というのも、以前に僕自身が「この本を読まないデザイン関係者なんてありえない」と書いた高山宏さんの『表象の芸術工学』の本のなかで、高山さんが「今、デザインを勉強しようとする人間でイエイツの『記憶術』(1966)とか『世界劇場』(1969)とか名さえ知らないなんてこと、ぼくが絶対に許しません」と断言していたうちの一冊がこれだから。
デザインを勉強している人が最低でも名前くらいを知っておかなくてはいけない本を、ここで紹介しない手はありません。
ちなみに、もう1冊の『世界劇場』も3分の2くらいは読み終えたので、そのうち紹介できるか、と。
結論から書いておくと、自分がデザインに関わる仕事や勉強をしていると思っている人は必読!の1冊だといえるでしょう。
記憶術の体系化の歴史を扱った一冊
最初にはっきり書いておかなくてはいけないのは、この本は、いま流行りの"脳"本のように記憶力を高めるための方法について書かれた本ではないということです。そうではなく、西洋ではルネサンス期まで非常に重要視されており、かつ西洋における〈宗教、倫理、哲学、心理学、芸術、文学、科学的方法等々の歴史と重要な関連を持っている〉記憶術の体系化の歴史を扱った一冊です。つまりは歴史書。
とはいえ、西洋の歴史に関しては特に興味があるわけでもなく、知識もそれほど持っていない僕が、この本をとても強い興味をもって最後まで読めたのは、記憶術という古代ギリシアで生まれた〈記憶に「場」と「イメージ」を刻み込む技術を憶えこもうとする技〉である記憶術が西洋の文化、思想に及ぼした影響が非常に大きく、それこそ、数学のコードに支えられた科学技術文明を生みだした根本要因の1つだということがこの本を読むとよくわかるからです。
まさに現代の社会をデザインするための考え方そのものをデザインすることになったのが、この本で論じられる記憶術の体系化の歴史だといってよいのだろうと感じました。
その意味でこの本は大きな意味でデザインに関わる仕事や勉強をしている人はいつかは読むべき一冊だと思うのです。
記憶術における「場」の変遷
〈記憶に「場」と「イメージ」を刻み込む技術を憶えこもうとする技〉である記憶術は、著者によれば、この術は、記憶の場としてその時代の建築を使い、そこにおくイメージとしてその時代のイメジャリーを用いる都合上、他の技芸同様、古典時代、ゴシック時代、ルネサンス時代といった時代区分をもっている。フランセス・A・イエイツ『記憶術』
といいます。
記憶したい事柄を頭で思い浮かべ、それを実際の建築物の様々な「場」にひとつひとつ「イメージ」を置いていくことで、記憶を呼び起こしたいときは、その建築のなかを再度頭のなかで歩きまわることで1つ1つイメージを思い起こしていくというギリシアの詩人シモニデスが創始者とされる記憶術は、記憶に実際の建物を使う点で時代時代の影響を受けざるをえないことを著者は指摘します。
記憶術が生み出された古代であれば古代の建築が、キリスト教の影響が強い中世においては教会のゴシック建築が、そして、古典古代の文化を復興を目指したルネサンス期のイタリアにおいては新古典主義建築が、それぞれ記憶の場として用いられることになります。
そして、イタリアルネサンスから時代的には遅れたイギリスのルネサンスにおいては、シェイクスピアのグローブ座に代表される木造の公衆劇場が記憶の舞台として選ばれます。著者は、この関連性からいまはまったく記録として残されていないためにどんな姿をしていたかが不明なグローブ座の復元を、シェイクスピアと同時期を生きたロバート・フラッドの記憶術に関する考察を含む思想から蘇らせます。それが本書における非常にエキサイティングな論考のクライマックスの1つであり、またそれは著者が次に書いた『世界劇場』でさらに展開されることにもなります(なので、僕は間をおかず、そちらの方も読み進めているわけです。
ロバート・フラッド『両宇宙誌』中の図版
中世における記憶術の「イメージ」の変化
記憶術にとって重要な要素の一方の「場」のほうに、こうした時代による変遷がみられるのと同時に、もう1つの重要な要素である「イメージ」のほうも時代における記憶術の位置づけとともに変化しました。古代においては、キケロのような雄弁家が自身の演説内容を記憶しておくために、記憶術を用いました。まだ記録のメディアとしての紙が十分に用いることができなかった時代、より多くを記憶するための技としての記憶術はその本来の実用性をもっていました。その初期の記憶術においては、場に置かれるイメージはあくまで記憶を保ちたい人自身の頭のなかにあるもので、実際に図像として物理的なメディアのうえに表現されることはなかったのです。
それが変容したのが中世においてです。それまでは単に記憶術を用いる個々人が自分の頭のなかで使ったイメージが、教会の壁面やその空間に絵画や彫刻などの芸術作品として物理的な実体をもった表現として外在化されるようになったのです。と、同時に記憶術そのものにキリスト教的道徳的な意味合いが加わり、用いられるイメージも宗教的・倫理的訓練の一環として美徳や悪徳、天国や地獄を表わすイメージが中心となります。中世において記憶術の再編を行ったのがスコラ哲学の大成者として知られるトマス・アクィナスであり、神学者としてのアクィナスが大成したスコラ学は長きに渡ってカトリック教会の公式神学となったことをあわせて考えれば、いかに中世における記憶術がキリスト教の影響下において用いられたかが想像できるでしょう。
スコラ哲学の時代は、知識増大の時代であった。それはまた、<記憶>の時代でもある。この<記憶>の時代にあって、あらたな知識を記憶するためにあらたなイメージが必要とされた。キリスト教の教義や徳育において枠組みとなる主題自体は、この時代になっても、さほど大きく変化したわけではない。しかし、その細部は、複雑さを増すこととなった。フランセス・A・イエイツ『記憶術』
アクィナスらカトリック教会の神学者たちは、古代における雄弁家の弁論術のために用いられた記憶術を、説教師たちが行う説教の記憶のための術に改編しました。そして、そこでの記憶を助けるために、絵画や彫刻などの芸術表現を用いて記憶術におけるイメージを強化したのです。そこでは記憶の場であるゴシック教会は場そのものにすでにイメージが置かれた状態の記憶術的空間になったのです。
つまり、ここでデザインの問題が生じているわけです。コミュニケーションのためのグラフィックデザインの問題。人びとのあいだに特定の価値を認知し理解して記憶してもらうためにグラフィカルなイメージを用いる現在のブランディングにおける操作とおなじ課題の解決が、宗教的道徳観、倫理観の理解・記憶のために求められていたわけです。
その具体的な技術として中世における宗教画表現の技術や、ダンテの『神曲』などの文学表現の技術が、記憶術のイメージ技術との関係で磨かれたのです。
秘術化したルネサンス期の記憶術
さらにスコラ哲学化した中世の記憶術が、古代復興のルネサンス期においては、キリスト教以前のヘルメス文化、カバラの影響、さらにはラモン・ルルの『大いなる術』(Ars Magna)などを取り込む形で大きく変容します。それはひとことでいえば、記憶術の魔術化であり、秘術化です。
そこにはカバラ・数秘術の影響を受けた前数学的な術によって大宇宙(自然世界)と小宇宙(人間)を結び付ける方法の探究がなされます。この前数学的、前科学的な探究は後に薔薇十字団やフリーメーソンなどにおける錬金術的探究を経て、ライプニッツやニュートンによる数学・科学的方法の確立にまでつながっていきます。
宇宙が魔術によって動かされているという、ルネサンス期の有霊観的宇宙論は、宇宙が数学によって動かされているという、機械観的宇宙論に至る道を準備した。ブルーノの無限の諸世界という有霊観的宇宙にも、同じような魔術=機械観的法則が浸透しており、その意味で、彼の宇宙論は17世紀の宇宙論を魔術的に表現した、ひとつの予表といえる。フランセス・A・イエイツ『記憶術』
この引用のなかに現れるブルーノ(ジョルダーノ・ブルーノ)という人物は、この本の主役といえる人物であり、スコラ哲学の解釈をくぐった古典的記憶術と、ヘルメス=カバラ主義、さらにはルルの術を統合したルネサンス期の記憶術を大成した人です。そして、ブルーノが大成した記憶術を中心に据えた魔術的哲学は、その後、近代を準備することとなる薔薇十字団やフリーメーソン的活動の礎をつくることにもなります。さらにはイタリア出身でありながら、ドミニコ教会に破門され、異端とみなされたことで、フランスやイギリスを彷徨する生涯をおくったブルーノは、中世からルネサンスへの移行が遅れていたイギリスにおいて、先にも名前をあげたイギリスにおけるロバート・フラッドの記憶術の誕生や、さらにはシェイクスピアの演劇やその演劇空間にも影響を与えることになるのです。
その意味で、このブルーノに代表されるルネサンス期における魔術的・前数学的な探究としてのヘルメス=カバラ主義的な思考がなければ、いまの数学や科学の確立もなかったかもしれないし、シェイクスピア演劇も生まれなかったかもしれないということです。
ここがこの本で論考されている記憶術というものが、宗教、倫理、哲学、心理学、芸術、文学、科学的方法等々の歴史と重要な関連を持っている〉かということがよくわかる点で、もっとも刺激的なところでしょう。
値段は高いけど、おすすめ
なにしろ、400ページを超える大著なので、ここではざっとその外観をなめただけの紹介しかできません。ただ、この本で論考された記憶術を中心した西洋の歴史的流れ―現在の数学的コードで表現された科学技術中心の世界、さらにはその世界と人間を認知・理解・記憶においてつなぐ術としての文芸表現を核としたデザイン技術が生み出された背景の中心に、この記憶術という古代の方法があったということ―は、デザイン(もちろん、企画、設計、エンジニアリングを含む)にたずさわる人びとは、すくなくとも興味をもったほうがいいし、できれば、この6千を超える高価な本を無理してでも買って読んでおいたほうがいいと思うのです。
まぁ、高いのでなかなか手を出しにくいのは確かですけどね。
ともかく、僕としては非常に楽しく読め、いろんな考えを発展させていくためにはとても役に立つ一冊でした。
興味をもった人には、間違いなくおすすめの一冊です。
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