安倍晋三首相は、成長戦略の1つとして農業の活性化を掲げた。10年間で農家の所得を倍増させる目標を達成するため、農地を集約し、大規模化を進める。さらに加工やサービス業と連携して農水産物を6次産業化し、輸出を促進する策が柱になる。

 農業や漁業が儲かる産業に変わるために必要なことは何なのか。売り上げを増やすため、いかに付加価値をつけて高く売るか。あるいは効率化による経費削減などがあるだろう。だが、そこまで簡単な話ではないようだ。既に大規模化を果たしながらも、なかなか業績が好転しないケースがある。

大規模化しても利益が出ない酪農家

 北海道帯広市の大規模酪農「Jリード」は、乳牛700頭を抱えるメガファームだ。代表を務める井下英透さんはかつて、乳牛40頭で売り上げ4000万円の規模の個人経営酪農家だった。2004年、井下さんのような個人経営の酪農家4人が集まり法人化。今では700頭を抱える規模にまで拡大した。

 しかし、大規模化しても利益が思うように上がっていかない現実に井下さんは悩まされている。

 「収支はギリギリ。大規模化しても売値を自分で上げることができないから。それに円安で飼料代や燃料費が高騰し、上昇分をカバーできない」(井下さん)

 北海道の酪農家の多くは、生乳などを地域の農協に卸す。価格は年に一度、生産者を代表して農協が乳業メーカーと交渉して決める。その価格に基づいて農協への販売価格が決まる。だが、「メーカー側のバイイングパワー(購買力)が強く、燃費や飼料代が2割上がったとしても、買い取り価格は数%しか上がらない。一桁違う差額をまかなうのは厳しい」と井下さんは漏らす。

 野菜やコメで目立つ契約栽培など、農協を通さずに自分で販路を築いたり、チーズなどの乳製品に加工したりする自主流通を志す人もいる。こうすれば設定された販売価格に縛られずに済む。だが、加工品を作るには、また莫大な投資が必要になるため、多くの酪農家が自主流通には二の足を踏んでいる。

 生産や加工の段階で効率化しても、川下である出荷先への販売が頭打ちならば、利益拡大は限られる。強い農業を目指すのであれば、効率化だけでなく、いかにして強大なバイイングパワーに屈せずに販売していくかという出口戦略も必要だ。

 デフレが続き、海外から安い食材がたくさん入ってきたため、小売店での販売価格は思うように上がらない。消費者からすれば、少しでも安い方が喜ばしい。とはいえ、メーカーや小売りのバイイングパワーが増せば増すほど、生産者は弱体化してしまう。

 昨年、あるニュースに驚かされた。

 「大手スーパー、ウナギを値下げ」

 季節の風物詩である「土用の丑の日」。消費者のウナギへの関心が高まる時期に、値下げを発表したインパクトは強かった。なぜなら、ウナギの仕入れ価格はむしろ高騰していたからだ。

 ここ数年、ウナギの養殖に欠かせない稚魚の「シラスウナギ」の不漁が続いている。水産庁の発表によると、今年のシラスウナギは輸入ものと合わせて12トンを確保したが、激減と言われた昨年に比べてさらに25%減っている。今年のシラスウナギの価格は1kgあたり260万円程度で、2004年の価格と比べると10倍の高値となっている。

希少でも「値下げ」に泣く生産者

 養殖業者は高止まりしたシラスウナギを仕入れて時間をかけて育てて出荷する。だが、卸の仕入れ担当者との交渉は一筋縄ではいかない。複数の小売店に対し、卸業者を通じてウナギを提供するある水産会社は、「○△円以下なら全量買い取るよ。1円でも高ければ1匹も買わない」「これからの取引を考えろ」と意味深な言葉を取引先から投げかけられた。

 量をさばいてくれる大手小売りの存在は無視できない。苦渋の決断だった。結果、昨年は「ほぼ利益ゼロ」でウナギを出荷した。

 値上げが予想される中での値下げや価格維持は消費者にとってこれ以上ないインパクトを与える。収入がなかなか上がらない昨今、消費者は安い商品により魅力を感じる。輸入品を大量に買い付けるなど、小売業者もこの価格をつけるために様々な企業努力をしてきたはずだ。ただ、この価格決定の裏で泣きを見ている零細の生産者の存在を忘れてはいけない。

 農業や水産業の振興を掲げるならば、農家に対して補助金を出すだけではなく、最後の出口である販売価格に生産者の努力をどのようにして添加するかまでのスキームが必要だ。

 いかにして価値を認めて、生産者と消費者をつなげるか。そのヒントになる店があった。

 筆者が訪れたのは、東京・中野にある小さな居酒屋。人が2人すれ違うのも難しいような細い路地を入り、一見さんはまず見落とすであろう地下への入り口の先にある。

 カウンター6席、テーブル2つのこじんまりとした店だが、常連客を中心に常に満席に近いにぎわいを見せている。店のウリは、マスターと女将さんの出身地である静岡の野菜や魚介類を使った料理の数々。旬を求めて、常連客が通い続ける。ここまではよくある店だが、1つ一般的な店と違う点がある。店主のおすすめから数品選ぼうとメニューを見ると、金額が書いていないのだ。そして「金額、内容はお問い合わせください」と注釈がつく。

 この店の看板メニューは「時価」なのだ。高級寿司店の魚介類ならばどこか納得できる「時価」。ここはあくまで庶民的な居酒屋で、それも時価の対象は魚というよりも、野菜が中心だ。

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