「説明」と責任

ちょっと間があいてしまったが、先日のエントリで「別稿にて」と予告しておいた件について。


当該のエントリで『日中戦争の国際共同研究 2 日中戦争の軍事的展開』の「まえがき」から引用した文章の冒頭にある「そうした論争もあったにせよ」とは、具体的には台児庄の戦いの戦略的な効果や三光作戦の計画性(上級司令部レベルでの)などをめぐるものだったとされているが、それよりも一般的なレベルの問題として次のようなことが記されている。

 (……)日中戦争の侵略性を否定する日本人研究者はいなかったが、それでも、日本軍の「蛮行」の理由を説明(弁明ではない)しようとすると、激しい批判が加えられた。
(vページ)

むろんそのやりとりを目撃していない人間として無責任に想像するなら、「弁明ではない」と称してはいるがいかにも「弁明」じみたことを口にした日本側参加者もいたんじゃないの? などと考えることも可能ではある。しかしより本質的な問題として、いわゆる「実証的」な方法、とりわけ「日中歴史共同研究」の日本側メンバーの一人である庄司潤一郎・防衛研究所戦史部第1戦史研究室長が言うところの「個々の具体的「事実」を検証するとともに、その客観的な原因に関して政策決定過程を通して究明する」方法自体がはらみ得る問題をここに見出すことができるのではないか(リンク先はPDFファイル。ni0615さんのサイトにもアーカイブされています)。
まず第一に、ある人間が何をどう決断し行ったかについての「科学的」な説明は実のところ「責任」を蒸発させてしまうということ。これは普通の刑事犯罪についても同じことだが、「自己原因としての自由意志」という実体を想定するのでもない限り、犯行の原因は「科学的」には――それが心理学であれ社会学であれ神経生理学であれ――必ず犯人の外部に求められることになる。「犯行の原因」とはすなわち「犯行を思いとどまれなかった原因」でもあるが、「犯行を思いとどまれなかった原因」を犯人が自由意志によって無効化できたのであればそもそもそれは「犯行の原因」として機能しないのであるから。国家指導者や軍の要人のうちに「自己原因としての自由意志」を想定できないのと同じように、こんにち「科学的」とされるような説明は「自己原因としての国家意志」のようなものを措定することを許さないから、「科学的」な説明が精緻を極めれば極めるほどに侵略戦争の「原因」は国家指導者や軍の要人たちの外部に求められ、戦争犯罪の「原因」は軍司令官や参謀や前線の下級将校・兵士たちの外部に求められることになってしまう。
(この問題については『責任という虚構』(小坂井敏晶、東京大学出版会) がホロコーストや刑事犯罪を題材として詳しく論じているので、興味のある方は参照されたい。)


第二に、「日中歴史共同研究」にしても先日紹介した『日中戦争の国際共同研究』シリーズに結実した研究についても政治外交史や軍事史の研究者が中心になっていることから生じる問題がある。「日中歴史共同研究」における日本側座長である北岡伸一・東大教授について、当ブログでは以前に次のような逸話を紹介したことがある。

『前衛』の1月号でも南京事件70周年と題した座談会が掲載されているというので買ってきた(尾山宏・笠原十九司・吉田裕の三氏による鼎談)。これで、もしガサ入れ喰らうようなことがあったら公安の刑事がお出ましになりますな(^^;
現在発売中の雑誌なので詳細を紹介するのは控えるが、一点だけ興味深いところに触れておきたい。
204ページで吉田教授が今年の8月15日の読売新聞に触れ、次のように述べている。

北岡伸一・東大教授が「慰安婦」決議の背景にあるものとして、「(アカデミックな分野では)最近の米国では伝統的な政治外交史研究者が少数派になり、日本研究といえば民衆史や女性史が多くなっている」と苦々しく語っていました。

私もこの部分は読んだのだがいま手許にはないので「苦々しく」というニュアンスだったかどうかは留保するけれども、確かにもっぱら否定的な意味あいでそうした変化を指摘する、という流れではあった。

研究者が自分の専門分野の重要性をアピールしたいと思うのは自然なことであろうし、歴史を重層的・複眼的に把握するためには政治外交史もまた重要なアプローチであることは確かであろうから、仮に政治外交史研究が軽視されているといった風潮があるのならそれを憂うことに一定の理はあると言うことはできよう。しかし従軍「慰安婦」問題はそれまで知られていなかった事実の発掘ではなく、その気になれば誰でもアプローチできた事実が新たな解釈を与えられることにより問題視されるようになったケースの典型であり、その意味で「伝統的な政治外交史研究」は「なぜ軍慰安所を問題化できなかったのか?」についての反省を迫られるべきところであるはずだ。しかし北岡伸一氏のコメントは、あの戦争を生きた(ないし生きることを強いられた)一人一人の人間の体験をネグるための口実として「伝統的な政治外交史研究」の重要性を持ち出している、と言われてもしかたないのではないだろうか。「日中歴史共同研究」の日本側報告書(の日中戦争に関連する部分)を読んでも、『日中戦争の国際共同研究 2 日中戦争の軍事的展開』を読んでも、平凡な中国の市民があの戦争をどう体験したのかはまるで見えてこない。日本政府や軍部の意思決定プロセスを「科学的」に解明することの意義を否定するものではまったくないが、「政治外交史」への偏重がなにを隠蔽するかについての自覚も必要なのではないだろうか。


日本軍の戦争犯罪についての研究には相当な蓄積もあると思うし、また「日本人」の戦争体験――戦場のそれであれ銃後のそれであれ――については社会史や民衆史、オーラル・ヒストリー的なアプローチによるものも相当程度紹介されていると言えると思うが、それらに比べても実際にほとんどの戦闘の戦場となったアジア各国・諸地域の人びとがあの戦争をどう生きたかについては、(素人が管見する限りでは)日本における研究の蓄積も一般向けの紹介もたち後れているというのが実情ではないだろうか。『銃後の中国社会 日中戦争下の総動員と農村』(笹川裕史・奥村哲、岩波書店)は文書資料に依拠した「伝統的」なアプローチながら、国民党支配地域における食料の徴発と徴兵という2つの角度から南京事件・三光作戦・731部隊・重慶爆撃などの象徴的な事例とは違った、中国市民の戦争体験(の一端)を明らかにしようとしたものとして、なかなか興味深い。