植物工場の可能性を示す例として、メディアで大きく取り上げられてきた野菜の1つに「低カリウムレタス」がある。腎臓病患者でも安心して食べることができるレタスの登場は、栽培環境を高度にコントロールする植物工場の強みの象徴と映った。その代表的な会社であるドクターベジタブルジャパン(東京都千代田区)を、親会社のエージーピーが2月に清算した。

 低カリウムレタスの栽培技術はもともと、福島県にある電子部品メーカーが事業の多角化の一環として、大学の協力を得て確立した。カリウムは窒素、リン酸と並んで植物の3大栄養素の1つ。そのカリウムを肥料として投入する量を抑えながら、レタスを安定して育てるのに成功したことは、植物工場の技術のブレークスルーとして画期的なことだった。

低カリウムレタス「ドクターベジタブル」のパッケージ(写真提供:エージーピー)
低カリウムレタス「ドクターベジタブル」のパッケージ(写真提供:エージーピー)

 マーケットの存在もはっきりしていた。生野菜に多く含まれるカリウムを十分に体内から排出することができないため、野菜を食べることを制限する必要がある透析患者だ。患者にとって、低カリウムレタスの登場は、食生活を豊かにすることができる希望の技術であったことは間違いない。

 ニーズは確かにあった。だが問題は、1つの工場では生産量に限りがあったことだ。自社だけで需要に応えることは難しいと感じたこのメーカーは、フランチャイズの形で工場を広げることにした。空港関連事業を手がけるエージーピーもその1つだった。販路開拓はメーカーが担うことになった。

 低カリウムレタスは新しい農業技術が社会貢献にも役立つケースとして注目を集め、フランチャイジーとして手を挙げる企業はほかにもあった。だが、複数の工場による生産体制の構築が見えてきたとき、次の問題が発生した。技術の提供と売り先の開拓を担うはずのこのメーカーが経営不振に陥り、販路の拡大に黄信号がともったのだ。せっかく工場を造っても、売り先が足りなくて生産キャパが過剰になるリスクに直面した。

譲り受けた事業、債務超過に

 そこで、エージーピーが筆頭株主になり、片倉工業、昭和飛行機工業と共同で2015年1月に設立したのがドクターベジタブルジャパンだった。工場は引き続き3社がそれぞれ運営し、ドクターベジタブルジャパンがフランチャイズの運営事業をメーカーから譲り受けて販路の開拓に乗り出した。

 結果は、当初掲げた目標と違い、厳しい内容となった。ドクターベジタブルの最終損益は2015年3月期が1200万円の赤字、2016年3月期が1億2400万円の赤字、2017年3月期が7600万円の赤字。2016年3月期からは債務超過に陥り、超過額は翌年さらに拡大した。

 債務超過に陥り、近い将来に黒字化を見通せない以上、会社を閉じるのは当然の選択だったのだろう。だが一方で、清算の決断が早すぎるのではないかとも思う。農業に参入した企業の中には、5~10年間赤字に耐え抜き、栽培ノウハウを高め、利益を出すことに成功したところもある。この点について質問すると、エージーピーの担当者は次のように説明した。

 「5年も10年もやって、傷を大きくしてから撤退というのではお互い不幸。最初から3年間で判断しようと約束していた。ちょうどそのタイミングが来たが、最悪に近い内容だったので、最初に決めたことを実行した」

つまづきの背景に生産性効率の低さ

 なぜ事業は暗礁に乗り上げたのか。背景の1つに低カリウムレタスの生産効率の低さがある。カリウムは植物の生長にとって重要な要素で、不足すると生長がおくれ、大きく育ちにくい。農業の世界ではこの状態のことを「カリ欠」などと呼び、ふつうならカリウムの投入を増やして生育不良を防ぐ。

 ドクターベジタブルの技術は、低カリウムレタスの生産を安定させたという意味では植物工場にとって大きな一歩だが、ふつうの育て方と比べて生育が遅れるという弱点はカバーが難しかった。しかも、カリウムは外側の厚い葉っぱに多く含まれる。そこで、自分たちで決めた基準値以下にカリウムの含有量を抑えるため、外側の葉っぱを4枚ほど外して出荷した。

 要らない葉や根を取って出荷するのは農業の常だが、その量が少なく、「歩留まり」が多いほうが当然、効率は高い。低カリウムレタスはふつうのレタスと比べて生育が遅く、トリミングの量が多いという二重の意味でハンディがあった。当初、予定していたレタスの重さは70~80グラムだが、トリミングの結果、45グラム程度になることもあった。そのため、袋に2つレタスを入れて、必要な重量を満たしたりした。その分、出荷のための作業は増えた。

 それを補うはずだったのが、市場の安定性だ。「需要は確実にあった」と先に書いた。「透析患者が求める商品」という読みに間違いはなかったが、事前に思っていたほど市場は大きくなかった。このジレンマが、ドクターベジタブルの経営にとって重荷になった。

 なぜか。「ドクターベジタブル」ブランドの低カリウムレタスを扱うスーパーや百貨店は全国で1600店に達した。患者や医者の集まりに積極的に顔を出し、ダイレクトメールで販促するなどスタッフの努力が実った面もあるが、一番大きかったのは、低カリウムレタスを求める消費者が日本中にいたことだ。彼らにとってまさに「希望の技術」だったのだ。

 ただし、スーパーや百貨店を店ごとにわけて考えると、各商圏の中で十分な数だけリピーターを確保するのは難しかった。販促で力を抜くと、販売数が減ることもあった。低カリウムレタスはターゲットがはっきりしている半面、誰もが手に取る商品ではない。成分表示を商品の特徴としている点では同じでも、「高リコピントマト」などとは広がりが違うのだ。

物流費が経営を圧迫

 売り先が全国各地にあり、しかも一店当たりの販売量が少ないと何が起きるか。物流費による経営の圧迫だ。他の青果物などと一緒に共同配送に回すことができれば効率がいいが、ロットが少ないと混載の対象になりにくい。例えば、共配では最低5ケース預けることが条件のトラックに、たった1ケースで積んでもらうことは難しい。その結果、割高な宅配便を活用することもあった。思うほど市場が大きくなかったことが、経営を圧迫した。

 市場が小さかったことで、販売戦略の見直しも迫られた。余った生産キャパを活かすため、低カリウムレタスを、スーパーやコンビニで売るサンドイッチなどに使うふつうのレタスとして出荷したのだ。もちろん、低カリウムでも品質には何の問題もない。だが、業務用レタスは価格競争が激しくて利幅の薄い世界で、しかも低カリウムレタスは生産効率が低い。

 ただし、販売会社はなくなったが、工場が消えたわけではない。ここから先は千葉県横芝光町で工場を運営するエージーピーを中心に話を進めよう。各工場が作ったレタスの販売を統括していたドクターベジタブルジャパンが消滅した以上、この先は販売戦略も含めて植物工場の運営は、工場を持つ各社に委ねられることになったからだ。

千葉県横芝光町にあるエージーピーの植物工場(写真提供:エージーピー)
千葉県横芝光町にあるエージーピーの植物工場(写真提供:エージーピー)

 くり返しになるが、ドクターベジタブルの経営を通してエージーピーが痛感したのは市場の小ささだ。そこで、今後の展開もおのずと明確になる。すでに取り組んでいる業務用レタスの生産と販売の強化だ。そのため、低カリウムではなく、ふつうのレタスとして栽培し、生産効率を向上させる。いま多くの植物工場が目標水準にしている100グラムのレタスの生産を目指し、収益性を改善させる。業務用レタスは低カリウムと違い、市場が巨大だ。

「小さいが確実に市場はある」

 低カリウムレタスを作ってきたことによる強みもある。腎臓病患者をターゲットにしたことの必然だが、品質管理をぎりぎりまで徹底してきた。その結果、一般の植物工場より菌数を低く抑えることに成功したのだ。菌が少ないと、日持ちがする。その商品力を理解し、他の植物工場の業務用レタスよりも高く買ってくれている売り先もある。

 一方、低カリウムレタスについては売り先を増やすため、積極的に営業したりはしないが、需要に合わせてこれまで通り生産を続ける。参入したときに抱いた過大な期待を裏返して言えば、「小さいが確実に市場はある」のだ。

 以上が、ドクターベジタブルの清算の背景にある低カリウムレタスの実情と、事業を再出発させたエージーピーの今後の戦略だ。読みは甘かったのかもしれないが、低カリウムレタスには潜在的なマーケットがある。日本は超高齢化社会の入り口に立っているからだ。業務用に力を入れるのはやむをえない戦略転換だが、低カリウムレタスの技術をここで途絶えさせてはならないだろう。それを含めた長期的な事業に移行できるかに注目したい。

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