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2014年10月11日土曜日

「候補」の敷居は低いノーベル平和賞

今年もノーベル賞のシーズンとなりましたが、青色発光ダイオードの開発で日本人がノーベル物理学賞を受賞した事は、喜びをもって迎えられていますね。青色発光ダイオードの開発は10年以上、候補と言われ続けて受賞を逃していましたから、それだけに喜びも大きなものでしょう。

そして、10日にはノーベル平和賞受賞者の発表があり、子供と女性が教育を受ける権利を訴えて、武装勢力から銃撃されたパキスタンのマララ・ユスフザイさんと、インドの児童人権活動家のカイラシュ・サティヤルティさんが受賞しました。2人の受賞理由として、子供や若者への抑圧に対する抵抗と、全ての子供が教育を受ける権利についての活動が評価されていますが、長らく対立を続けている印パ両国人に平和賞授与した事は、印パ両政府に対するノルウェー・ノーベル賞委員会のメッセージとも取れます。


オバマ大統領(2009年平和賞受賞)とマララさん


17歳で最年少の受賞となるマララさんですが、2012年に15歳で銃撃を受けた時は、世界中から銃撃に対する非難とマララさんの容態回復を願う声があがった事は日本でも大きく報じられました。物議を醸す事の多いノーベル平和賞ですが、今回は概ね好感を持って迎えられそうです。



日本国民は平和賞受賞を逃した?

ところがどっこい。マララさんの平和賞受賞に世界が沸き立つ中、不満そうな方がよりにもよって日本にいました。マララさんらと同じく平和賞候補にあがっていたとされる、「憲法9条を保持する日本国民」の落選を嘆く社民党の談話です。


1.本日、ノーベル平和賞にノミネートされ、最有力候補とされていた、「憲法9条を保持する日本国民」が惜しくも受賞を逃す結果となった。ノルウェーの民間研究機関・オスロ国際平和研究所が、「原爆などで甚大な被害を受けながら、戦争を放棄し平和のうちに復興を遂げた日本の戦後約70年間の歩みに共感する人は世界に多い。世界から歓迎されるだろう」としているなど、国際的にも期待が高まっていた。戦争放棄の「憲法9条を保持する日本国民」の代表として安倍総理に授賞式に出席していただけず、残念である。「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会はじめ多くの皆さんのこれまでのご努力に敬意を表するとともに、今後の運動の高まりに期待したい。



あー……。

普通、受賞を逃した場合は受賞者を称えてから、及ばなかった点をコメントするものだと思うのですが、談話には受賞者2人への言及は一切無く、ノーベル平和賞落選そのものについても「安倍総理に授賞式に出席していただけず、残念である」とあるだけで、安倍総理への嫌がらせと国内政治に利用したいだけで、ノーベル平和賞そのものに興味も関心も無いという本音を隠さないスゴイ内容です。仮に受賞したとしても、安倍総理が「憲法9条の精神に則り、今後も積極的平和主義を推し進め、世界の平和にコミットしていく」とでもスピーチしたら、社民党的にどうするつもりだったんでしょうか。

なお、憲法9条が「最有力候補」と言っていますが、ノルウェー・ノーベル賞委員会は選考過程を明らかにしていない為、もっぱら下馬評に過ぎません。談話で出てくるオスロ国際平和研究所ディレクターのハープビケン氏による予想では憲法9条が1位でしたが、この人は毎年3~5人の受賞者を予想していますが、あまり当たっていません……(今年は5位予想のマララさん受賞)。ちなみに、CNNではバチカン市国のフランシスコ法王を最有力としていました。このように「最有力」というのは、選考するノルウェー・ノーベル平和賞委員会委員の動向が不明な以上、かなりの希望が混じった憶測でしかないのです。

最有力候補だった? フランシスコ法王(撮影:Casa Rosada)

また、「憲法9条がノミネート」と伝えられる事も多いのですが、ノーベル平和賞を与えられる対象は個人または団体の為、正確には「憲法9条を保持する日本国民」がノミネートされています。元々は「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会という団体が、昨年の5月に始めた運動でしたが、憲法解釈変更で護憲運動に危機感が生じた事を背景として、今年に入って平和賞に候補とされた事が報じられると、運動が加速したという経緯があります。

しかし、国内の政治状況が自陣営に思わしくないからって、海外の威光を借りるのはどうなんでしょうか。先日も民主・社民党の議員が集団的自衛権の行使容認をしないようオバマ大統領に書簡を送るなど、国民を説得せずに海外の威光に頼るのは国民の代表としてどうなんでしょうね。そんな調子で、イラク派遣問題で"Show the flag"と言ったアメリカを批判できるんでしょうか。



敷居が低いノーベル平和賞「候補」

ところで、平和賞候補はどうやって決めているのでしょうか。ノーベル平和財団のサイトには、候補者を推薦する資格がある人の一覧がありますので、以下にまとめてみましょう。

  • 国会議員、閣僚
  • 国際裁判所裁判官
  • 大学学長。社会科学、歴史学、哲学、法学、神学の教授。平和研究機関や外交政策機関の役員。
  • ノーベル平和賞を授与された者
  • ノーベル平和賞を授与された団体の理事会役員
  • ノルウェー・ノーベル賞委員会の現役および元委員
  • ノルウェー・ノーベル賞委員会の元顧問

このいずれかの資格を満たせば、誰でも推薦でエントリーさせる事が出来る為、候補者になるための敷居はかなり低いです。先の社民党談話でも登場したオスロ国際平和研究所のディレクターであるハープビケン氏によれば、憲法9条を推薦したのは「大学教授らのグループ」だそうで、一番敷居が低いと思われる教授資格での推薦のようです。

平和賞候補と目される人は多く報じられていますが、ノルウェー・ノーベル賞委員会は候補者を明らかにしていません。しかし、推薦者が候補者を明らかにする例が多いので、どういった人が候補になっているのかおおよそ分かります。今年の例を挙げると、ロシアのプーチン大統領、マリファナを合法化したウルグアイのホセ大統領(推薦者:ドラッグ平和研究所)、アメリカによる情報活動を暴露したエドワード・スノーデンなど、平和賞与えていいものか判断に困る人達もいます。このように候補になるだけなら、ある程度の政治的意図を持った集団なら、自分の意思で出来るのです。


受賞者発表を受けての東京新聞のツイート。候補にあがるだけなら毎年出来ます


候補にするだけなら敷居の低いノーベル平和賞は、今年は過去最高の278の推薦があったそうです。今後もノーベル平和賞の威光を笠に着たい輩推薦資格者による候補者の推薦が増加するものと思われます。憲法9条を推薦した「教授らのグループ」も、毎年のように推薦し続ける事でしょう。



国際政治へのインパクトを重視する平和賞

今年の受賞者が印パ両国から出ていた事からも分かるように、ノーベル平和賞は政治的意味合いが強い賞です。他のノーベル賞が過去の実績に対して授与される賞であるのに対し、平和賞は未来への期待を込めて授与される事が近年目立っています。イスラーム主義を掲げる武装組織に銃撃されたマララさんへの授与は、勢力拡大を続けるイスラーム国(IS)を意識しているでしょうし、昨年の平和賞は現在も続くシリア内戦での化学兵器使用・拡散を防ぐべく活動する化学兵器禁止機関(OPCW)に授与されています。このように国際政治に与えるインパクトを考慮して選考されるのがノーベル平和賞なのですが、その中で憲法9条がどれほど国際的インパクトを与えられるでしょうか。不戦を謳った憲法9条そのものが素晴らしい事は論をまたないのですが、直近の国際問題解決にどれだけ憲法9条が寄与出来るのでしょうか。選考する側は国際紛争へのインパクトを考えているのに、そこに国内政争の為に憲法9条を推薦したところで、受賞すると思っているのでしょうか。

仮に憲法9条(を保持する日本国民)に平和賞が授与されるとしたら、それは今よりアジアの平和が脅かされている時になると思います。日本人にとり、無条件に喜べるものにはならないでしょう。


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2014年7月6日日曜日

時代と共に変わってきた集団的自衛権の憲法解釈

これまで憲法解釈上認められてこなかった集団的自衛権の行使が、解釈の変更により認められるようになった事は、各種報道でご存知の方が大半と思います。

この解釈変更について報道各社は様々に報じていますが、「歴史的な転換」、「憲法の柱」等、解釈変更の重大性、歴史性を強調する論調が目立ちます。特に目立つのは、憲法9条では個別的自衛権のみが認められており、これが憲法の平和主義の根本だ、とする論調です。
 安倍内閣は1日夕の臨時閣議で、他国への攻撃に自衛隊が反撃する集団的自衛権の行使を認めるために、憲法解釈を変える閣議決定をした。歴代内閣は長年、憲法9条の解釈で集団的自衛権の行使を禁じてきた。安倍晋三首相は、その積み重ねを崩し、憲法の柱である平和主義を根本から覆す解釈改憲を行った。

 戦争放棄をうたった憲法9条と自衛権の関係をめぐる政府の解釈は、これまでも日本の安全保障環境の変化に伴って変遷してきた。限定的とはいえ、集団的自衛権の行使を可能にする今回の閣議決定は、個別的自衛権の行使を認めた1954年以来の大転換となる。

しかし、集団的自衛権を認めないとする解釈は、日本国憲法施行の後になって成立しており、解釈も時代により異なっていた事は、あまり報じられていないようです。集団的自衛権を、どのように政府は解釈していたのでしょうか。その変遷の過程を見て行きましょう。(※以降の引用部における強調部は全て筆者による)



「解釈に自信が無かった」集団的自衛権の始まり

集団的自衛権について、国会で最初に答弁が行われたのは、1947å¹´12月21日の衆議院外務委員会の席上の事でした。当時の西村外務省條約局長の発言の中に出てきています。
ただ一つ新しい現象といたしましては、国際連合憲章の今申し上げました第五十條か五十一條かに、国家の單独の固有の自衞権という観念のほかに、集団的の自衞権というものを認めておりまして、そういう文字を使つております。この集団的自衞権というものが国際法上認められるかどうかと、いうことは、今日国際法の学者の方々の間に非常に議論が多い点でございまして、私ども実はその條文の解釈にはまつたく自信を持つておりません。

出典:西村熊雄 外務省條約局長の答弁(第七回国会 衆議院外務委員会議事録第一号)
この時点で、集団的自衛権については国際法学者でも議論があり、政府としても解釈が存在しなかった事が窺えます。念の為に書いておきますが、この答弁の前年に日本国憲法は公布されていおり、集団的自衛権についての憲法解釈は存在していませんでした。

翌年の同委員会において、中曽根康弘議員からの質問に際し、西村局長はこうも答えています。
中曽根康弘議員「そこでお聞きいたしたいと思うのでありますが、この集団的自衛権の問題です。それは国家の基本権として、国家が成立するからには当然認められる権利なんですか。」

西村局長「もちろんそう考えております。」

出典:第七回国会 衆議院外務委員会議事録第七号
少なくとも、この時点では集団的自衛権そのものについては議論があるものの、独立国家の基本権として認められる権利であろうとの見解です。これら最初期の国会答弁で確かなのは、集団的自衛権は独立国の権利として存在するが、独立国としての日本(当時は連合軍占領下)に認められるものかは曖昧なままであるばかりか、集団的自衛権そのものの解釈も怪しい状況でした。

朝鮮戦争の最中の1951å¹´、国会答弁で初めて集団的自衛権についての解釈が登場します。西村條約局長の2月21日の答弁を見てみましょう。
集団的自衛権というものは一つの武力攻撃が発生する、そのことによつてひとしくそれに対して固有の自衛権を発動し得る立場にある国々が、共同して対抗措置を講ずることを認めた規定であると解釈すべきものであろうと思うのであります。

出典:西村局長(第十回国会 衆議院外務委員会議事録第六号)
ここで初めて、集団的自衛権についての解釈が出てきます。ですが、日本国憲法との関係は未だ明らかでありません。ようやくこの年の11月7日になって、日本国憲法における集団的自衛権の解釈が登場します。
日本は独立国でございますから、集団的自衛権も個別的自衛権も完全に持つわけでございます、持つております。併し憲法第九條によりまして、日本は自発的にその自衛権を行使する最も有効な手段でありまする軍備は一切持たないということにしております。又交戦者の立場にも一切立たないということにしております。ですから、我々はこの憲法を堅持する限りは御懸念のようなことは断じてやつてはいけないし、又他国が日本に対してこれを要請することもあり得ないと信ずる次第でございます。

出典:西村局長(第十二回国会 参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録十二号)
ここに至り、日本は集団的自衛権を持つが憲法上行使できないという、違憲解釈の原型が示されました。日本国憲法公布から5年を経て、初めて解釈が示されました。この基本に沿った違憲解釈は1972年に決算委員会資料、さらに1981年の答弁書(答弁書本文)の2文書に記された事によって確立されたとされています。

このように、集団的自衛権の違憲解釈は憲法よりずっと後に確立したもので、最初から憲法で禁止されていたとは見做されてませんでした。



禁じられていなかった集団的自衛権の行使

ところが問題はまだ残ります。どこまでを集団的自衛権と看做すのかという点です。1960å¹´、林修三法制局(現・内閣法制局)長官はこのような答弁をしています。
たとえば現在の安保条約におきまして、米国に対して施設区域を提供いたしております。あるいは米国と他の国、米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対してあるいは経済的な援助を与えるというようなこと、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、こういうものを私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません。

出典:林修三法制局長官(第三十四回国会 参院予算委員会会議録第二十三号)
ここで林長官は、経済的援助や基地の提供等は憲法も否定していないという見解を述べています。現実に1991年の湾岸戦争は、クウェートを侵略したイラクに対する集団的自衛権集団安全保障の行使の典型例ですが、日本は多国籍軍に対して経済的な支援を行っています。

また、現在の複雑な国際環境においては、個別的自衛権と集団的自衛権を厳密に分けるのが難しいという問題もあります。この問題について、日米安保条約・在日米軍が憲法9条に反し違憲であると争われた砂川事件の1959年最高裁判決の中で、田中耕太郎最高裁長官は補足意見としてこのように述べています。
今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従つて自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。

この判決の中で、田中最高裁長官は自衛の概念について、他衛も自衛も同様の物であるとした上で、それが各国の義務であるとしています。この解釈に立てば、集団的自衛権の行使は否定されておらず、もちろん違憲ではありません。

このように1959年の最高裁長官、1960年の法制局長官は、集団的自衛権の行使を部分的に認めていました。しかし、1960年代以降は国会での駆け引きの結果、先の2文書に見られるような内閣法制局による違憲解釈が取られるようになりました。

本来、憲法解釈について、単なる行政府の一機関である内閣法制局による判断が、総理大臣、果てや最高裁判所長官の判断に優越するなんて事はありませんし、現在の内閣法制局長官は変更解釈の変更は可能としています。憲法解釈そのものを「憲政の破壊」とする一部報道こそ、憲法とその解釈確立と変遷を無視した、憲法を蔑ろにする行為であると言えます。



憲法9条と国際協同体に対する義務は矛盾しない

最後に。世界で集団的自衛権の概念を初めて明示した国連憲章ですが、その第43条に国際平和が脅かされる事態に際して「すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ一つ又は二つ以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する」と、国連加盟国による兵力供出を義務付けています。これはまさに集団的自衛権そのものですが、かつての集団的自衛権行使を認めない解釈では、この国連憲章の義務の履行は出来ません。これは集団安全保障として機能する建前ですが、現実的には大国の拒否権により国連安保理で否決される可能性が高い為、地域機構による安全保障を可能とする概念として、集団的自衛権が誕生しました。そして、アメリカの集団的自衛権に依存した安全保障が、日米安保条約です。

今回の解釈変更により、集団的自衛権の行使が可能となりましたが、国連の集団安全保障に基づく派兵についてはどうでしょうか。
このような憲法9条解釈と国連憲章43条の国際協同体に対する義務の相剋について、砂川事件判決文にこのように記されています。
憲法九条の平和主義の精神は、憲法前文の理念と相まつて不動である。それは侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄する。しかしこれによつてわが国が平和と安全のための国際協同体に対する義務を当然免除されたものと誤解してはならない。我々として、憲法前文に反省的に述べられているところの、自国本位の立場を去つて普遍的な政治道徳に従う立場をとらないかぎり、すなわち国際的次元に立脚して考えないかぎり、憲法九条を矛盾なく正しく解釈することはできないのである。

半世紀以上前の文章ですが、まるで現在を見通したかのような内容です。国際的な視野に立ってこそ、憲法9条は矛盾なく解釈する事が可能であり、国際協同体の義務履行と憲法9条は矛盾しない事が謳われています。

ここまで見てきた事から、憲法解釈は時代とともに変わってきた事、過去に集団的自衛権の行使を認めた解釈が存在した事がお分かり頂けたと思います。今回の憲法解釈の変更は、半世紀前に示された国際協調への回帰とも言えるでしょう。

しかし、理想の実現も大事ではありますが、理想の実現に大きな代償を支払わされる時が来るかもしれず、代償を払っても実現できる保証はありません。今回の憲法解釈変更を巡る議論は観念的なものが目立ち、賛成・反対双方で現実的なシチュエーションとリスクについて徹底的な議論がなされたとは思えません。そもそも、憲法前文に掲げる日本の理想とは何か、どのように実現していくのかという根本的な疑問について、今まで真剣な議論がなされた事があるでしょうか。それ以前に、憲法前文を知っている方がどれだけいるでしょうか。

これを機会に、日本国民が目指す理想とは何か、考えてみてもいいかもしれません。

※2014/07/06 22:10訂正:国連憲章51条に基づく集団的自衛権と集団安全保障について混同が見られるとのご指摘を受け、当該部を訂正致しました。赤字部分が追記となります。

【参考資料、及び理解の助けとなるサイト】

鈴木尊紘「憲法第9条と集団的自衛権 ―国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る―」(国立国会図書館)

国会図書館政治議会課憲法室の鈴木氏による、集団的自衛権を巡る国会答弁の変遷過程についての分析。解釈の変化について、時代毎に政府答弁から抽出し、時勢によりどのような議論がなされたかを明らかにしています。


苅部直 「「右傾化」のまぼろし――現代日本にみる国際主義と排外主義」(nippon.com)

東京大学法学部の苅部教授による「右傾化現象」についての考察。集団的自衛権行使容認は右傾化ではなく、戦後の憲法思想史においては集団的自衛権は日本国憲法の国際協調主義に合致するとの「積極的」意見が存在した事を提示。むしろ、右傾化への懸念を、粗野なナショナリズムを抑えた論議に繋げるよう提言しています。


細谷雄一「集団的自衛権をめぐる戦後政治」 IIPS Quarterly 第5巻第2号(2014å¹´4月)

細谷雄一「集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定」(細谷雄一の研究室から)

慶応大学法学部の細谷教授による論考とブログ記事。論考では佐藤政権時の転換により、その後の憲法解釈が拘束されるていく変遷過程を示し、その解釈の変更の必要性が何故必要かを論じています。ブログ記事では、各種の報道や国際的反応を踏まえた上で、これまでの解釈の問題点について分かりやすくまとめられています。


森本敏「武器輸出三原則はどうして見直されたのか?」

本稿では言及しませんでしたが、集団的自衛権の行使容認については、武器輸出三原則の変更も密接に関連しています。その背景について、元防衛大臣で拓殖大学大学院の森本教授が、防衛当局者の座談会をまとめるという形で明らかにしています。