12月25日、平成23年度予算案が閣議決定された。本稿では、この予算案をどう評価するかについての私の考えを述べ、その中からどのような長期的な課題が浮かび上がってくるかを考えてみたい。

 私の見るところ、今回の予算には二つの大きな課題があった。一つは、限られた財源の中から、成長と雇用につながるような政策を進めていくことであり、もう一つは、財政再建を進めることによって、将来世代への負担の先送りを避けるための道筋をつけていくことであった。

成長と雇用は生まれるのか

 まず、成長と雇用のための政策の実現のための選択と集中は十分に行われただろうか。この点については、「選択と集中を進めるための財源配分の枠組みをどう評価するか」という問題と、「政策の中身をどう評価するか」という問題がある。

 枠組みから始めよう。成長と雇用のための予算配分の仕掛けとして考えられたのが「元気な日本特別枠」である。これは各省が当初予算の1割を供出して財源とし、各省は別途この枠に対して新規施策のための予算要求を行うというものだ。

 この枠組み自体は適切なものだったと評価できる。縦割りの予算配分を打破するための工夫となっているからだ。というのは、元気な日本にするための予算は省の垣根を越えて配分に濃淡をつける必要がある。しかし、要求の段階で特定の部局に手厚い要求を認めるのは難しい(「なぜ特定の部署だけに手厚い要求を認めるのか」という文句が出るから)。しかし、この枠組みの中で省にこだわらずに要求を査定していけば、結果的に省ごとに濃淡をつけた予算が実現することになる。

 もちろん、本来は政治主導で最初から省の壁にこだわらずに必要な予算を付けていくことが理想であり、それができるのであれば、こうした枠組みは必要ない。つまりこの枠組みは「縦割りではなく」かといって「純粋の政治主導でもない」という妥協の産物だということになる。

 しかし今回の査定結果を見ると、その狙いが十分に実現しているとは言えない。なぜなら、在日米軍駐留経費負担などの、どう考えても日本を元気にするための特別の政策だとは言えないようなものが含まれているからだ。これは明らかに防衛省の作戦勝ちである。つまり、防衛省には、日本を元気にするような予算要求のタマはない。すると、単に予算を1割カットされるだけに終わってしまう。そこで「これは削られないはずだ」というタマを特別枠の要求として出してきたわけだ。いかに趣旨に反するとはいえ、政権としては在日米軍の駐留経費を削ることはできない。こうして防衛省はまんまと予算のカットを免れたわけだ。

 しかし本来の筋から言えば、在日米軍の駐留経費は、経常的な予算として計上すべきものだ。これが特別枠を「食べてしまった」ので、本来の趣旨に沿った他の経費がその分削られたことになる。こうした抜け道を防ぐような制度設計の見直しが必要である。

 中身はどうか。残念ながら成長と雇用を生み出す力が大きいとはいえない。その理由の一つは、マニフェスト実現のための経費が相当含まれていることだ。

 特別枠で認められたものの中には、戸別所得補償の畑作交付金、高速道路無料化の社会実験経費などが含まれている。戸別所得補償は、規模の拡大を阻害するから農業の競争力の強化にはつながらない可能性が高い。また、最低賃金を下回る賃金しか払えない中小企業を支援する予算なども入っているが、税金で最低賃金を補てんしていたら、いつまでたっても競争力のある企業は出てこないだろう。残る成長政策は、研究開発、首都圏空港の整備、若年層の雇用対策などだが、他のあまり役に立たない分野にかなり枠を取られてしまっているので、とても十分な成長と雇用が実現するとは思われない。

歴史的使命を終えた「事業仕分け」

 次に財政再建について考えよう。政府は2010年6月に「財政運営戦略」を閣議決定している。この戦略では国と地方を合わせた基礎的財政収支(プライマリーバランス)を、2020年度までに黒字化するという目標を掲げた。この目標達成のため、平成23年度については、政策経費、国債の新規発行額を前年度以下にすることとしていた。今回決定した予算案はこの目標をクリアしているから、まずは合格ということになる。しかしこれについても、「枠組みの問題」と「中身の問題」がある。

 枠組みについてはいわゆる「事業仕分け」があった。これは国会議員、民間の有識者が公開の場で予算の中身を議論し、その場で「廃止」「縮減」などの判定を出していくものだ。2009年はこれが大変な評判になり、多くの人に支持された。しかし、この仕組みはもはや限界であり、歴史的使命を終えたと言えるだろう。それは次のような理由による。

 第1は、今回は民主党が決めた予算を仕分けていることだ。2009年の仕分けは、従来の自民党政権時代の予算の中身を洗い出すという意義があった。しかし、今回仕分けているのは、当の民主党が決めた予算である。自分が決めた予算を自分で仕分けているわけだ。予算を決めてから仕分けるのであれば、最初から仕分けた予算を出せばいいではないか。

 第2は、2009年の仕分けは閣議決定前の段階の仕分けだったが、今回は閣議決定後だということだ。日本の制度では、閣議が政府の最終意思決定機関である。閣議で決まったことは全閣僚が合意した重みのあるものだ。それを閣議の構成員でない仕分け人が判定し直すというのはどういうことだろうか。これでは、仕分けのプロセスが閣議より上位となってしまうではないか。

 第3は、仕分けの効果そのものが小さいことが分かってきたことだ。もともと2009年夏の民主党のマニフェストでは、既存予算の無駄をなくすことによってマニフェスト実行のための財源は出てくることになっていた。その無駄を洗い出す作業が事業仕分けだったわけである。

 しかし、やってみるとそれ程の財源は捻出できなかった。要するに、無駄の削減ではそれほどの財源にはならないことが分かってきたのである。

 このことは、実効ある財政再建を目指すのであれば、無駄の削減では全く足りず、かなりの国民負担を求める必要があることを示している。これは、国民の意識を変えるという観点からも重要なことだ。いつまでも「無駄をなくす」と言っていると、国民は「そうか、自分の懐を痛めないでも、無駄をなくせばいいんだ」と思い続けてしまうだろう。

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