台湾における「慰安婦」の強制連行

野田氏は台湾の元「慰安婦」16人を診察してこの本で紹介しているが、漢族の女性の場合「看護助手の仕事がある」などと騙されて「慰安婦」にされたケースが目立つのに対し、先住少数民族の女性の場合には拉致されたケースが少なくない。

12 タイヤル族。十七歳のとき、日本兵に捕まり、「飯炊きをすればよい」と言って新竹の軍駐留地へ連れていかれた。八ヶ月間拘束。二一歳で結婚、子ども六人。
13 タロコ族。一一歳のとき、花蓮・瑞穂へ強制移住させられ、過酷な日々を送る。一八歳のとき(一九四四年冬)、近くの日本軍駐留地へ連れていかれた。妊娠して出産、子どもは知人にあずけ、台北で働いて生き抜いてきた。
(……)
16 タロコ族。一七歳のとき、警察の車で花蓮の日本軍駐屯地へ、四人の村の娘と共に連れていかれた。彼女は抵抗し、強姦されていない、その日のうちに帰ったという。
(279-280ページ)

番号は原文にあるもの。他に2名、日本軍の倉庫で数ヶ月間監禁・強姦された先住少数民族女性がいるが(14、15)、倉庫に連れていかれた経緯が記されていないため省略している。
『虜囚の記憶』では他にも海南島と山西省の性暴力被害者を診察した結果が紹介されているが、日本軍将兵にとっての女性のハイアラーキーがかなり明確に現れているのが関心を惹く。野田氏も「植民地台湾の人びとを日本側の人と見ており、海南島や山西省の女性に加えた生殺与奪の暴行はなかったようである」(281ページ)としている。しかし同じ台湾人でも漢族と先住少数民族の扱いには(事例が多くないので断言するのははばかられるものの)違いがあるように思われる。8月20日のエントリで触れた台電第六〇二号に「慰安土人五〇名」とあるのはおそらく先住少数民族の女性のことではないか、と D_Amon さんとツイッター上でやりとりしたのだが、漢族を「敵か、味方か」で区別すると同時に、植民地住民をさらに「文明化」の度合いで区別していた、というわけだ。