偽の論点による偽の反論(の・ようなもの)

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51796333.html
本来であれば改めてとりあげるまでもない愚論なのだが、新宿ニコンサロンでの安世鴻写真展をめぐるニコンの腰砕けの対応(仮処分命令後はむしろ自ら写真展を潰しにかかっているようだが)や、先週末に「復帰」40年目の「慰霊の日」を迎えたことで関心をもった方もおられるだろうから、簡単にコメントしておく。

史実にこだわるなら、まず朝日は「慰安婦が女子挺身隊として強制連行された」と記述し、今に至る騒動のきっかけとなった1992年1月11日付の記事を訂正して謝罪すべきだろう。

来ました、定番の「慰安婦」問題=朝日新聞起源論。朝日の、たったひとつの記事がそれほどの影響力を発揮したとは驚きだ! しかし「挺身隊」についての誤解は朝日新聞の専売特許ではなく、読売新聞の記事にもみられることは、ずいぶん前に小倉秀夫氏によって明らかにされている。言ってみれば、戦後の日本社会がアジア・太平洋戦争の記憶特に加害体験に関わる記憶に蓋をすることに十分成功していたことの現れだと言えよう。
そして「挺身隊」に関する誤解は(少なくとも日本においては)とうに解消され、その後の調査・研究を踏まえた形で問題は提起され直しているのに、それを無視し続けているのが池田信夫のような人々なのである。

慰安婦という軍属がいなかったことも歴史的に明らかである。

軍属じゃなかったらどうなのか、さっぱりわからない。おそらく「だから従軍慰安婦は存在しない」と言いたいのか? しかし一般的ではないにせよ慰安婦が軍属となっていた例もあると思われるほか、正規の慰安所の慰安婦は「軍従属者」という法的位置づけになるので、「従軍慰安婦」という用語には何の問題もないし、軍属じゃないからといって軍の関与が否定されるわけでもない(この点、こちらを参照)。他方、非公式に開設された、むしろ「強姦所」とでも言うべきかたちでの性暴力に関しては、被害者が軍属でなかったことなどなんの弁明にもならないのは当然である。


次は沖縄戦関連。

「日本軍による住民虐殺」という事実がなかったことも最高裁が認定している。

ここで「最高裁」という語に、彼が大江・岩波訴訟の最高裁判決を受けて書いたエントリへのリンクが貼られているので、以下ではそちらを相手にすることにしよう。まずテクニカルな話をするなら、この最高裁判決は型通りの上告棄却、上告不受理決定に過ぎないので、最高裁がなんらかの事実(やその不在)を認定したなどという事実はない。では下級審ではどうだったかというと、地裁判決も、この点に関する事実認定についてほぼ地裁判決を踏襲した高裁判決も、ともにスパイ容疑等での住民の殺害、壕からの追い出し(米軍の砲爆撃による死につながる)などがあったことを認定している。

裁判を通じて明らかになったのは、赤松大尉は住民を「屠殺」するどころか、集団自決を思いとどまるよう伝えていたということだった。
(http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51701149.html)

判決は赤松大尉が軍律裁判等の手続き抜きに住民を殺害(処刑)したことを認めている。また、赤松大尉が「集団自決を思いとどまるよう伝えていた」ことが事実であるとは、判決は認定していない。逆に「かねて米軍上陸の際には住民を玉砕させるという方針を取っていたことは十分考えられ, それを否定するに足る的確な証拠はない」としている。
次の一節にもいろんなゴマカシがみられる。

一審の大阪地裁は「軍の命令があったと証拠上は断定できないが、関与はあった」という理由で原告の申し立てを退けた。これは「ノーベル賞作家」に配慮した問題のすり替えである。原告は赤松大尉が集団自決を命令したかどうかを問うているのであって、軍の関与の有無を争ってはいない。軍の関与なしに手榴弾を入手することは不可能である。

原告の主張が斥けられたのは単に「関与はあった」ことが認められたからだけではなく、隊長らの命令があったという記述に「真実相当性」があると認められたからである。また「軍の関与の有無を争ってはない」というのは嘘である。例えば原告は渡嘉敷島において手榴弾の交付がなされた事実はない、と主張していた。さらに言うなら、そもそも「軍命令」に言及していなかった歴史教科書の記述から軍の関与まで消し去ろうとした教科書検定と、この訴訟は密接に関連している。右派のプロパガンダを巨視的にみれば「軍の関与」を否定しようとしているのであり、この訴訟はそのための足がかりとされていたのである。