前々回の記事で紹介したヤン・コットの『シェイクスピア・カーニヴァル』を読んで以来、中世からルネサンスへと続くカーニヴァル的な笑いの文化に興味をもっている。
笑うということのもつ創造的な力に惹かれたからだ。
笑いは、日常のありふれた枠組みを切り裂く力をもっている。
なので、すぐあとにポール・バロルスキーの『とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽』を読み、それが読み終わると、これらの研究のきっかけを作ったともいえるミハイル・バフチンの『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』を読みはじめた。
思った通り、中世・ルネサンス期の「笑い」には、いま学ぶべきことがある。
特に、既存の枠組みを超えて、新たなものを考えだすという観点では大いに。
今回は、そのあたりについて触れてみたい。
地下から発見されたグロテスク
さて、一言で「笑い」といっても、ヨーロッパ中世からルネサンスにかけての笑いは、いまの笑いとは異質だ。それは単に現代の日本の笑いと違うだけでなく、現代のヨーロッパのそれとも異なっているらしい。
事実、バフチンはカーニヴァル的な笑いは17世紀、18世紀には失われると書いている。
現代の笑いと、中世・ルネサンス期の笑いの違いを示す1つの例としては、中世・ルネサンスの笑いにはグロテスクさを許容する力があったということがあげられる。
そもそも、グロテスクとは、狭義には、古代ローマを起源とする人物、動物、植物を異様な形で組み合わせた曲線模様をあしらった美術様式を指すもので、語源は、洞窟を意味するラテン語"grotto"である。
なぜ、洞窟を示すラテン語がローマ時代の装飾美術の様式を指す言葉になったかといえば、64年に起こったローマ大火の後に当時の皇帝ネロがローマ市中心部に建設させた広大な宮殿「ドムス・アウレア」が長らく地上深く埋もれていたのを、15世紀のルネサンス期になって地下から発見され、その壁を覆っていた装飾美術が例の人、動物、植物などをモチーフとしたものだったからだ。
新たに発見された古代ローマの装飾は、植物、動物、人間の形姿を驚倒すべき奇抜さで、自由自在に弄んでおり、その点に当時の人々は衝撃を受けた。動植物と人間は複雑に絡みあいながら姿を変え、まるでたがいに産んでいるかのようである。ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』
この文様を、ラファエッロがバチカン宮殿の壁面装飾に取り入れたことから、ルネサンス期〜マニエリム期に流行し、グロテスク文様として呼ばれることになった。
この装飾的な戯れには、芸術的想像力の比類なき自由と軽やかさが感じられる。しかも、この自由はほとんど笑っているものも同然の、陽気で奔放なものという感じがする。ラファエッロとかれの徒弟たちは、新しい装飾のこの陽気な調子を正しく理解し、ヴァティカーノ宮殿の開廊の壁画を描く祭にグロテスクを模して、その調子をしかるべく表現した。ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』
ラファエッロは、地下から発見したグロテスク文様を、陽気で笑いのあるものとして、彼の代表作である「アテナイの学堂」などの多くの作品を描いたヴァティカーノ宮殿の描いたのである。16世紀にはロッソ・フィオレンティーノがフォンテーヌブロー宮殿の壁をグロテスク文様で飾った。
グロテスクを笑う、グロテスクを恐れる
ところで、このグロテスクなものの流行も中世以来の笑いが失われると同時に、17世紀〜18世紀とヨーロッパの社会から失われた。それが復活するのが、18世紀の後半から19世紀にかけてのロマン派の作品においてである。
けれど、ロマン派によるグロテスクの復活は部分的なものだったともいえる。
グロテスクをなりたたしめている笑いの原理の変質、笑いの再生的な力の喪失の結果、ロマン派のグロテスクと中世、ルネサンスのグロテスクを分かつほかの一連の本質的な相違も生じてくる。この相違がもっとも明確にあらわれるのは、恐ろしきものとの関係においてである。ロマン派のグロテスクな世界は、多かれ少なかれ、人にとって恐ろしい異質な世界である。ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』
恐ろしさばかりが前にでるロマン派のグロテスク。
それに引き換え、中世・ルネサンス期のグロテスクで全面に出るのは笑いである。
一方、民衆的な笑いの文化とつながりのある中世、ルネサンスのグロテスクは、おかしな怪物の姿でしか恐ろしきものを知らない。つまり、笑いによってすでに打ち負かされた恐ろしきものしか知らないのである。恐ろしきものはここではつねに滑稽で陽気なものに姿を変えている。ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』
恐ろしい怪物さえ、笑いによって打ち負かされ、おかしな存在になる。
そう。前回も紹介したが、ボマルツォ怪物公園だ。

ボマルツォ怪物公園の「地獄の口」
単純にいえば、1つ上の引用中にあった「ほとんど笑っているものも同然の、陽気で奔放なものという感じ」が19世紀のロマン派のグロテスクにはない。
ロマン派もまた、中世・ルネサンスの人々がグロテスクなものに生命の力を感じていたが、けれど、ロマン派の人々はそれを笑いとして受け止めることができなかった。
1つの例として、ロマン派の芸術をとりあげた『肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー』で、マリオ・プラーツがドラクロワの作品をどう評しているかみてみよう。

ウジェーヌ・ドラクロワ「キオス島の虐殺」(1823-24)
プラーツは「『キオス島の虐殺』の迫害を受ける病める女たち、馬に裸のまま繋がれた美しい囚われの女。ちょうどサドが描いている饗宴-そこには芸術の香りは露程も感じられないが-のひとつのように、サルダナパロスの婚礼と死出の床で虐殺される美しい寵妃たち」だとか、「『コンスタンチノープルの入城』では、凌辱され、殺害された女が、乱れた体で階段の上に倒れ伏し、汚れにまみれ疲れ切った金髪の貴婦人が、息絶えた母親の蒼白い顔の上に屈み込んでいる。溺れるオフィーリア、そのイメージはドラクロワにつきまとうだろう」などとドラクロワの作品の特徴を描写している。
そのプラーツの言葉に示されるとおり、ロマン派のグロテスクに根底にあるのは「ロマン派にとって美は、まさに美を否定するとおもわれる特質、つまり恐ろしい事物によっていっそう美しいとされるのであった」という感性であり、そこには中世・ルネサンス期にあったような笑いの要素はない。
ロマン派にとってのグロテスクはひたすら恐怖という感情を通じて生の力につながるものだったのだ(プラーツの『肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー』については書評記事を参照)。
-----脱線。-----
(このあたり、やはりロマン派のひとりに数えられるゲーテの形態論も、笑いを欠いている点でおしい。そして、ゲーテの形態論を継承したともいえるパウル・クレーの造形論も、同じように笑いを欠いた点でおしい。このへんのことも早く言葉にしたい)
-----脱線終わり。-----
神々さえ、笑いの種
一方、中世・ルネサンス期は、グロテスクを笑った。笑いの対象は、グロテスクなものだけでなく、神聖なものも笑いの対象だった。
「既存の枠組みを冒涜して嗤え、危機感にあふれた時代に」の記事中で紹介したように「讃美歌、複音書の聖句、祈祷書の進句(トロープ)など、そもそも中世の初めから修道士とか聖職者たちのパロディの好餌となってきていた」ことを、ヤン・コットは『シェイクスピア・カーニヴァル』で指摘している。
グロテスク文様を流行させた、先のラファエッロにしても同様である。
「イタリア・ルネサンスの美術の方にも、この嘲り笑うユーモアに相当する作品は数多く、たとえば神々や女神たちが嘲笑されからかわれる神話作品、とりわけラファエッロの作品を挙げることができる」と、ポール・バロルスキーが『とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽』で書いているように、僕らはあまり認識していないが、ラファエッロの作品も滑稽、剽軽なモティーフでいっぱいなのである。
一例としては、ローマの富裕な銀行家アゴスティーノ・チーギの別宅ヴィッラ・ファルネジーナの「アモーレとプシュケの間」として知られるフレスコ画群も、アモーレ(キューピッド)とプシュケの愛とセックスの主題を描いたものだ。
ラファエッロのフレスコ画は官能的で、古代の芸術にも、またアプレイウスの『転身譜』(別名『黄金のロバ』)におけるクピドとプシュケの逸話に見いだされる「快楽」の感覚を伝える。美しい裸婦たち、果実がつくる豪奢な花綵装飾、入念に描かれた綴れ織りなどから立ちくゆる官能。この作品の正気潑刺として剽軽なトーンは、絵の空を横切って翔ぶさまざまなアモリーノたちに見ることができる。ポール・バロルスキー『とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽』

ヴィッラ・ファルネジーナ「アモーレとプシュケの間」のフレスコ画
この絵、よく見ると、さまざまな性的なしかけがされているとバロルスキーは指摘している。やはり神話を笑う。
笑って許容するルネサンス、許容できないものを拒否するために笑う現代
ちなみに、このラファエッロが描いたクピドとプシュケの逸話の元であるアプレイウスの『黄金のロバ』は、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」でも参照されていて、「シェイクスピア・カーニヴァル/ヤン・コット」で紹介した「真夏の夜の夢」の登場人物ボトムがロバに変身するのも、そこから来ている。むろん、ボトムをロバに変身させた妖精パックはキューピッドの変形にほかならない。パックの魔法は妖精の女王がロバ頭のボトムに惚れさせた。シェイクスピアとラファエッロの笑いはつながっている。もちろん、笑いを自らの作品に表現した芸術家はラファエッロやシェイクスピアばかりではない。この時代、ありとあらゆる画家や作家が笑っている。ミケランジェロも、 ティツィアーノも、ティントレットも、ラブレーも、エラスムスもみんな笑う。先にフォンテーヌブローの城に、グロテスク文様を描いた画家として紹介したロッソ・フィオレンティーノも同様である。
そして、パロルスキーは、そのロッソとラブレーの関連性を次のように指摘している。
たとえば、ロッソの数奇を凝らしたフリーズは、そのウィットからしてそっくりなラブレー文学のさまざまな文学的修飾語句になぞらえられる。精妙な渦巻文様、縁取り、仮面、ヌード、花綵といった細部で満ち満ちている。(中略)ロッソの装飾の嬉々として凝りに凝った図像はまた、その精神において、ラブレーの剽軽なパズル趣味、パラドクス好き、謎狂いとも通じあっている。この画家にしろこの作家にしろ、豪奢な装飾はむろんのこと、秘密めいたジョークや凝りに凝った意味を珍重してやまぬ同じ宮廷社会のために制作していたのである。ポール・バロルスキー『とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽』

ロッソ・フィオレンティーノ「海神たちの闘い」
こんな風に、中世からルネサンス期にかけて人々は、神々までもエロティックで、剽軽に描きだし笑うことで、神々をも自らの近くに引き寄せた。神々を遠い存在として恐れるばかりでなく、笑いとばして自らに近づけて、自分たちを神々の世界から疎外された存在にはしなかったのだ。
それに引き換え、いまの笑いは逆である。むしろ、笑うことで自分と違うものを貶めようとする。
自分に理解できないものを嘲り笑うことで、自分から遠ざけようとするのだ。
グロテスクなものが表す「生成」のイメージ
結局、問題は、変化するものや不定形なものに対する耐性のなさ、臆病さといった特徴のある心性に要因があるのだろう。生命にせよ、既存の枠組みを外れた新しいものの創造にせよ、そして、グロテスクにせよ、共通するのは、変化であり、定型の定まらなさである。
蛹化する昆虫はサナギになった際、いったん体がドロドロに溶け、そこから成虫の形を形成するというが、そういうドロドロと形のないものが生命、生成には本来つきものだと思うが、それが耐えられない現代の心性というものがあるのだろう。それは生命的なドロドロではなくても、決まった答えがないぼんやりとした状況のなかから新たな価値を創造していくという場の不安定さであっても同様である。
そうしたものに対する恐れをともなう拒否感が、自分とは異なるものを蔑み、非難するような笑いになって現れるのだろう。
それは中世・ルネサンス期のグロテスクなものさえ笑って許容する態度とは大きく180度異なっている。
グロテスクな形象は、変化の状態にある現象、変身の途上にあって、いまだそれが完了していない状態の現象、死と誕生、成長と生成の段階にある現象に広く認められる特徴である。「時」および生成との関係は、グロテスクな形象に不可欠の本質的(決定的)な特徴である。これと関わりのある、もうひとつの不可欠の特徴はアンビヴァレンスである。グロテスクな形象において、変化のふたつの極-古きものと新しきもの、死に瀕したものと生まれでようとするもの、変身の始まりと終わり-が、さまざまなかたちで呈示される(あるいは漠然と示される)。ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』
アンビヴァレンス。方向性がまるで異なるものを同時に許容する姿勢。いわゆるアウフヘーベン。矛盾を止揚して一段高い解決を生む。アウフヘーベンといったヘーゲル以前、中世・ルネサンス期はそれを笑いという姿勢でやった。
「カーニヴァルは観るものではなく、そのなかで生きるものである」とバフチンは言う。「万人がカーニヴァルのなかで生きる」のだ、と。
その理由はカーニヴァルというものが「理念からすれば、全民衆的なものだから」である。誰もそこから疎外されないし、誰もそこから逃げられない。そんな意味ですべての人がカーニヴァルの笑いを許容する。
そして、
カーニヴァルがおこなわれているあいだは、誰にとってもカーニヴァル以外の生活は存在しない。ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』
そう。「カーニヴァルでは生活それ自体が戯れるのであり、戯れが一時的に生活そのものになる」のだ。そこにそれ以外の「外」はない。斜にみるような笑いが成り立つ余地はない。ただただ、カーニヴァルに全身浸かって笑うことが唯一の選択肢である。
カーニヴァル的な世界感覚のおかげで、人々は公的な立場(修道士、学僧、学者)から解放されて、カーニヴァル風の滑稽な見地から世界を感得できるようになったかのようであった。ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』
学際的という言葉がよく聞かれるが、領域を横断するどころではない。公的な立場など、すべてドロドロに融解するのだから。そう。このいったんドロドロに融ける機会が設けられていた社会だからこそ、そこには再生−創造の機会が常に保障されていたのではないだろうか。
このあたりに、僕らがいま学ぶべきことがたくさん詰まっている気がするのだ。
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