南京事件と相対的剥奪

南京攻略戦において歩兵第65連隊と山砲兵19連隊第3大隊を指揮した(山田支隊)歩兵第103旅団長山田栴二少将の日記(12月24日)に次のような記述がある。

一、予備兵のだらしなさ
1、敬礼せず
2、服装 指輪、首巻、脚絆に異様のものを巻く
3、武器被服の手入れ実施せず赤錆、泥まみれ
4、行軍 勝手に離れ民家に入る、背嚢を支那人に持たす、牛を曵く、車を出す、坐り寝る(叉銃などする者なし)、銃は天秤
5、不軍紀 放火、強姦、鳥獣を勝手に撃つ、掠奪

「兵の機敏なる、皆泥棒の寄集りとも評すべきか」「旅団司令部にてもぼやぼやし居れば何んでも無くなる、持って行かる、馬まで奪られたり」とあるので、“敵から奪う”の域を越えて軍紀が頽廃していたことがわかる。
研究者も予備役、後備役から召集された将兵が多かったことに注目している。

(・・・)とくに日中戦争の場合、動員された日本軍は、多数の予備役兵、後備役兵をかかえていただけに事態〔=戦意の低下。引用者〕は深刻であった。若い現役兵と異なって、自分自身の家族と生活を持ち一枚の召集令状(赤紙)によって戦場に駆り出されてきた彼らは、それだけにより多く「娑婆」の空気を引きずっていたのである。
(吉田裕、『天皇の軍隊と南京事件 もうひとつの日中戦争史』、青木書店、33ページ)

マートンが「準拠集団」論を展開する際に依拠した研究がそういえばアメリカ陸軍の兵士*1についてのものだった、ということを思いだした。

 次にあげたリストは、『アメリカ兵』の中で相対的不満の概念(あるいは相対的地位のような類似の概念)にはっきり頼っている調査を、一つ一つ極めて簡略化してではあるが示したものである。

 一 召集された既婚の兵士についていえば、「彼は自分と軍隊内の未婚の同僚とを比べて、同僚より自分のほうが召集でより大きな犠牲を求められたと思うし、またまだ召集されていない既婚の友人と自分を比べて、自分が犠牲を求められているのに、友人はそれをまったくまぬがれていると思う。」(I, p.125)
(後略)
(R,K.マートン、『社会理論と機能分析』、青木書店、155ページ)

強調は原文では傍点。また原文での字下げをblockquoteで表現。また「相対的不満」と訳されているのは relative deprivation で「相対的(価値)剥奪」とも。
アメリカと日本では徴兵制度も軍事的動員の実態も違うのですべての点で同じ分析が可能というわけではないだろうが、既婚者と未婚者を比較したこの部分はさほど無理なく日本軍にも当てはめることができるのではないだろうか。

*1:Samuel A. Stouffer et.al., The American soldier : adjustment during army life (Studies in social psychology in World War II, Vol.I), 1949, Princeton U.P. / Samuel A. Stouffer et.al., American Soldier: Combat and Its Aftermath (Studies in social psychology in World War II, Vol.II), 1949, Princeton U.P.