何が確かに存在していて、何が存在していないと言えるのか?
神は存在するのか? 幽霊は? 宇宙人は? ドラえもんは? 聖徳太子は?
ネッシーは? つちのこは? 龍は? 一角獣は? ピカチューは?
知っているけど、存在しているか(いたか)、よくわからないものはたくさんある。
では、どんな証拠があれば、それらは存在している(いた)と言えるのか。
16世紀のボローニャの博物学者ウリッセ・アルドロヴァンディは、植物・動物の膨大な標本を残し、それらの標本を整理、分類した博物学の書物を複数書いている。医学博士でもあったアルドロヴァンディは、イタリア各地を植物の採集にまわり、集めた植物を育てる植物園も作っている。科学という言葉はまだなく、大まかに博物学という言葉でまとめられてた。
その弟子が、アルドロヴァンディの残した多量の図譜を元に編んだ『怪物誌』という本がある。そこには下の図版の人面鳥をはじめとする奇妙な生き物たちが描かれている。
それらがすべて怪物かというとそうではなく、海の象だとか、海の司祭などの形で描かれたセイウチも含まれる。ようするに、この『怪物誌』に描かれた怪物らしく描かれたとても居そうにない生物たちが本当に存在しないか、セイウチのように実は存在しているかはよくわからない。
科学や技術が発達して、いろんなものがわかってきたつもりでも、まだまだ存在するかしないか、わからないものは残っているはずだ。
そんなウリッセ・アルドロヴァンディの博物学、いやいや、もっと古いギリシアの時代のアリストテレスの『動物誌』やローマのプリニウスの『博物誌』に連なる動物学の歴史に連なるのが本書『秘密の動物誌』である。
20世紀の博物学者ペーター・アーマイゼンハウフェン博士の研究
この本の2人のスペイン人の著者ジョアン・フォンクベルタとペレ・フォルミゲーラは、グラスゴーの取材旅行で宿泊場所として借りた古い家で、ある発見をする。「おい、こりゃなんだ?」とぼくらは声をそろえて叫んだ。「すごいぜ、これは! いったいどこから飛び出してきたんだ?」
村での第2週、ぼくらは家にこもりっきりで、この驚異的な資料群を点検し、なんとか整理してみようという作業に没頭した。ジョアン・フォンクベルタ、ペレ・フォルミゲーラ『秘密の動物誌』
彼らが発見した資料こそ、本書で紹介される様々な謎の生物を採集、研究し、不治の病のため、最期は謎の失踪により姿を消したドイツの動物学者、ペーター・アーマイゼンハウフェン博士が残した研究資料だった。
アーマイゼンハウフェン博士は「1895年、ミュンヘンで生まれた」という。父親のヴィルヘルムは「探検家、狩猟家にしてサファリ・ガイド」で、母のジュリアは「ピアノの演奏家兼教師」だったが、ペーターを生んだ際の「産後の肥立ちがおもわしくなく、10日後にジュリアは死亡」している。その後、父のヴィルヘルムは再婚し、ペーターには母親の異なる妹が生まれ、ペーターはその妹とともに「ドルムントに住む叔母マリア」のところで、職業狩猟家としての活動を再開した父とは離れて育った。
ペーターはミュンヘンの大学に入学するとそこで際立つ秀才ぶりを発揮した。「医学並びに生物学を専攻し、7年後これらふたつの専門分野で博士号を取得」し、25歳でその大学の最年少の教授として迎えらえた。
ペーターはその研究室に「アリストテレス、ケルスス、プリニウス、パラケルスス、セルベト、パレ、ライプニッツ、バートン、ラマルク、ベイツ、そしてダーウィン」らの蔵書を残したという。アリストテレスをはじめとして、いずれも博物学史上に名を残す偉大な研究者ばかりだ。この中ではちょっと意外な名前に感じるかおしれないライプニッツが大蒐集家であったことは前に「モナドの窓/ホルスト・ブレーデカンプ」という記事でも紹介している。
しかし、そんな才能をもったペーターはその研究内容によって大学から追放されてしまう。
その追放から1年経ったころ、ペーターはアメリカに移住し、研究を続ける。その後は世界各地を調査旅行をしてまわる日々だったらしい。その成果が本書で紹介されている資料だということだ。
1949年ごろ、教授の健康は衰えはじめた。「最近どうも疲れていて、これからも従来の調子で仕事を続けられるかどうか、はなはだ心許ない…」と、教授は日記に書いている。このことばは、悲劇的なまでに的中した予言となった。1950年のはじめ、みずからを白血病と診断した教授は、これまでどおりの研究の進展を妨げるような治療を受けなくてはならなくなった。ジョアン・フォンクベルタ、ペレ・フォルミゲーラ『秘密の動物誌』
博士はそれをきっかけにグラスゴーに移り住み、死の直前の55年にひとり旅に出て失踪したのだった。
アーマイゼンハウフェン博士の残した調査資料
そんな博士が残した資料にある生物たちはどれも驚くべき姿をしている。鳥のような脚を12本をもった多足の蛇は、獲物を攻撃する体勢のところを写真に撮られていたり、捕獲され研究室で両手でしっかり押さえつけられているところも写真に撮られていたりする。そのほかにも骨格がはっきりわかるレントゲン写真、フィールドでのデッサン、鳴き声をしめすソノグラムなどの資料が紹介される。
この蛇だけなく、全部で23種の奇妙な動物が、生息地での野生の状態や捕獲後の研究所で撮影された写真、レントゲン写真、フィールドスケッチ、ソノグラム、解剖標本写真、解剖デッサン、剥製、生息地の地図、そして、博士の研究ノートの記述などの様々な資料、けれど、どれも断片的にしか残されていない資料を元に紹介される。
解説の荒俣宏さんがこう書いている。
本書は、近現代の動物学者に不当にも無視されつづけてきた〈幻想動物学〉のとびきり豊かな最新成果の一例なのである。荒俣宏「解説」
ジョアン・フォンクベルタ、ペレ・フォルミゲーラ『秘密の動物誌』より
そう。これは16世紀のウリッセ・アルドロヴァンディの『怪物誌』にも連なる、奇妙な生物たちの動物誌が本書である。そして、アリストテレスやプリニウス、パラケルススやラマルク、ライプニッツなど、博士自身の蔵書の著者たちに連なる正当な博物学の書でもある。
この書からは科学がまだ科学ではなく博物学と呼ばれていた古の時代の香りがする。そして、その香りとは僕らが知っている科学らしさのない魔術的な香りなのだ。
はたしてそんな香りに包まれた本書に紹介された奇妙な動物は本当に存在したのだろうか?
存在しなかったとしたら、これらの写真やデッサンはいったい何を描き出しているのか?
写真や絵に描き出されたものが存在しないのだとしたら、これだけヴィジュアルが溢れたこの世界で何が存在していて何が存在しないかをどう判断すればよいのか? どの生物がどこかに生きていて、どの生物がでっちあげなのか?
そして、博士はなぜこれらの写真やデッサン、ノートなどの記録だけを残して消えたのか?
何が存在し、何が存在しないのか?
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