「きい」弾を装備していた上海派遣軍

(実際には14日に投稿)
アジア歴史史料センターのWebサイト*1ではスキャンされた史料を検察・閲覧できるのだが(デフォルトではブラウザにプラグインが必要だが、JPEGでも閲覧可)、調べるべきものがよくわかっていない素人には使いこなすのがなかなか難しそう。以前に「日本軍は弾薬が不足していたから、虐殺なんてあったはずがない」と主張する人々を相手にしていたので、ふと思いついて上海派遣軍に関する記録を探してみた。すると、こんなものを発見。

弾薬交付の件(昭和12年 「陸支機密大日記 12年3冊(4冊の内)」
陸支機密 陸軍兵器本廠長ヘ達 別紙ノ通上海派遣軍ニ補給方取計フヘシ但シ費用ハ臨時軍事費支辨トシ宰領者トシテ尉官一名宛ヲ附スヘシ尚特ニ機密ノ保持ヲ期スヘシ 陸支機密第三六〇号 昭和十二年十月二十五日 陸支機密 副官ヨリ上海派遣軍参謀長ヘ通牒 別紙ノ通貴軍ニ補給セシメラルルニ付依命通牒ス 陸支機密第三六〇号 昭和十二年十月二十五日
(レファレンスコード:C01005653700)

で、なにが交付されたのかというと…

  • 九四式軽迫撃砲 九五式あか弾弾薬筒 二〇、〇〇〇(交付 十一月一〜二日) 一、〇〇〇(交付 十一月九〜十日)
  • 九四式軽迫撃砲 九五式きい弾弾薬筒 一〇、〇〇〇(交付 十一月一〜二日) 九〇〇(交付 十一月九〜十日)
  • 四年式十五粍榴弾砲 九三式あか弾 弾筒共 二、七五〇(交付 十一月一〜二日) 二〇〇(交付 十一月九〜十日)
  • 四年式十五粍榴弾砲 九二式きい弾 弾筒共 二、七五〇(交付 十一月一〜二日) 二、五〇〇(交付 十一月九〜十日)
  • 三八式十五粍榴弾砲 九三式あか弾 弾筒共 二、七五〇(交付 十一月一〜二日)
  • 三八式十五粍榴弾砲 九二式きい弾 弾筒共 二、七五〇(交付 十一月一〜二日)
  • 九三式あか筒 三五、〇〇〇(交付 十一月一〜二日)
  • 九四式山砲 九二式あか弾弾筒 三、五〇〇(交付 十一月一〜二日) 七、五〇〇(交付 十一月九〜十日)
  • 三八式野砲 九二式あか弾弾筒 二、五〇〇(交付 十一月一〜二日) 一、五〇〇(交付 十一月九〜十日) 
  • きい一號 乙 四〇屯(交付 十一月一〜二日) 二〇屯(交付 十一月九〜十日)

いずれも広島の宇品港で船積みされることになっているが、これはもちろん広島の大久野島に毒ガス工場があったからである。また、同年11月13日づけでも「弾薬交付の件」とされた書類(陸支機密受第五九七號、陸支機密第三九七號、陸支機密第三九七號、レファレンスコード:C01005668000)が作成されており、それによれば「きい二號 一〇屯」が十一月十六日に交付されることとなっている。
「あか」の方は日本軍が実際に使用したことが明らかになっているものの、致死性のガスではないのでその違法性について議論がある。他方、「きい」とはイペリットなどびらん性のガスで、違法性に疑いはないものの、日本政府はこれまで日本軍が使用したことを認めていない*2。青狐さんが以前に紹介されたように、日本軍は南京攻略にあたって毒ガスを使用する計画を立てていたが、これが机上の空論ではなく実際の装備の裏づけのあるものだった、ということがわかる。はじめから使うつもりのない兵器をわざわざ前線にまで送るはずはないので、少なくとも日本軍は「場合によってはびらん性ガスを南京で使うつもりがあった」ということは間違いないわけである*3。

*1:非常に間の悪いはなしですが、9月15日から10月9日まで、メンテナンスのため閲覧できなくなるそうです。

*2:しかしながら、使用したであろうと考える根拠はある。ゆうさんの考察をご参照ください。http://www.geocities.jp/yu77799/dokugas/dokugas2.html

*3:10月25日追記。青狐さんが紹介しておられる攻撃計画では、「爆撃」によって毒ガスを使用することになっている。その場合、おそらくは海軍の航空隊を出撃させることになったと思われるが、この「弾薬支給の件」はもちろん陸軍、上海派遣軍への毒ガス配備を示すもので、この配備が直ちに第十軍立案の計画のためのものであった、ということではない。若干ミスリーディングな書き方であった。ただし、第十軍の計画の「本気度」を推し量る材料となる史料であることには変わりないだろう。