南京からベイルートへの道

レバノン情勢は、イスラエル軍が国連の暫定軍基地を空爆し死者が出た(とされる)事態になっている。誤爆ではなく意図的な攻撃の可能性があるとしてアナン国連事務総長が調査を要求しており、“なにが起きても不思議はない”という常套句が虚しく聞こえるほどだ。


本当はいままさに死者が出ているレバノン情勢についてもっと調べ・書くべきなのだろうが、なにぶんベースになる知識に乏しいので…。それに、南京事件を問うことは決していまレバノンで起きていることと無関係ではない。というのも、南京事件の背景には 1) 補給の軽視、2) 兵士の人権を無視した教育・作戦といった旧日本軍の体質もあるものの、同時に日中戦争が(中国側から見れば)一種の植民地独立闘争であったことがあるからだ。すなわち、一般市民の生活空間が戦場となり、民間人に被害が出ることを前提とした軍事行動(たまたま、運悪く非戦闘員が巻き込まれるのではなく)をとらざるを得ない戦争だった、ということである(もちろん、日本が戦争などしかけなければそんな事態にならずにすんだのだが)。さらに、宗主国(日中戦争の場合日本を宗主国と呼ぶのは厳密には正しくないが)の人間が植民地の“現地人”に対してもつ人種偏見・民族蔑視も、列強間の戦争の場合以上に、敵を非人間化し残虐行為への心理的ハードルをさげる効果を持つだろう。


南京事件否定派が好んでとりあげる「便衣兵」問題も、ことばを「ゲリラ」と改めればそのアクチュアリティーは直ちに明瞭となろう。実際には南京陥落後の中国兵はほとんどが武器を放棄して軍服を脱いだ「敗残兵」であって、軍服を着用せずに武装して抵抗するゲリラだったとは言い難い。だが第二次上海事変に際して中国人民間人が中国軍に様々なかたちで協力し、それが日本軍苦戦の一因となったことは事実である。第十軍司令官柳川中将の「山川草木全部敵なり」という発言はまさに、植民地の独立ナショナリズムに直面した軍隊の抱く恐怖と、その恐怖ゆえの過剰反応をみごとに物語っている。ヴェトナムでもアルジェリアでも同じことは起こったし、パレスティナで起きているのも同じことである(もちろん、それぞれの「戦争」に固有性があることを否定するものではない)。南京からソンミを経てベイルートへ向かう道。


南京事件の犠牲者を30万人とする中国政府が現時点でどのような「根拠」を考えているのかについては不案内なのだが、日本側研究者の推定値との食い違いについては「通常の戦死者もカウントしているのではないか」と考えることも可能である。仮にそうだとして、戦死者と戦争犯罪の被害者とを区別する必要があるというのは一方の正論であるが、侵略戦争の犠牲者は戦死者であれ民間人の死者であれすべて「犠牲者」だ、と考えることは決して理解できないことではない。日本人だって、広島の原爆による死者を「軍人・軍属」「軍需工場に勤務していた者」「その他の市民」などに区分してカウントしてはいないのだ。


また、南京攻略戦は都市への空爆が初めて本格的に行なわれた戦争、としても記憶にとどめられるべきであろう。日本軍による空爆としては重慶爆撃の方が有名で、かつ規模も大きかったが、時間的には南京への空爆の方が先行している。当時南京にいたアメリカ人宣教師ミニー・ヴォートリンの日記は、空爆におびえる民間人の姿を記述したもっとも古い文献の一つ、ということになるだろう。南京から広島を経てファルージャへと向かう道。(ファルージャの名は青狐さんにインスパイアされました。)




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