休日を30日増やして、給料はそのまま。残業は週に2時間程度。それでもサービスの質は落とさず、利益率は10%にアップ──。「休めない旅館」はいかにしてそんな離れ業を実現したのか。

「『笑顔で接客』と言われても、こんな状況でどう笑えというんですか」「忙しいときは毎日11時間も働いて、月に6日しか休みがない。もう耐えられません」
福井県あわら市にある温泉旅館「グランディア芳泉(ほうせん)」の山口賢司専務は数年前まで、そんな社員の愚痴を聞くのが日課だった。「それでも状況を変えられず、『そう言わずに頑張って』と励ますしかなかった」と山口専務は振り返る。
毎年夏の書き入れ時は「退職したい」と言い出す社員が必ず現れる。「とにかく社員の言い分をひたすら聞き、いかに引き止めるかが仕事だった」(山口専務)。
そんな同社だったが、今はブツブツ言う社員がいなくなった。人手不足は解消され、完全週休二日制を実現したうえ、残業は週に2時間程度。さらには経常利益率が10%まで上がったという。
個人客向けにシフト
グランディア芳泉のルーツは、山口専務の祖父が営んでいた小さな宿だ。父で現会長の輝望(てるたか)氏が1963年に現在のグランディア芳泉を開業。今は兄の透氏が社長、兄嫁の由紀氏が女将を務める。
温泉旅館の多くがそうだったように、グランディア芳泉もかつては団体客が主流だった。だが、90年代以降、個人のお客が目立ち始める。この流れを先取りし、個人客を意識した宿づくりに乗り出す。2001年に当時珍しかった庭園露天風呂付き客室を設け、人気を集める。

他の旅館に先駆け、いち早く個人客に向けてシフトチェンジし成長してきたグランディア芳泉。もっとも、その運営は社員の猛烈な働きに支えられていた。
数年前まで、グランディア芳泉の年間休日はわずか72日。月に6日しか休みがなかった。宿泊業・飲食サービス業の年間休日の平均は95・7日と全産業中最低(厚生労働省16年就労条件総合調査)だが、それより休みが少ない。
「今のような働き方を続けていたのでは未来はない。この状況を何とか打破しなければ」
山口専務は大学卒業後、旧都市銀行を経て、1993年、父と兄に請われて家業に加わった。他人の飯を食った経験がある分、父や兄より客観的に自社の仕事を見ることができた。
2015年3月、北陸新幹線が開業し、この効果で売上高は約15%アップ。山口専務はこれを好機と捉えた。業績が上向きのときなら、社員も大胆な改革に協力してくれると考えたからだ。
何とか顧客満足度を維持しつつ、人や残業を増やさず、休みだけを多くする方法はないか──。そう思案していたとき、観光庁の無料オンライン講座「旅館経営教室」をたまたま目にした。
講座の中の「無駄な作業を省き、その分余った力で顧客に質の高いサービスを提供すれば、労務効率と顧客満足度向上は両立する」という文章に引きつけられた。
「よし、これでやっていこう。この方法なら積年の課題が解決できるはず」。山口専務はそう確信し、改革に着手する。
まずは無駄を省く
頭の中には「休みを増やす」というゴールがあったが、まずは今のオペレーションをとにかく見直し、生産性の向上に取り組むことにした。どれくらい無駄を省けるのかを試してみる。これならいけるという確証を得た時点で、さらに突き進めようと考えた。
実際に取り組んでみると、面白いように成果が上がった。その一つが、食事時間の2部制の廃止だ。従来、夕食のスタート時間は午後5時半と午後7時半の2パターンがあり、お客を振り分けていた。100人分の席しかないところに、一度に200人が来たら十分な対応ができないからだ。
このため、社員は営業開始の2時間前には出勤して、1部と2部の座席レイアウト表を作成。席ごとに座るお客を決め、事前にテーブルセッティングしておいた。
一見、効率的に思える。だが、お客は気まぐれだ。午後5時半と申告していたお客が午後7時半に変更してほしいと言ってきたり、3人と聞いていたお客が5人で現れたりすることもある。そうなれば、座席表の組み替えが必要だ。お客を待たせるうえ、何より事前の準備がすべて無駄になる。
そこで思い切って2部制をやめて、お客に好きな時間に来てもらう方式に変えた。事前のセッティングをしないので、社員はオープンの15分くらい前に来ればよくなった。1日約2時間の時短だ。
「事前準備しておかないと、お客様に迷惑をかけてしまうと思い込んでいたのは誤解だった」と山口専務は言う。
接客時間が増えた
ふたを開けてみると、お客は自然と分散した。そうは言っても時には多少集中する。その場合も「午後6時前後は混み合います」とチェックイン時などに説明しておけば、お客のほうがその時間を避けてくれるうえ、たとえ多少待たせてもクレームを言われない。
また、混雑が予想される日は店を少し早く開けた。こうした工夫で、オペレーションが乱れることは予想したほどなかったという。
さらに、思わぬメリットもあった。事前準備をせずに、お客の目の前でセッティングする方式に変えたことで、接客時間が増えたのだ。お客から丁寧に要望を聞き出せるので、よりきめ細かなサービスができるようになった。
2部制に続いて見直したのが、予約確認の電話だ。「もしも連絡なしにキャンセルするお客様がいたらどうするのか」と担当者はこぞって反対した。
「1週間だけやってみよう。すべて俺が責任を取る。1人でも来なかったらその分は俺が自腹で全額払う。社長にも土下座して謝る。だからやってみて」。山口専務は社員たちをそう説得した。
それまで予約確認にかけていた時間は2、3時間。つながるまで1人に3、4回電話することもざらだったが、その時間がゼロになった。「自分も含めて感覚がまひしていた。やめたら顧客満足度が下がると思い込み、無駄を無駄と思わなくなっていたようだ。業界の常識や思い込みを排除することで先が見え始めた」。
効率化を推進していく過程では、 「今まで自分たちがやってきたことは無駄だったのか。俺は無駄な人間なのか」と不安を漏らす社員もいたという。
そんなときは「単に無駄をなくそうというのではない。無駄をなくして生まれた余力を、サービス向上に振り向けるのが目的だ。あなたは決して無駄ではないけれど、その作業は無駄かもしれない。『必要な仕事』と『不必要な作業』を区別して、もっと生産的な仕事をしよう」と説明した。すると、社員の目が輝き始めた。
こうした取り組みで、労働時間はみるみる減った。改革に着手してから半年後の16年4月、いよいよ旅館業界では珍しい完全週休二日制を導入し、年間休日を105日に増やそうと打って出る。
切り札はマルチタスク
山口専務が完全週休二日制実現のための切り札にしたのが、複数の業務を掛け持ちする「マルチタスク」だった。
社員にはこう切り出した。「休日を今より30日増やす。給料はそのまま。そんなうまい話があるかって? ないよね。俺にはそんな手品みたいなことはできない。だから今の仕事に加えて、別の仕事も少ししてもらえないか」。
並行して、山口専務は旅館業の現状やなぜ働き方を変えなければいけないのか、最終的に目指す方向はどこかなど、社員が納得するまで何度も繰り返し説明した。
「お給料が変わらず、休みが増えるのはうれしかった。ただ今までの業務に加え、経験のない新しい仕事をするのは不安だった」。サービス部主任の木内沙織氏は話す。

「とりあえずやってみよう。もしもうまくいかなかったら、元に戻せばいいから」。山口専務は食事時間の2部制や予約確認電話の廃止のときと同じように、社員を説き伏せ、休み方・働き方の改革をスタートさせた。
最初にマルチタスク化への移行の障害になりそうなルールを修正した。北陸地方で50年以上続いていた独特の「奉仕料制度」がそれだ。団体客の世話をする仲居にのみ適用されていたもので、他の社員と異なり、ほとんど歩合給で支払われていた。
この併存していた賃金制度を16年に一元化。仲居以外のスタッフが宴会の仕事を手伝ったり、仲居がレストランで働いたりするようになった。
また宴会、フロント、レストラン、料亭など担当する職務により縦割りで部署が分かれていたのを「サービス部」に一本化した。それまでは客数にかかわらず、各部門で働く社員はいつも同じ人数。客数に合わせてシフトを調整したり、違う部署のスタッフが垣根を越えて手伝ったりすることがなかったため、実際の仕事量よりやや多めの人員を配置していた。
賃金制度、所属部署が一つになったことで、そんな状況も変わった。予約状況に応じてシフトを組み、お客が集中する時間や場所に随時、人員を適正配置できるようにしたのだ。
前出の木内氏の場合、フロント業務をメーンにしつつ、チェックイン業務がひと段落する夕方などに、レストランの仕事をする。「マニュアルや先輩社員の仕事ぶりを見ながら勉強した。数週間もすると慣れた」。
「3定」のノウハウを活用

施設管理を担当する業務部はマルチタスク化により、従来業務の「宴会場の設営」に、「お膳の準備」と「厨房から宴会場までの料理の運搬」という仕事が加わった。仲居の負荷を減らし、接客に専念してもらうことが目的だ。
「空いた時間にお膳の準備などをするのはいいが、通常業務もある。その分の時間を捻出しないといけない」。半導体メーカーから転職してきた業務部の高間直樹課長は考えた。そこで前職で培った、決まったもの(定品)を、決まった数(定量)だけ、決まった場所(定位)に置く「3定」や、職場環境の維持・改善で用いられる整理、整頓、清掃、清潔、しつけの「5S」のノウハウをフル活用した。
それまで、お膳準備に必要な器や固形燃料などがどこにあるかは仲居しか知らず、しかも置き場所も収納ケースもバラバラだった。
そこで棚卸しを実施し、必要なものを1カ所に集め、何がどこにどれだけあるかを一目で分かるようにした。また、どの器をどこに配置すればいいかが分かるように写真で示したマニュアルも作成(下の写真を参照)。これなら経験のないスタッフでも短時間でお膳の準備ができる。

地道に改革を進めることで、社員の意識も変わってきた。山口専務にとってうれしい誤算は、高間課長のように、社員から業務効率化のアイデアが次々に出るようになったことだ。
例えば、社員の発案で、朝食バイキングのお客用トレーを廃止し、料理を取る皿の種類も半分以下に減らした。これによりトレーはもとより、洗う皿の量もコストも半分以下に削減できた。
「無駄を排して接客時間を増やそう、収益性を上げようと考える組織になってきた」(山口専務)。
女将は当初、マルチタスク化に強い抵抗を感じていたという。「休みだけ増えて、給料はそのままなんて聞こえはいいけど、かえって仕事を増やして、社員に負担をかけるのではないかと心配だった。マルチタスク化するよりも、人を増やしたほうが社員にとってもお客様にとってもいいのではと反対した」と当時の胸の内を明かす。
しかし、慣れるにつれて次第に仕事をスムーズにこなし、積極的に提案までするようになった社員の姿を見て、考え方が変わっていく。「時代の流れについていかないと、むしろ社員を駄目にしてしまう。彼らの力を埋もれさせていたのは、私だったのかもしれないと思うようになった」。
休日を勉強に使う
こうして着想からわずか半年で、グランディア芳泉は顧客満足度を維持・向上しつつ、人や残業を増やさず、休みだけを多くするという難題をクリアした。
休みを増やす過程で、社員が自分の頭で考えるようになり、さらに休みを自己啓発に充てる社員も出始めた。
ほかのホテルや旅館、レストランを実際に利用して学んだり、仕事にも役立つ習い事を始めたりするほか、観光庁まで足を運び、担当者と会ってインバウンドの勉強をしてきたという社員もいる。
「自分の給料や休みを有効活用して自己啓発に励める人こそ、これからの会社を引っ張ってくれる社員だと思う。『休みが増えても、することがない』とこぼすような社員は要らない」(山口専務)。
余力が生まれた今、サービスの質のさらなる向上に挑戦する余裕もできた。料亭では大量の作り置きをやめて、お客が来てから調理し、盛り付け、出来立ての料理を出す形に変更。提供のタイミングが遅れないように、管理システムも採り入れた。
部谷(へや)保総料理長は「注文を受けてから作り始めるので、お客様の好き嫌いなどの要望にも細やかに対応できるようになった」と話す。

16年には、創業初の休館日を10日ほど設けた。ゴールデンウイークや夏休みの直後など、例年稼働率が低い日に設定した。社員が休めるだけでなく、館内のメンテナンスなどが効率よくできるという利点もある。
「人が足りないと言うのは、自分たちの会社がいかに非生産的かを宣伝しているようなもの。経営者がどれだけ本気になれるかがすべて」と山口専務は強調する。
毎年夏休み期間は人手が足りず、派遣スタッフを10人程度雇うのが常だったが、今年はゼロ。今や社内で「人手が足りない」は死語になった。グランディア芳泉の売上高は25億4000万円。収支は数年前までトントンだったが、改革後は10%までアップした。
それでも「今はまだ改革の3合目」と山口専務は手綱を緩めない。「わが社は、お客様のために何かしたいと思っている人たちの集まり。だから改革もスムーズに進捗している。今後は社員にもっとサービス業本来のやりがいを感じてもらえるように努力していきたい」。
(この記事は、「日経トップリーダー」2017年10月号に掲載した記事を再編集したものです)
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