪郭をなしてくるかのように(次回は、その「アルチンボルド展」について描く)。


アルチンボルド「四季」ルーブル美術館の展示風景より


そう。こんな詩的解釈を動かすために、未知を収集するリサーチはあり、その結果を並べて比べるKJ法的な分析の思考スタイルが必要なんだと思う。
それも特別なこととしてではなく、日常的なこととして。

どれだけ日々未知に向き合い、それを自分のなかで既知との比較のなかで新たな言葉として言祝ぐことができるか。その繰り返し、繰り返しを息を吸いはくように行えるようにすること。

そのような意味で、知力とは、わからないことをどれだけ考えられるかという度合いなんだと思う。



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