第二次世界大戦後、「過去との対決」に世界で最も力を入れてきたドイツでは、これまで極右勢力の影響力が限られていた。だがドイツのこの「常識」が、難民危機をきっかけに崩れ始めている。
右派政党によるイスラム教批判
そのことを示す現象の1つが、現在ドイツで行われている、イスラム教をめぐる激しい論争だ。きっかけは、右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の副党首、ベアトリクス・フォン・シュトルヒが今年4月17日付の「フランクフルター・アルゲマイネ・ゾンターク紙(FAS)」とのインタビューで行った発言である。
欧州議会の議員でもあるフォン・シュトルヒは、「イスラム教は、憲法と相容れない政治的なイデオロギーだ」と断定。5月に開かれる党大会で、ドイツ国内にイスラム教寺院の塔(ミナレット)を建設することや、女性の全身を覆うベールの着用を禁止することを、党の綱領に盛り込む方針を明らかにした。
さらにもう一人の副党首であるアレクサンダー・ガウラントも、「イスラム教は常に国家を支配しようとする。したがって、ドイツのイスラム化は危険だ」と述べた。さらに彼は「ドイツはキリスト教の影響を受けた世俗的国家であり、イスラム教はこの国になじまない。ドイツや欧州の価値を受け入れる、穏健な『欧州版イスラム教』はあり得ない」と断言した。

世界中のイスラム教徒の大半は、平和を愛する人々である。アルカイダやイスラム国(IS)のような過激組織は例外だ。これらの組織は、むしろイスラムの教えを自分たちの政治的な目的のために悪用していると言うべきだろう。したがって、こうした組織のテロ行為を理由に、イスラム教という宗教そのものを「ドイツの憲法と矛盾する」と危険視するAfDの行為は言語道断である。
この発言に対しては、ドイツの政界や宗教界から激しい批判の声が上がった。欧州議会議長を務めるマルティン・シュルツ(社会民主党=SPD)は、「AfDはドイツの恥だ。イスラム教に関するAfDの発言は、下劣だ」と強い口調で非難。首相のアンゲラ・メルケルも、「ドイツでは大半のイスラム教徒が憲法の枠の中で信仰を維持している」と述べ、間接的にAfDの主張を否定した。
キリスト教民主同盟(CDU)の幹事長、ペーター・タウバーは「(フォン・シュトルヒの発言は)AfDが、憲法に基づくドイツの秩序と相容れないことを示している」と指摘。緑の党の党首、ズィモーネ・ペーターは「宗教の自由は基本的権利だ。宗教の自由を否定する者は、法秩序からはみ出した存在だ」と述べた。
さらにドイツ・イスラム教徒中央協議会で会長を務めるアイマン・マズイエクは、「ある政党が特定の宗教の信者を攻撃し危険にさらすのは、ヒトラー政権が崩壊して以来のことだ」と語り、AfDを間接的にナチスと同列に並べた。
だがAfD内部では、フォン・シュトルヒの発言を擁護する意見が有力だ。同党の党員の約70%は、イスラム教に対して批判的な態度を示している。その理由は彼らが「イスラム教はドイツの一部ではない」と確信しているからだ。
メルケルはある時「イスラム教はドイツの一部だ」と断言した。メルケルは、ドイツの住民の中に、トルコや中東の国々から移住した市民が多いこと、彼らの中にはドイツ国籍を持っている人が多いことに配慮して、イスラム教も多文化社会ドイツの一部だと主張したのだ。その意味でAfDは、メルケルの考え方に真っ向から挑戦している。
フォン・シュトルヒらの発言は、隣国フランスの右派政党「国民戦線(FN)」のマリーヌ・ルペンを想起させる。
「銃を撃ってでも難民の入国を阻止せよ」
旧西ドイツ・リューベックの貴族の家庭の出身で、弁護士資格も持つフォン・シュトルヒは、これまでも過激な発言で知られてきた。ドイツには昨年約110万人の難民が流入した。これを捉えてフォン・シュトルヒは今年1月に「オーストリア国境を越えてドイツに違法に入国しようとする難民が、警官の制止を無視して入国を試みる場合には、警官は銃で撃って入国を阻止することを許されるべきだ。たとえ、相手が女・子どもであっても、警官に銃の使用を許すべきだ」と発言した。ちなみにAfDのファウケ・ペトリも、同様の趣旨の発言を行っている。
ドイツの警察官は、たとえ外国人が違法に入国しようとしても、銃の使用を禁じられている。東ドイツの社会主義政権は、制止を振り切って西側への逃亡を試みる市民を銃で撃つことを、国境警備兵に許可していた。東西国境間の壁を越えようとして命を落とした人の数は、約1000人にのぼる。統一後のドイツの司法は、「社会主義政権による逃亡者の射殺は、違法行為だった」と断罪している。
AfD幹部の発言は、今日のドイツを、社会主義時代の東ドイツと同じレベルにおとしめようとするものだ。4月下旬にギリシャのレスボス島の難民キャンプを訪れたローマ教皇フランシスコが言ったように、難民たちは「単なる数字ではなく、命を持った人間」である。その人間たちを銃で撃ってでも、ドイツへの入国を阻止するべきだとするAfDの主張は、非人間的であり、今日のドイツそして欧州連合(EU)の価値観と相容れるものではない。
AfD、3つの州議会選挙で大躍進
筆者が深く憂慮しているのは、このような非常識な党を支持する人が有権者の間に増えていることである。
今年3月13日にAfDはドイツの三つの州で行われた州議会選挙で大躍進し、初の議会入りを果たした。「難民危機をめぐる国民投票」と呼ばれたこの選挙で、多くの有権者がメルケルの難民政策に「ノー」の意思表示をした。
日本の新聞社や放送局はこの選挙についてほとんど報じなかった。だがこの選挙結果は、来年に行なわれる連邦議会選挙の行方を占う上で、極めて重要な意味を持っている。
今回州議会選挙が行われたのは、旧西ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州、ラインラント・プファルツ州、旧東ドイツのザクセン・アンハルト州。
このうちザクセン・アンハルト州でAfDは約27万票を確保した。得票率は24.2%に達する。これは、第一党であるキリスト教民主同盟(CDU)の得票率(29.8%)に肉薄するものだ。この州では、有権者のほぼ4人に1人が、右派ポピュリスト政党を選んだことになる。有権者の3人に1人が、AfDに票を投じた選挙区もあった。

(出所:同州選挙管理委員会)
ザクセン・アンハルト州の選挙結果は驚異的と言える。AfDの得票率が、社会民主党(SPD)、緑の党、自由民主党(FDP)、リンケ(左派政党)の得票率を大幅に上回ったからだ。このうちSPDは、現在ベルリンで大連立政権に加わっている与党である。
投票率も上昇した。前回選挙の投票率は51.2%だったが、今回は10ポイント近く上昇して、61.1%となった。原因は、前回の選挙で棄権した有権者10万1000人が、メルケルの難民政策に抗議するために投票所へ行ってAfDに票を投じたためだ。
ザクセン・アンハルト州では、前回にCDU、SPDなど5つの在来政党を選んだ有権者のうち、11万2000人がAfDに鞍替えした。
AfDが躍進したのは、旧東ドイツだけではなかった。同党は、ドイツ南西部のバーデン・ヴュルテンベルク州で15.1%、ラインラント・プファルツ州で12.6%と、二桁の得票率を記録した。
バーデン・ヴュルテンベルク州におけるAfDの得票率は、SPDを上回った。SPD党首のジグマー・ガブリエルにとって大きな屈辱である。この州では、実に80万9000人がAfDに投票。同党は、CDUから19万人、SPDから9万人、緑の党から7万人の票を奪っている。

(出所:同州選挙管理委員会)
バーデン・ヴュルテンベルク州(61.8%から70%に上昇)とラインラント・プファルツ州(66.2%から70%に上昇)でも投票率の上昇が見られた。難民危機は、それまで選挙に関心がなかった多くの有権者を、投票所へ駆り立てたのだ。
AfDが躍進した最大の理由は、メルケルの寛容な難民政策に批判的な有権者の票を集めることに成功したことだ。AfDは、難民の受け入れ数を制限するよう求めている。さらに、同党はユーロ圏からの脱退や、ギリシャに対する金融支援の停止などを要求している。
投票直前の2016年2月に公共放送ARDが行った世論調査によると、「連邦政府の仕事に満足している」と答えた回答者の割合は、昨年7月には57%だったが、今年2月には19ポイントも下がって38%になった。
メルケルの支持率は今年1月には58%だったが、2月には12ポイントも下がって46%になった。また、「連邦政府は難民問題にきちんと対応していると思うか」という設問に「ノー」と答えた市民の割合は、81%にのぼった。
バーデン・ヴュルテンベルク州で興味深いのは、緑の党が30.3%を確保し、州議会選挙で初めて第一党になったことだ。その理由は、現首相ヴィンフリート・クレッチュマンが、保守・革新を問わず同州で高い人気を集めていることにある。
加えて、前回はCDUを選んだ有権者のうち、メルケルの難民政策を支持する市民が、緑の党に鞍替えしたことも同党が躍進した理由に挙げることができる。彼らは、CDUの保守派が難民問題をめぐってメルケルを攻撃していることに不満を抱いた。この事実は、メルケルの政策がいかに緑の党に接近しているかを示している。
難民危機でドイツ社会全体が右傾化?
ただし全体的にみると、ドイツの有権者は右傾化傾向を強めた。移民に批判的な右派政党が支持率を増やしているフランスやオランダ、英国に似た現象がドイツでも起き始めていることは残念である。
アレンスバッハ人口動態研究所によると、2016年4月のAfDへの支持率は、CDU・CSU(33.5%)、SPD(23.0%)、緑の党(11.0%)に次いで4番目(10.5%)。来年行われる連邦議会選挙で、初の議会入りを果たすことはほぼ確実だ。同研究所が行った世論調査で「AfDが三つの州の州議会選挙で躍進したことは、良いことだと思う」と答えた回答者の比率は46%にのぼり、「そう思わない」と答えた人(35%)を大きく上回った。また回答者の59%が、「AfDはドイツの文化を守ろうとしている」と肯定的な意見を持っている。
1980年代以降のドイツでは、ドイツ国家民主党(NPD)、共和党(レプブリカーナー)ドイツ民族同盟(DVU)などの極右政党が一時的に支持率を高めたことあるが、現在ではいずれも泡沫政党になっている。だがAfDは別だ。この政党は、その主張を先鋭化させているにもかかわらず、労働者階級だけではなく中間階層に食い込むことに成功している。楽観視するのは禁物だ。メルケルだけでなく、全ての伝統的な政党にとって、重大な危機である。
次回はAfDがどのような政党なのかを理解するために、その思想的背景と人脈について分析する。
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