日本版ホワイトカラー・エグゼンプション(自律的労働時間制)は、労働側の猛反発を浴びて、今国会での法案提出は見送られる公算が大きい。政策研究大学院大学の濱口桂一郎教授は、この議論が大混乱に陥ったのは規制改革・民間開放推進会議が最初に打ち出したアジェンダに問題があったからだと主張する。その真意を聞いた。(聞き手は、日経ビジネスオンライン副編集長=水野 博泰)

濱口桂一郎氏

政策研究大学院大学の濱口桂一郎教授

NBO ホワイトカラー・エグゼンプションに関する議論が紛糾したのは、「政策決定プロセス」に問題の根源があったというご意見ですね。

濱口 最初に言っておきたいのは、私はホワイトカラー・エグゼンプションの導入に賛成です。ただし、「労働時間規制の適用除外」ではなく、あくまで「残業代支払い義務の適用除外」としてです。そもそも改革のスタート時点から時間外賃金の問題を長時間労働の話とごちゃまぜにしたことが、この議論を迷走させ、本質を覆い隠してしまった最大の原因です。

「残業代」と「長時間労働」は全くの別問題

 日本の労働法制は、戦後の混乱期に作られてから半世紀が経ち、様々な点で制度的な限界に達しています。特に労働基準法第37条(時間外、休日及び深夜の割増賃金)が今の時代に全く合わなくなっている。賃金は労働時間によって決まるという大原則を定めた条項です。仕事の成果によって賃金を決める成果主義が日本になかなか根づかないのは、この条項のせいでもあるのです。

 皆さん、“月給”と言いますがこれは支給行為の単位に過ぎません。厳密に言うと、管理監督者以外のすべての被雇用者は月払いの時給制賃金なのです。時間外手当は“時給”を基にして算定されるからです。

 戦前は、何時間残業したかということとは関係なく、完全な固定給、月俸制があったのですが、戦後、十分な議論がされないまま労働基準法ができて、一律の時給制に制度が変更されたのです。

 労働基準法37条には時間外には割り増しをつけろとしか書いていないので、労働基準法施行規則の第19条で具体的な計算方法が定められています。日給、月給、年俸の違いにかかわらず、すべていったん時間給に戻して、これこれの場合はその何割増しの時間外賃金を払いなさいと。つまり、日本には管理職を除く被雇用者には純粋な月俸制とか年俸制というものはないのです。

 本来、ホワイトカラー・エグゼンプションというのは月俸制とか年俸制を選択できるようにするために、労働基準法37条の適用を除外するということなのです。ここは非常に重要なポイントです。あくまで時間外手当の適用除外であって、無制限の長時間労働を容認するような労働時間規制の撤廃ではないのです。

大量に滞留する“管理職一歩手前”の人々

NBO なるほど。その点は多くの人たちが抱いた印象とかなり違いますね。だとすると企業側の意図は何なのでしょうか?

濱口 企業側の本音は、時間外手当の適用除外です。それははっきりしています。ずばり言えば、とっくに管理職になってもおかしくない社員や、管理職一歩手前だけれども管理職にはなれそうもない社員が企業内に溢れているんです。昔ならみんな管理職にしていたんですよ、一定の年齢を超えれば。といっても、実は管理なんかしていない。インチキなんです。そういうインチキ管理職をたくさん作ることによって残業代をゼロにしていたんです。誰もそれで文句を言わなかった。

 しかし、1990年代から企業の人事管理はかなり変わりました。誰でも彼でも管理職に押し上げるということはしなくなったし、できなくなった。管理職になれない人、管理職の一歩手前の人が大量に滞留しているのです。これは企業で働く多くの人が実感していることだと思います。

 ところが、賃金体系そのものは、見直しが進んだとはいえ年功的な要素が完全になくなったわけではありませんから、法律上は残業代を支払わなければいけないわけですよ。しかも、かなり高給のサラリーマンです。支払額はばかになりません。高給に見合うだけの仕事をしてくれるならいいのですが、現実にはそんな人ばかりではないでしょう。

 こうした現状に対して、少なくとも民間企業の労働組合は一定の理解を示している。それでトータルの労働分配率が下がるのは困るのですが、実態に即して賃金体系を見直していかなければならないという問題意識を会社側と共有しているはずなんです。

NBO しかし、ホワイトカラー・エグゼンプションに関して労組側は大反対しました。

濱口 使用者側にしても組合側にしても、トップは大向こうで喧嘩するのが仕事ですからね。しかし、各企業の現場レベルでは例えば成果主義賃金を導入する時に、人事部と組合が「考え方としてはいいが、ガクンと給料が減るようなことがあったら士気にかかわる、なんとかするためにはどうしたらいいか」なんて話を日常的にやってきたじゃないですか。

 そういう人たちから見れば、ホワイトカラー・エグゼンプションを使用者側がどういう意図でやろうとしているのか、実は分かっていますよ。ですから、労使が本音で議論すれば決着がつく話なんです。大企業と中小企業では状況が違いますから一律の基準を引くことは難しいかもしれない。だからこそ、労使で話し合うしかないんです。それ以外に決着のつけようがない。要するに、損得勘定、金にまつわる条件闘争の話なんです。ある意味で、非常に単純な話なんです。

少子化対策と結びつけた規制改革会議の愚

NBO それが、どうしてここまで議論がかみ合わなくなってしまったのでしょうか?

濱口 規制改革・民間開放推進会議(内閣府)がホワイトカラー・エグゼンプションの導入を提言するに当たって訳の分からないことを言い出したからですよ。それがボタンの掛け違いの始まりです。

 2005年12月に公表した第2次答申で、ホワイトカラー・エグゼンプションの導入を提言した。そこまではいいのだけれども、「少子化対策の一環として、仕事と育児の両立を可能にする多様な働き方の推進が必要である。そのために、“労働時間規制を外すべきだ」とやったわけです。ホワイトカラー・エグゼンプションが「自律的労働時間制」などと言われるのはそこからきています。私に言わせれば、馬鹿げた論理です。

 残業代廃止ではなく“労働時間規制”の撤廃にすり替わってしまったのです。そうすることで多様な働き方が実現し、少子化対策になるというオマケまでついて…。制度に詳しくない人には、その方が聞こえがいいと考えたんでしょう。日本のために良いことをやろうとしているんだ、損にはならないんだぞ、ということなんですが、素人をだます論理ですね。労使の現場の人はそんなバカなことがあるはずがないと分かっていますよ。

NBO “管理職一歩手前”の人たちと言えば、40代か50代前半の人たちが多いでしょうから、“子育て世代”に重なるのかどうか、そもそも怪しいですね。

濱口 そうですよ。それに、自律的に働くってどういうことなんでしょうか。誰のことを言ってるんでしょうか。そんな人が本当にいるんでしょうか。

 組織で働いている普通のサラリーマンで、管理職一歩手前の人。それがホワイトカラー・エグゼンプションの主な対象者です。上司や部下、同僚もいる。ほかの部局や取引先との関係もある。そういう人たちとの接触なしに、好きな時に好きなように仕事ができる“管理職予備軍”なんてどれだけいるんですか。

 部下「もしもし。課長、どうして会社に来ないんですか?」
 課長「いや、俺は自律的に働いているから今日は出勤しない」
 部下「何バカ言ってるんですか、部長が呼んでます。早く来てください!」

 そうなるに決まってるじゃないですか。

「残業代の適用除外」なら労使歩み寄りは可能だった

NBO 確かに、“自律的”に働いている人はこの制度を入れなくても自律的だろうし、“自律的”に働けていない人がこの制度で途端に自律的になるとは思えませんね。

濱口 指示を待つだけでなく自分の頭で考えて能動的に働くことは大切です。育児への参画も大切です。しかし、労働時間規制を撤廃したら、それらが両立するなんてことを言うのは空想ですよ。馬鹿げている。ある企業の人事部の方が、「この制度が入ったら、社員に勝手に休まれても文句を言えないんでしょうか」と心配していました。当然ですよ。“管理職一歩手前”であるからこそ、職場を放棄して勝手に休んだりすることは許されるはずがないでしょう。

 要するに、現場の実態からかけ離れた空理空論を規制改革会議が持ち出したことからすべての議論がずれてしまったのです。規制改革会議の答申は、その後、閣議決定されました。「少子化対策の一貫として、仕事と育児の両立を図るために労働時間規制を撤廃する」ということが政府方針として決定されてしまったのです。厚生労働省はもはやその枠の中でしか動けない。馬鹿げたことだと担当者は思っているけれども、事務方としては政府決定に沿って作業を進めるしかない。残業代を何とかしたいだけの使用者側も引きずり込まれて身動きが取れなくなってしまった。

 厚生労働省の労働政策審議会ではどうなったかというと、労働側は「労働時間規制をなくしたら、過剰労働になって過労死するじゃないか。どうするんだ!」と猛反発したわけです。マスコミや政治家は大衆受けすることが好きなので、「残業代ゼロはけしからん」とネガティブキャンペーンを張りましたよね。しかし、議事録をご覧になれば分かりますが、労働組合側はそんなことは一言も言っていません。「残業代の適用除外」については受け入れる余地はあったのに、「労働時間規制の撤廃」となると話は違う。企業のどこに、休むも出勤するも自由で、自律的に働いている人間がいるんだ。いるんだったら連れて来い、と。当然ですよ。

 反論できないわけです。反論できないまま議論が進むわけです。そして、元祖米国で導入された本当のホワイトカラー・エグゼンプションを日本に導入することの是非や、労働法制が根本的に違う日本に導入するための方法論については、まともな議論がされませんでした。

NBO 確かに日本と米国では、労働法制も働き方に対する考え方もかなり違いますからね。

濱口 そうなんです。皆さん、誤解しているんですが、そもそも米国には労働時間規制がありません。何時間以上働かせてはいけないというものはない。だから「36協定」みたいなものもない。ホワイトカラーとブルーカラーの違いもない。単に週に40時間を超えたら、50%の割り増し手当てを払えという規定があるだけです。健康も命も自己責任の国ですから。嫌ならさっさと辞めるだけの話です。逆に差別的でない限り、理由がなくても自由に解雇できる。米国はそういうふうに物事が回っている国です。ホワイトカラー・エグゼンプションというのは、この残業代規定の適用を除外するというものです。少子化問題も、仕事と育児の両立も全く無関係なのです。

 日本は違います。会社に入ったらその会社に骨を埋める、嫌な仕事でも我慢して続けるという傾向がまだ根強く残っている。そして、欧州的な労働時間規制のある国です。そういうところに、ホワイトカラー・エグゼンプションを導入することの得失は何か、誰に対して残業代を支払い、誰に対しては支払うべきでないかという本質的な議論が完全に抜け落ちてしまった。しかも、いつの間にか、残業代の適用除外の話が労働時間規制の撤廃にすり替わっていたのです。

年収2200万円の高給取りに残業代を支払うべきか否か?

 残業代の適用除外と言うと、給料が減らされて大変だというイメージが大勢だと思いますが、ちょっと違うケースもあります。

 “モルガン・スタンレー証券事件”というのをご存じですか。年収2200万円という、とんでもない高給のサラリーマンが時間外の早朝ミーティングに参加した分の時間外手当を支払えと会社を訴えたのです。実はこの人、別件で“クビ”になっていて、そちらでも裁判を起こしています。解雇の理由は上司の指揮命令に従わずに自由勝手な行動が過ぎたということだったのですが、「俺は裁量労働制だったはずだ」と主張すると会社側は「そうじゃない」と反論した。「ならば、残業手当てを払ってもらおうじゃないか」という経緯があった。

 2005年10月、東京地裁はこの訴えを退ける判決を下しました。「あなたの残業代は、ちゃんと基本給に入っている」と。

NBO つまり、会社側が勝ったわけですね。でも、ちょっとおかしくないですか?

濱口 もうお分かりでしょう。日本の労働基準法に照らせば、これは明らかに間違った判決です。裁量労働制も適用されていない、管理職でもない一般社員に対しては残業代を支払う法的義務が会社側にはあるのです。年収2200万円の高給取りに何が残業代だ、というのが世間一般の心情でしょうが、これが日本の労働基準法の実態なのです。

 時間と賃金のリンクはもう切れる。賃金と労働時間が1対1で結びついている今の仕組みは見直すべきです。“自律的な働き方”とか“仕事と育児の両立”などというきれいごとを言うのではなく、真正面から正々堂々と賃金のあり方を論じるべきです。

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