後期ルネサンス期に芽生えた新しい科学の動向が人びとの考え方・世界の見方に与えた影響を、ジョン・ダンやミルトンなどの17世紀英国の詩人や文学者の作品を読み解きながら考察する、M.H. ニコルソン『円環の破壊―17世紀英詩と「新科学」』を読んで、僕の頭に浮かんだのはそうした東西の時代の符号でした。
東西でほぼ同時に起きた、円の破壊と楕円の登場。
いずれの世界においても、円は古くからの伝統的な思想を象徴し、楕円は新しい思想を象徴していました。円から楕円への移行は東西でほぼ同時期に起こった古い世界の見方から新しい世界の見方への移行を意味していたのです。
物活論(アニミズム)から機械論(メカニズム)へ
物活論(アニミズム)から機械論(メカニズム)へ。人間と同様に地球や宇宙も生き物として捉えた円環の思想から、人間、地球、宇宙をそれぞれ異なるメカニズムをもって機械として捉えるようになった科学の時代へ。
そうした変化の動きのなかで、それ以前は区別のなかった詩のことばと科学のことばが分離していく。以前に「近代文化史入門 超英文学講義/高山宏」や「世界劇場/フランセス・A・イエイツ」でも紹介したように、古典世界を背負ったシェークスピア的な古代演劇そのものの世界を斥けるように、詩のことばとは異なる機械言語的な普遍言語の追求のこころみが1660年に誕生した英国王立協会(ロイヤル・ソサエティ)によって進められていく。その時代の変化を、ちょうど時期的にも重なる偉大なエリザベス女王の崩御とも重ねて、詩人たちは「世界の終わり」として描いている。
フランシス・ベイコンは『学問の進歩』のなかで、当時の「文学的」言語を、科学の伝達手段として用いることに異議を唱えた。ロイヤル・ソサエティは王政復古時代の初めに、それら2種類の言語の分離を促進させる計画を意図的に採用し、会員たち―その多くは文筆家だった―に「才人と学者の言語」を拝し「機械工と職人の言語」に倣って、より明瞭で単純な文体を用いるように勧告している。M.H. ニコルソン『円環の破壊―17世紀英詩と「新科学」』
そんな大きな時代の変化を「円環の破壊」というテーマから見事に描き出したのが本書で、これまた僕にとっては非常に興味深い一冊でした。
3つの宇宙
この本が扱うエリザベス朝の17世紀初頭の人々にとって、大宇宙(マクロコズム)である宇宙と、小宇宙(ミクロコズム)である人間は、ともに神がつくった同じ構造をもったものと考えられていました。「記憶術/フランセス・A・イエイツ」や「世界劇場/フランセス・A・イエイツ」で紹介したロバート・フラッドの代表作が『両宇宙誌』であうように、この時代、「小宇宙史」というワードをタイトルに掲げた書物が数多く書かれているそうです。宇宙と人間が互いに連結しているだけではなく、さらにその中間には地球(ジオコズム)があり、3つの世界は照応性をもつものと信じられていた(考えられていたのではなく疑うことなく信じられていた!)のです。
僕らにとってはすでに当たり前のように、宇宙、地球、人体はそれぞれ違う構造で成り立っています。それを同じだとして疑わなかったのですから、とうぜん、そこには齟齬が生まれてきます。
宇宙的類推によってものを考える習慣は、今日私たちが知っているような科学の発展に、大きな圧力をかけていた。心理学は生理学のなかに組み込まれていた。医学は、医師たちが人体の構造を地球の構造との類推によって説明しようと試みている間中、ずっと停滞していた。同じく地質学も、人々が大地のなかに人間の歩みと歴史を読み込んでいる間、成長を阻まれていた。M.H. ニコルソン『円環の破壊―17世紀英詩と「新科学」』
大地を流れる川の流れと血液の流れを当時の人々はまじめに同一の構造であることをとうぜんとして捉えていました。それゆえに地質学者が川の流れを説明するのも、医者が血液循環を説明するのにも互いに足を引っ張る形になった。両者がたがいに同じ構造による流れ=循環であることを説明する方法が見つからなかったからです。当然ですよね、2つは違う構造なのですから。
完全なる円環
そんな彼らが神をあらわす最も適切な記号として考えていたのが、完全なる円環でした。詩人たちは、星々の動きに、地球の形に、人間の頭部の形に、円環を見出しては、それが完璧なる神の円環の写しであることを大いに歌い上げたのです。彼らは円環と同様に「縮図」の観念を用いているが、これは神と宇宙と世界に対して人間がもつ関係について、彼らが抱いていた最も深い確信を表すものであった。実際、円と「写し」の観念は彼らの心のなかではしばしば一緒になっていたが、それは彼らがその両者のなかに3つの世界の相互関係を見てとっていたからである。M.H. ニコルソン『円環の破壊―17世紀英詩と「新科学」』
中世から17世紀初頭までの物活論の世界に生きる人びとにとっては、世界は生き物のようなのではなく、生き物そのものでした。地球や宇宙が生き物だというのは、詩人を含む当時の人びとにとって、喩えや表現ではなく事実だったのです。人も、地球も、宇宙も、すべてが神の写しであり、詩人が詩を歌い、画家が絵を描くのも、その神の似姿をさらに模倣することであり、いま、僕らが普通に考えているような創造とは異なる活動だったのです。
方法の自覚
それが科学によるさまざまな発見が既存の世界の秩序を破壊し、新しい秩序としての機械論的世界観で世界を描きはじめると同時に、地球も宇宙も生き物であることをやめ、冷たい機械へと変わり、神の神秘に隠されたものから人間が読みとき記述可能なものになります。「新しい哲学はすべてを疑わせる」と17世紀初頭を代表する詩人のひとりであるジョン・ダンは書いています。神のつくられた完璧なる世界を信じ、それを模倣する方法から、デカルトの『方法序説』に代表されるような懐疑を根本におく「新しい哲学」が芽生えてきたとき、世界は懐疑によってそのメカニズムを読み解く対象になる。そこで人間は世界を模倣するのではなく、自身の内面で捉えたよりよい世界を実現するため、内部での思考を外部に実現しようと考えはじめたのです。
ケプラーの楕円軌道の発見に代表される当時のさまざまな科学の発見により、信仰の下に外部あった真理が、懐疑する内面によって乗り越えられる対象に変化したのです。それは神の似姿を模倣するという無自覚な方法から、人間自身が懐疑によって世界のメカニズムを読み解くという方法の自覚の芽生えでもあったのです。
「記憶術/フランセス・A・イエイツ」、「世界劇場/フランセス・A・イエイツ」を紹介しましたが、いま僕の関心はヨーロッパのルネサンス期の思想の変換に向いています。すでにイエイツの『薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史』も読み終わり、続けてこのM.H. ニコルソン『円環の破壊―17世紀英詩と「新科学」』を読んだわけですが、この17世紀から18世紀にかけての変化というのは今の時代の基礎を考える上でも非常に興味深いので、続けて小林章夫さんの『コーヒー・ハウス―18世紀ロンドン、都市の生活史 』を読んだりしています。
この時代に古代から連なってきたものがどう変化し、何が生まれたのかを理解できなければ、デザインなんてことを考えられるはずもないな、と。
関連エントリー
- 記憶術/フランセス・A・イエイツ
- 世界劇場/フランセス・A・イエイツ
- 表象の芸術工学/高山宏
- 近代文化史入門 超英文学講義/高山宏
- ポストメディア論―結合知に向けて/デリック・ドゥ・ケルコフ
- ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識/バーバラ・M・スタフォード
- グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ/バーバラ・M・スタフォード
この記事へのコメント