反−知の形式としてのバロック的想像力を再獲得する

数ヶ月前から気になっていたことの1つは、自分でブログを書く際、どうも昔に比べて何を結論として言いたいのかを意識して書くことが苦手になってるという感じがしていることです。



何も言いたいことがなければそもそも書くこともないわけで、そこはとうぜん書きたいことがあるから書いているのですけど、でも、いまの僕にとって、その「書きたいこと」というのは間違いなく「結論」じゃないというところがちょっと問題なような気がしていたんです。

僕にとってはむしろ、ダラダラと書き連ねているその過程で書いているそれぞれが「言いたいこと」であって、何か1つの結論をいうためにそれらを書き連ねているわけではないんです。
だから、どうしてもいわゆる起承転結のような文章の構成で書かなくてはいけない動機がないし、そんな風に構造化してしまうことで「すべてが結論のために」みたいになってしまって途中の文章が豊かな意味を失うのは嫌だったりします。

そんなわけなので「結局のところ、何を言いたいの?」とか「何について書いているの?」とか言われてしまうと困ってしまうような書き方でそもそも書こうとしていたりするのですが、そうすると、それは何か結論や答えに至るようなものを期待する読者にとっては非常に読みづらい文章が生成されるという結果になるから、決して読者にやさしい文章にはなりにくいなーということが気にはなっていたのです。

というわけでモヤモヤしていたのですが、ひさしぶりに読んだ高山宏さんの本に、こんなことが書かれていてかなり気持ちがすっきりしたんです。

書物が起承転結や序破急を経てある目的/終わり(エンド)に収斂しなければならないとする書物観、知識観を、博物誌は原理的に嗤(わら)う反知の形式なのにちがいない。何をどういう順序で扱おうと少しもかまわない。どこかへ行きつく必要から解放されたとき、人間の想像力がいかに奔放、猥雑に働くものか。博物学的知はそれを見せ、それを愉しむ。

これは澁澤龍彦の「博物誌的」な文章を高山さんが評したものですが、そうそう、僕が好む「知」ってこういう「博物誌的な知」なのだということをあらためて自覚しました。
澁澤龍彦さんの本は、もう20年も前くらいによく好んで読んでいましたが、その頃から僕はそういう博物誌的な知のあり方を好む傾向があったんだろうと思います。

博物誌的な知としてのバロック的分類学

ここで「博物誌的な知」と呼ばれるものは現代的な意味では「反知」的なもので、何か1つの結論に至ることを「分かる」こととするような態度をとにかく嫌うものです。
それはどんどんいろんなことを知ることでわからなくなっていくこと自体を大事にしたいと思っている僕にとって、何か複数の知識・情報を並べながら、1つの結論に至るようなあり方ってそもそも好きではなくて、情報を集めれば集めるほど混乱する状況が生まれること自体を愉しみたいし、その混乱した情報の山自体が素敵だと思ったりするので、この「博物誌的な知」はとても魅力的です。

そうした「博物誌的な知」のあり方が社会的にも代表的な知のあり方として存在したのが、16〜17世紀前半のヨーロッパであり、それこそが「バロック」と呼ばれたものの本質であったということを指摘しているのが、高山宏さんの『魔の王が見る―バロック的想像力』という本です。

大航海時代を通じて水平面に向けても、ガリレオの望遠鏡を通じて垂直面に向けても、それまで見たこともない「新世界」が拡大し、そこから従来の知性や感性では対応しきれない膨大な情報の断片が生活環境に押し寄せてきたのが16〜17世紀初頭のヨーロッパ社会です。想像してみてください。自分たちがいままで見たことも想像したこともないし、それらを理解する知の体系ももたないような物事が日々次々と目の前にあらわれる状況を。
そうした自分たちにとっての見慣れぬ膨大な情報の断片を、とにかく集めてごっちゃに並べてみせるという「誇大妄想狂的な情報処理の超絶技術」がバロックだったと高山さんは言います。

人の明晰すぎる分ける/分かる能力を超え、それを嗤うものとして自然が人びとに恵んだ「パラドクサ」は、1750年代、リンネの分類法によって分類表(テーブル)の欄外へと駆逐された。

ここで言及されている「パラドクサ」とは、分類不可能な混淆した存在、怪物、畸形ものです。
「パラドクサ」は、一般性や整合性が重要視するリンネを始祖とされる近代分類学によって排除されますが、それらに〈驚異〉を見て、むしろ喜んで自らの知の対象として集めたのがバロック分類学でした。

そして、16世紀から17世紀の前半にかけて、そうしたバロック分類学をまさに体現していたのが、ヴンダーカンマー(驚異博物館)と呼ばれた、いまの博物館や美術館の前身ともいえる収集部屋/施設でした。


▲オレ・ウォルムの「驚異の部屋」(Wikipedia「驚異の部屋」より)

16世紀から17世紀の前半にかけてのバロック的ヨーロッパ人は、自分たちの従来の知の体系にはあてはまらない「新世界」からの〈驚異〉の物品・情報をとりあえず1つの部屋・施設に集めることで、なんとかコントロールしようとしたのです。

それはようするに野生の猛獣を檻に入れるようなものです。

わけのわからない〈驚異〉を完全に手なずけて近代分類学のように家畜化してしまうのではなく、野生の〈驚異〉を保持したまま、最低限の危険をとりのぞいて小さな部屋に閉じ込めるという方法をとったのがバロック的思考です。

それは同時代に、異国の果物や貝殻などを描いた静物画が流行したことともシンクロします。それは描かれたヴンダーカンマーだったとみることもできます。
この時代にオランダではそれまでほとんど描かれることのなかった静物画が突如大量に描かれる流行をみせますが、この静物画を意味するフランス語のナチュール・モルトはほかならぬ「死んだ自然」を意味する語だったりします。オランダという当時、ヨーロッパの外からさまざまな見慣れぬ品がたどり着いた初期資本主義の都市で、バロック人たちはその物珍しさを絵画のフレームという「檻」に閉じ込めたのです。

〈驚異〉の対象である「パラドクサ」を完全に人智で解明しようとするのではなく、とりあえず部屋や絵のフレームの内に集めて閉じ込めるバロック的分類学。
それが今のとにかくわかりやすい1つの結論を導こうとするような近代以降の思考とどれほど違うかは、上に掲載しておいた、オレ・ウォルムの「驚異の部屋」の異様を目にすれば十分感じられるのではないでしょうか?

このあたりのヨーロッパ文化の変遷について詳細に論じられたロザリー・コリー女史の『パラドクシア・エピデミカ ― ルネサンスにおけるパラドックスの伝統』という、これまた高山宏さんの翻訳による大著もいつでも読めるようにと前に買ってありましたが、ようやく機が熟した気がするので近々読み始めようと思います。

パラドクサを排除する遠近法の誘惑

たくさんの野獣を部屋という檻に閉じ込めたようなヴンダーカンマーは、それが後に今日の博物館や美術館につながるものだとしても、そこには現代のミュージアムでは不可欠な整序のための明確な分類のプロトコルを欠いています。

逆にいえば、現代の美術館/博物館が明確なプロトコルをもつことで、見る側/見られる側の対話をスムーズではあるものの、その線形的な単純化により一定の枠組みに閉じ込めてしまうような危険性を、バロック的ヴンダーカンマーは免れることができているということもできます。

近代分類学の可視化された存在としての美術館/博物館のあまりに「線的」で「単純化」された範疇分けと展示秩序、「ミュージアム・イデオロギー」が総反省を迫られつつある今、バロック期の珍品博物館の精神が、ぜひ再吟味されねばならない。知れば知るほどわからなくなる「パラドクサ」、両義的なもの、区分不可能なものを排除しないことによって、それは〈驚異〉の想いを永遠に保留する。

ここでは美術館や博物館の分類を支える思考だけが問題視されているかのようですが、実はこの分類がそのままデパートなどの売り場の分類にも応用されたことを高山さんは指摘していますし、その意味ではウェブをはじめとするデジタルメディアにおける「見せる」情報分類も含めて、近現代が当たり前のように用いていた「展示のイデオロギー」が総反省の対象となっていると考えるべきでしょう。

けれど、このわかりやすくも単純な枠組みに閉じ込めることを回避し、両義的で区分不可能なパラドクサを保留することのむずかしさを高山さんは続けて指摘しています。

キルヒャーやセタラの驚異博物館図譜さえ早くも支配しつつあった遠近法的整序の誘惑を宙づりにしながら、永遠の少年のようにこの想いを熱く保っていくのは、実は至難の業なのだ。

そう。ここでバロック的知による〈驚異〉の想いの保留を妨げて、わかりやすい単純化へと展示や表現を誘うのが、ほかでもない遠近法なのです。


▲遠近法で描かれたペルジーノ『ペテロへの鍵の授与』(Wikipedia「遠近法」より)

以前、『ルネサンス様式の四段階―1400年~1700年における文学・美術の変貌』を紹介したワイリー・サイファーが書いた別の本(『文学とテクノロジー』)を高山さんの本に続けて読み始めたのですが、サイファーはその「序文」で次のような指摘をしています。

方法に見る禁欲主義は、芸術家および科学者を消極的ないし不在の行為者と化し、両者それぞれ自ら樹立した領域から疎外されることになる。象徴主義の詩人が自らの媒体を最も効率的かつ芸術的に操作するためには、排除、拒絶、ないしは不参加の行為が是非とも必要だったのだ。
ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』

ここで「方法に見る禁欲主義」と呼ばれる方法の1つがこれから問題にする遠近法であり、それが芸術家のみならず科学者をも、対象=世界から距離をとった(つまり客観的存在となった)不在の行為者にすることをサイファーは指摘しています。
ようするに、今風にいえば、物事の問題から距離をとり、なかなか「自分ごと」として問題に参加しない態度の根本要因をサイファーは、遠近法という方法にあると指摘しているのです。

このサイファーの本を紹介しつつ、高山さんはこう書いています。

サイファーが示す遠近法的世界とはほぼこういうものである。それは画面の外にある観客/観察者の、距離を置いた/疎外された視点からの冷徹に眺められた世界像である。そういう環境の外に目を置いて見る世界像に一番合致しているのが、絵画理論から出てきた遠近法的な世界像だ、というので、あらゆる局面に遠近法的観法は浸透していく。

この対象物が生きる世界から距離をとった場所からそれらを見るという遠近法的態度が、政治の領域においては王たちのよる中央集権的な統治を可能にします。
また、植民地主義においては、支配される植民地の人びとたちを支配する側の論理でみることで、支配する側に都合のよい形でみて理解するという行為も結局は遠近法的理解であるし、それがサイファーのいうように科学的な目においても同様に働くことは容易に想像できます。
僕らとしては、この遠近法的観法によってはじめて「デザイン」という概念が生まれたということを理解することも大事だと思います。

その遠近法のもつ非常に強力な対象から切り離された1点から見た世界を真実のように見せるという力が、先に書いたようなバロック的な〈驚異〉の想いの保留することをむずかしくするのです。遠近法的視点は「パラドクサ」を死角に隠して排除するように働きます。

起承転結の構造をもって目的/終わり(エンド)に収斂しなければならないとする知識観の生まれた歴史的瞬間

けれど、面白いのは、高山さんがこんな指摘をしているところです。

そうなのだろうか。そういう反省というか、吟味が生じた結果、〈消失点〉という中心の一点へとすべてが収斂し、そこが意味の中心となってすべての事物がきちんと整序されるこの遠近法的な世界の見え方が、15世紀以降、4世紀にも及ぶ時間をかけて捏造されてきたきわめて特殊で歴史的な虚構であることがわかってきた。わかってきたと言うが、遠近法をそもそも15世紀に最初に発明したアーティストたちの1世代は、そんなこと、のっけから知り尽くして、おおいに遊んでいたのである。

こう書いて、高山さんは物事をリアルに描くことを徹底することで逆にそれが単にイリュージョンであることを明らかにする画家たちの「騙し絵」を紹介していきます。
そして、イリュージョンの1つでしかない遠近法をあたかもそれが唯一「合法的」であるかのように扱ってきたのは、むしろバロックよりあとの時代の人びとの罪であろうと指摘しています。

つまり、遠近法もまた〈驚異〉を生み出すイリュージョンの1つとして遊ぶことができたバロック的な知が、そうした遊びやあいまいさを嫌い、シンプルで普遍的な知へと取って代わりはじめた17世紀の後半以降の人びとのものの見方がイリュージョンである遠近法的なモノの見方を合法化してしまい、それを整序や統治の道具としてしか使えなくしてしまったのです。

その象徴的な出来事が1660年にロンドンに王立協会(ロイヤル・ソサエティ)が設立されたことであったのを、高山さんは、別の本『近代文化史入門 超英文学講義』書評)でも指摘しています。

王立協会は、その実質上の初代総裁であった数学者のジョン・ウィルキンズが、ひとつの言葉はひとつの意味をあらわすための普遍言語のアイデアを提出したように、言葉に対してもあいまいさにつながる両義性・多義性を嫌う集団でした。
それゆえに両義的・多義的な意味を含んでいたシェークスピア演劇を排斥する活動(具体的にはテキスト化された台本をもたなかったシェークスピア演劇の台詞をテキスト化し、言葉の意味の揺れをなくした)もしています。



ハンス・スローンという当時著名な個人的なヴンダーカンマーが死後、国家に遺贈されたのを機に、1753年に大英博物館条例ができ、スローンの驚異博物館が現在の大英博物館として生まれ変わります。
ここに大きく関与したのも王立協会でした。

大雑把にいうと、びっくりさせてくれるものをとにかくたくさん集めて、その物量で「どうだ、オレの方が偉い」などといっていた「驚異」の文化が、1753年に消滅したということである。そして、国家管理になったときに、王立協会の生物学者たちがそれを管理することになった。そう、「人が話す言葉はシンプル・イズ・ベスト」などといっている連中が、一角や二角のサイを扱うようになる「差異の世界」である。フーコーが「類似」の世界と呼んだ魔術的世界がここで終わる。

猛獣を野生のまま檻で囲って住まわせていたバロック的な世界が終わった象徴的瞬間です。
そこからは博物館を訪れた人たちが線形的に館内をみてまわることで、歴史的な流れがわかったり、動植物の分類がわかったりする、単純な物語的構造があらわれます。
まさに「書物が起承転結や序破急を経てある目的/終わり(エンド)に収斂しなければならないとする書物観、知識観」が確立した瞬間です。

うーん。
しばらく前からブログの説明文を「不確定な時代をクネクネ蛇行しながら道を切り開く非線形型ブログ」と変えた僕には、この歴史的瞬間がなんとも恨めしく感じられます。

あー、バロック的知の復権を心から願いつつ、このあたりでこの長々とした記事も閉じることにします。

   

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