
連載200回を機に考える、「人はなぜ働くのか」
「上野泰也のエコノミック・ソナー」と題したこのコラムをお届けするのは、今回で区切りの200回目になる(※参考 連載第1回=2013年6月3日配信記事はこちら)。よく続いたものだと自分でも思う反面、次々と書くネタが出てくる経済・マーケットの世界は終わりのないドラマのようなもので実に奥が深いとあらためて感じ入る。今回は、筆者の人生観も交えながら、「なぜ働くのか」や世代間対立について考えてみたい。
5月18日に経済産業省で開催された第20回産業構造審議会総会で、中長期的な日本の社会の在り方に関する次官・若手プロジェクトの提言「不安な個人、立ちすくむ国家」(→資料 ※経済産業省内ページ)が発表された。このプロジェクトは省内で公募された20代・30代の若手30人で構成されており、メンバーは自分の担当業務をそれぞれ行いながらプロジェクトに参画。「国内外の社会構造の変化を把握するとともに、中長期的な政策の軸となる考え方を検討し、世の中に広く問いかけることを目指すプロジェクト」である。世代を越えて傾聴すべき若者の意見か、それとも税金の無駄遣いにすぎないかで、SNSなどで論争を巻き起こしたペーパーなのだが、結論の部分に以下の文章がある。
少子高齢化、逆算するとこの数年が勝負
「2025年には、団塊の世代の大半が75歳を超えている。それまでに高齢者が支えられる側から支える側へと転換するような社会を作り上げる必要がある。そこから逆算すると、この数年が勝負。かつて、少子化を止めるためには、団塊ジュニアを対象に効果的な少子化対策を行う必要があったが、今や彼らはすでに40歳を超えており、対策が後手に回りつつある。今回、高齢者が社会を支える側に回れるかは、日本が少子高齢化を克服できるかの最後のチャンス。2度目の見逃し三振はもう許されない」
かなりマイルドで婉曲な表現が使われているが、端的に言うと、できるだけ多くの高齢者が働き続けて社会を「支える側」に回ることにより、少子化対策の失敗をカバーしようという発想である。
若い世代が高齢者に向ける視線はかなり厳しい
筆者がこのペーパーよりも大きな関心を抱いたのが、そうしたアイディアがより強く前面に出ていた上記の約1年前の文書である。2016年5月16日に開催された第18回産業構造審議会総会に提出された、次官・若手未来戦略プロジェクトのディスカッションペーパー「21世紀からの日本への問いかけ」(→資料 ※経済産業省内ページ)がそれ。すでに50代半ばにさしかかっている筆者は内容を一読して、若い世代が高齢者に向ける視線には(本人が意図するとせざるとにかかわらず)相当厳しいものがあるなと痛感させられた。
「日本の立ち位置」というタイトルがつけられた2番目の章に、以下の記述がある。
最先端技術を活用し、高齢者はずっと働いて
「バイオ技術の活用で世界に先んじて健康寿命が延び、 AI・ロボット技術の積極導入によるサポートが可能になれば、高齢者も、支えられる側から、むしろ価値創造側に回ることができるのではないか」
「わが国の平均寿命は戦後と比較して30年延伸。健康寿命も70代に。今後、AI・バイオ技術の導入で健康寿命が延びれば、高齢者は、知識・智恵を活用した人的資源となるのではないか」
そして、「今後の仮説」と題された章の「基本的な方向性と仮説」には、次の文章がある。
「高齢者の智恵・人脈・経験等を活かした労働参加の促進が社会的に大きな利益。→ AI、IoT、バイオ技術を活用し、世界最高レベルの高齢者の労働参加(戦後の社会保障・雇用制度の抜本見直し)」
「第4次産業革命がもたらす所得格差が世界的な課題となる中で、我が国は、①高齢者の労働参加、②様々な『差異』を生み出す人材の創出によって、大きな政府による所得再分配策に依らずとも所得の二極化を解決できるのではないか」
高齢層の就労拡大により、社会保障制度は維持できるか
「AI・IoT・バイオ技術等を活用し、高齢者の就労を促進することができるのではないか。健康寿命の伸びに実態を合わせていけば、現役世代2人で高齢世代1人を支える構造を今後も維持できるのではないか」
この「現役世代2人で高齢世代1人を支える構造を今後も維持できる」という見方のエビデンスとして「高齢者の現役参画と生産年齢人口比率の関係」と題した数表があり、①2015年時点で65歳以上人口/15~64歳人口=2.3、②2035年時点で70歳以上人口/15~69歳人口=2.4、③2055年時点で75歳以上人口/15~74歳人口=2.5という数字が、丸で囲ってある。要するに、健康寿命が伸びれば、2035年時点で69歳までの人の多くが就労した状態であることができ(現役世代にとどまることができ)、2055年時点ではこれが74歳までになり得るから、海外からの移民などの積極的受け入れを含む人口対策を強化しなくても、高齢層の就労拡大によって、社会保障制度はなんとか維持できるのではないかという、なんとも大胆な仮説である。
若年層から出てきたこうしたアイディアに厳しさ、さらには冷たい視線さえ筆者が感じたのは、「人は何のために働くのだろうか」「健康寿命の間はひたすら働き続ける人生が本当によいのだろうか」「そういう人生が楽しいと思える人は多数派なのだろうか」といった、素朴な疑問を抱くからである。
働きづめの人生は幸せか?
率直に言うと、自分の父親がそうだったような働きづめの人生には、筆者は全く魅力を感じない。働くことそのものに人生の大きな意義を見出してきた人は、団塊の世代などではそれなりに多いのかもしれない。だが、筆者は好奇心の塊のような人間であり、もともと多趣味ということもあって、引退したら健康なうちにいろいろなことをやりたいという欲求が非常に強い。悲しいことに膨らむ一方の子どもの教育費などを支払っても十分おつりがくるだけのお金をなんとか稼いで、自分の老後の自由な生活を少しでも楽しいものにする原資を得るために、心身ともに極度に疲弊している時でも必死に耐えながら、自分の仕事に日々全力を注いでいるわけである。
働く目的について筆者がきわめて例外的な考え方の持ち主ではないことを示すため、ここで内閣府の「国民生活に関する世論調査」から、人々がなぜ働いているのかの調査結果を見ておきたい。
働く目的は何ですか? 「お金を得るために働く」が最多
2016年6月23日~7月10日に実施された最新の調査結果で、「あなたが、働く目的は何ですか。あなたの考え方に近いものをこの中から1つお答えください」という問いに対する回答では、「お金を得るために働く」が最も多く、半数を超えた(53.2%)。むろん、働いて手にしたお金の使途はケースバイケースなのだが、筆者もこのグループに属している。
第2位は「生きがいをみつけるために働く」(19.9%)。以下、「社会の一員として、務めを果たすために働く」(14.4%)、「自分の才能や能力を発揮するために働く」(8.4%)、「わからない」(4.1%)となっている<■図1>。
むろん、世代によって考え方には違いがある。年齢別の集計結果を見ると、「お金を得るために働く」が最も多かったのは「40~49歳」(68.3%)。「18~29歳」「30~39歳」も60%を超えた。筆者が属している「50~59歳」は58.5%である。一方、「60~69歳」では49.1%にとどまり半数未満。70歳以上では34.4%しかおらず、「生きがいをみつけるために働く」の32.0%とほぼ拮抗している。
若い世代は、高齢世代に「落とし前をつけてほしい」と思っている
若い世代からすれば、日本政府の借金が後先を考えずにここまで膨大な額になってしまったのは自分たちより上の世代の責任であることは明らかだし、少子化対策や外国人受け入れ策を早い段階から積極的に推し進めなかったのも上の年代の人々の責任だということになるのだろう。したがって、そうした世代の人々は自分の健康をしっかり維持しながら(国の医療費の面で迷惑をできるだけかけないようにしながら)、70歳代半ばあたりまで現役世代として働くことにより、いわば「落とし前をつけてほしい」ということなのだろう。
政治の表舞台にはまだ出てきていないものの、世代間の利害対立は、日本でも潜在的には非常に深いものになりつつあるように思える。そして、「引退して悠々自適の生活を送る」という、筆者のような世代が漠然とイメージしてきた人生のゴールのようなものは、だんだん遠くなりつつある、もしかするとなくなりつつあるのかもしれない。
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