否定論の「性暴力」観

先日、水島聡氏の軍慰安所に関する実に斬新な見解を紹介しました。

 それぞれ二時間以上のロングインタビューとなったが、私は意識的に慰安婦の問題を具体的に聞いてみた。南京大虐殺肯定派の人々は、虐殺だけではなく、二万人から八万人の日本軍の強姦を主張している。しかし、慰安婦とそのシステムが南京に存在したとすれば、間接的にではあるが、大量の強姦事件などは否定できるのである。まあ、強姦やり放題だったとすれば、慰安婦など必要無い筈だからである。

資料が示すところでは、旧軍は性病防止と並んで強姦防止を慰安署設置の目的として考えており、強姦を女性に対する人権侵害として真摯に受けとめる姿勢こそ(資料からは)見いだし難いものの*1、強姦の多発が日本軍による占領地統治や宣撫工作に悪影響を及ぼすこと、すなわち「占領地で強姦が多発すれば占領地の住民は怒ること」はきちんと認識していたと言えます。しかし水島歴史学によれば旧軍が考えていたのはひたすら“将兵が性欲を充足させること”だけであり、強姦が多発していたのであればそれはそれで結構なことだ、と考えていたことになってしまいます。
似たようなことをほんの少し上品ないい方で表現しているのがnekoyama氏です。

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同様に、これは慰安所が必要とされた理由、すなわち、旧軍将兵(特に召集の中年兵)のモラルの低さ=レイプ事件の頻発、という論点でも必要と感じます(これは南京戦に関する話題でも同様です)。実際に中国(華北だけですが)の農村部をつぶさに見た人間としては、七十年前とはいえ、大陸で旧軍将兵によるレイプ事件が、市井によるそれよりも高頻度で頻発したという見方には疑問を感じます。誤解を恐れず言わせていただければ、将兵にとって性の捌け口となる女性がいなかったからこそ、白い肌で清潔な邦人・鮮人の慰安所が必要とされた、という視点はあってしかるべきです。差別云々ではなく、それこそがリアリティです。私は単なるサラリーマンで利害関係もなく、匿名のネットなので口に出来ることです。
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この解釈によれば、日本軍は性病への罹患や占領地での強姦の発生といった事態への危惧が存在しないにもかかわらず、将兵の“福利厚生”のために慰安所を設置したということになります。次のような通牒を出した北支那方面軍参謀(もちろん、華北に駐留していた軍です)はとてつもない取り越し苦労をしていたか、とんでもないガセ情報を憲兵隊からつかまされていた、ということなのでしょうか?

二、 治安回復の進捗遅々たる主なる原因は後方安定に仕する兵力の不足に在ること勿論なるも、一面軍人及び軍隊の住民に対する不法行為が住民の怨嗟を買い反抗意識を煽り共産抗日系分子の民衆煽動の口実となり、治安工作に重大なる悪影響を及ぼすこと尠しとせず。
而して諸情報によるに、斯の如き強烈なる反日意識を激成せしめし一原因は各所に於ける日本軍人の強姦事件が全般に伝播し、実に想像外の深刻なる反日感情を醸成せるに在りと謂う。
(「軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件」)

「七十年前とはいえ」と自身述べていながら、「70年前の日本軍兵士(そのなかには当時身売りが発生するほど貧しい農村出身者もいた)の目に映った70年前の華北の農村」と「出張だか旅行だかで中国に出かける現代日本人の目に映った現在の華北」との違いをどこまできちんと考えているのか*2とか、「サラリーマン」であることが「利害関係もない」ことの担保になるのなら私もここで「利害関係もない」ことを宣言したうえで「そんなバカなはなしがあるかよ」と感想を述べさせてもらいたいとか、いろいろツッコミどころはありますが、なんといっても、「慰安所=公娼制」論者ですら否定しないことを二人揃って否定しているのが注目されます。
慰安所制度弁護論の中には目的(=強姦防止)は間違ってなかったんだから…というものがあるくらいで、これに対する再反論にも「強姦防止策として慰安所設置をまず思いつくのが問題」とか「慰安所は強姦防止策として効果が(あまり)なかった」というものはあっても、軍が主観的には強姦防止の効果を狙ったことは否定されません。なにしろ「強姦の防止を目的の一つとして慰安所が設置された」ことを示す資料は存在しても、それを否定する資料はただの一つも存在していないのですから。旧日本軍が「性病や強姦といった懸念もないのに慰安所をつくった」「強姦が多発するなら放置するつもりでいたが、強姦が起きなかったので慰安所をつくった」のだとすると、旧軍首脳の道義的水準は現在多くの左派が想定している以上に頽廃していたということになりそうです。保守派・右派ですら多くの場合認めている大前提を否定してまで、この二人が守ろうとしているのは一体なになのでしょうか?


ヒントになるのが、二人の議論が性暴力をただただ「性欲」の問題としてのみ捉える態度を共有していることです。これは戦時性暴力のみならず性犯罪全般について特に保守派が抱きがちな認識で、性犯罪の被害者に対する犠牲者非難もこの認識と深く関係していると思われます(“露出の多い服を着て性欲を喚起したのが悪い”といったパターン)。多くの保守派は「性暴力は性欲によって(のみ)起きる→日本軍は慰安所をつくった→それゆえ、それ以降は性犯罪はほとんどないはずだし、慰安所設置は正当化される」と考えるのに対し、この二人は一歩進んで「強姦の多発はなかった→それゆえ将兵が性欲を満たす機会はなかった→だから慰安所を設置した」と考えているわけです。こういう議論に対しては「いくらなんでもそれはあんまりだ」と保守派・右派内部から批判が起きることを期待したいですね。もっとも、「南京の真実 情報交換掲示板」では、次のような投稿がなんら批判されずにいるところをみると、期待薄ではあります。

アメリカ人が見たがるタイトルを副題に付けた方が良いのでは?
『レイプ・オブ・ナンキン』このタイトルこそが、他国の歴史に無関心なアメリカ人を、ここまで夢中にさせたのである。


米国人にとっては、アジアの小国・日本の過去の真実なんかどうでもいいことで、『南京の真実』では、誰も見てくれないのではないだろうか?
そもそもアメリカ人は《レイプ》だから見るのであって、《レイプしていない》ものはつまらないから手に取ることすらしないだろう・・・というのが私の予想である。


真実を検証して《レイプは無かった》というのは、彼等にとっては非常につまらない結末であるに違いない。
せっかくレイプのエロビデオを見て興奮したのに、そのやらせ風景を見せられて喜ぶ者はいないからだ。
(後略)
(スレッド120 「アメリカ人の興味をそそる題名を!」)

*1:日本軍将兵による強姦の多発を、日本国民の道義的頽廃として認識していたことを示す資料は存在しますが、「強姦を行なうことは恥辱であるからいけない」と「強姦は被害女性への人権侵害であるからいけない」の間には無視できない違いがあります。

*2:なんといっても戦争で敵国に出かけるのと、出張や旅行で海外に出かけることとの違いを無視しているのは致命的です。