米IBMが11月に発表した量子コンピューターの試作機が、世界に衝撃を与えている。机上の空論とされてきた「量子ゲート方式」が実用化し、コンピューターの常識が一変するからだ。仮想通貨は陳腐化し、エネルギー問題の解決にもつながる技術。各国の競争が熱を帯びている。
(日経ビジネス2017年12月11日号より転載)
「これから先は人間の想像を超えた世界だ。ITの常識が一変する」。量子コンピューターに詳しい東北大学の大関真之准教授は、興奮を隠さない。米IBMが11月、世界で初めて「50量子ビット」を搭載した量子コンピューターの試作機を発表したからだ。
IBMが開発したのは、1983年から提唱されていた「量子ゲート方式」の量子コンピューターだ。大規模計算が可能になるため“本命”視されていたが、装置開発が難しく、2010年ごろまでは机上の空論と考える専門家がほとんどだった。ところがIBMの発表により、空論が現実に変わったのだ。
カギは「50」という数字にある。
1125兆通りを“一瞬”で計算
量子コンピューターとは、ミクロの世界の物理法則である「量子力学」を使って計算する機械のこと。「0」と「1」の両方が同時に存在する「量子ビット」を活用し、50量子ビットなら約1125兆(2の50乗)通りの計算が一瞬で完了する。量子ビットを増やすことで、計算能力は指数関数的に増強できる。
従来のコンピューターはデータを「0」と「1」に置き換えて、1通りずつ処理する。そのため速度を高めるには限界がある。専門家の間では諸説あるが、従来方式のスーパーコンピューターがどれだけ進化しても、約50量子ビットに相当する速度が限界だとされてきた。IBMの試作機は、スパコンの理論上の限界を上回った可能性がある。
量子コンピューターがスパコンでは実現できない計算性能を持つことを「量子の超越性」と呼び、当初は50年代まで実現しないとみられていた。そのスケジュールが、一気に30年以上も前倒しされた格好だ。
量子コンピューターに注目が集まったきっかけは11年、カナダのベンチャー企業Dウエーブ・システムズが商用化したことだ。東京工業大学の西森秀稔教授らが提唱した「量子アニーリング方式」を用い、1台10億円程度で装置を販売。米航空宇宙局(NASA)やデンソーなどが相次いで導入した。
独フォルクスワーゲンは北京のタクシーの巡回ルートを最適化し、交通渋滞を緩和する取り組みにDウエーブの量子コンピューターを活用している。巡回先が1カ所増えるごとにルートの組み合わせは指数関数的に増え、17カ所を訪問して元に戻る場合の候補は10兆を超える。米グーグルは、こうした「組み合わせ最適化」問題については従来型のコンピューターの1億倍高速に計算できると発表している。
ところがDウエーブの量子アニーリング方式には限界がある。高速に解けるのは組み合わせ最適化問題に限られ、計算能力を高めると間違った答えを出しやすくなる。「特化型」量子コンピューターと呼ばれるのはそのためだ。NTTなどが11月20日に発表した「レーザーネットワーク方式」も、同様の特徴を持つ特化型だ。
特化型に対してIBMが開発する量子ゲート方式は「汎用型」と呼ばれている。対応するプログラムさえ開発できれば、どんな問題も瞬時に解く潜在力を持っているからだ。
汎用型はこれまで、搭載する量子ビットを増やすのに難航し、特化型の先行を許した。1999年に世界で初めて量子ビットを作った東京大学の中村泰信教授は、50の壁をクリアできれば「理論上はどこまでも量子ビットを増やせるようになる」と説明する。汎用型の能力は近い将来、確実に特化型を追い抜く。IBMが取り組む量子ゲート方式が本命視されている理由はここにある。
仮想通貨も価値を失う
こうした背景から、グーグルなども量子ゲート方式の開発に手を出している。米マイクロソフトは汎用型で使えるプログラミング言語の開発に着手し、ソフトの観点から研究者の囲い込みを始めた。対応するプログラムを先駆けて用意できれば、競合を圧倒する計算能力を駆使してビジネスを優位に運べるからだ。
例えば化学物質の合成だ。現在のスパコンは、メタンガスのような単純で軽い化学物質の動きしか正確にシミュレーションできていない。汎用型量子コンピューターが搭載する量子ビットの数を増やし続ければ、鉄のような重い物質やプラスチックのような複雑な物質が計算できるようになる。
カーボンナノチューブなど軽くて強靭な化合物を途切れずに合成できれば、衛星軌道まで続く「宇宙エレベーター」の実現性が増す。二酸化炭素と水の「重合反応」を効率化できれば、石油は掘るより合成するほうが安くなる。
量子ビットが数十億に到達すると、インターネット通信に使われる暗号が解読できる。暗号技術を使うビットコインなどの仮想通貨は価値を失う。
だからこそ、企業だけでなく各国政府も研究に巨費を投じる。欧州連合(EU)は2016年から10年間で10億ユーロ(約1330億円)の研究資金を、汎用型量子コンピューターと関連技術に投資。日本の文部科学省も18年度予算の概算要求で、汎用型量子コンピューターの開発などに32億円を要求した。
一方、「化学反応のシミュレーションと暗号解読のほかに、産業的に影響を与えそうな用途が見つかっていない」(東工大の西森教授)のも事実。想像を超える計算能力をどう扱えばよいのか、専門家ですら頭を悩ませている。
だが足踏みしている余裕はない。IBMは6カ月で量子ビットを3倍以上に増やした。この成長スピードが続けば、8年後には全ての暗号を解読する量子コンピューターが登場する。
量子コンピューターの高速化はこれからが本番だ。技術開発で先行した国や企業は、競合が追いつけないほどの優位性を獲得しそうだ。
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