書店チェーンのリブロが、西武百貨店池袋本店に構える本店を6月で閉店するのだそうだ(ソースはこちら)。

 残念なニュースだ。

 しばらく前から撤退の噂が流れていることは知っていた。
 私は本気にしていなかった。
 リブロの池袋店は、いつ通りかかっても活気のある店舗だったからだ。

 もうひとつ、私が閉店の噂を信じなかった理由は、西武百貨店にとって、リブロが、ブランドイメージ(←西武グループが単なる商品を売る企業ではなくて、情報を発信しライフスタイルを提案する文化的な存在であるということ)を維持する上で、不可欠なピースであると考えていたからだ。

 フロアマップの中にきちんとした書店を配置していない百貨店(モールでも同じことだが)は、長い目で見て、顧客に尊敬されない。まあ、書店を必要としないタイプの客だけを相手に商売が成り立たないわけでもない。それはそれでやって行けるものなのかもしれない。が、立ち回り先に本屋が無くても平気なタイプの客は、店舗に対して値段の安さ以外の要素を求めない買い手であるはずで、だとすると、顧客に対面して商品を直接販売する百貨店のような業態は、この先、店舗負担と人件費を要さないネット通販のチェーンに、早晩駆逐されなければならない。

 本屋は、本を販売するだけの店ではない。
 それが入店しているモールなり百貨店なりに、単なる商品の売買とは別次元の付加価値をもたらす施設だ。
 その意味で、書籍を売る売り場が無くなることは、その百貨店が「なじみの本屋を定期巡回する流れでフロアに流れてくる客」を失うことを意味している。

 と、そこで起こることは「庇(ひさし)を貸して母屋を取られる」の逆パターンのなりゆきになるはずだ。

 庇を切り取った建物は、風雨の侵入を防ぐことができない。
 日差しを防ぐことも紫外線による侵食を阻むこともできなくなる。
 居住部分だけでできた建物は、崩壊が早まることを免れ得ない。

 リブロ本店閉店の噂を語る人たちが決まって指摘していたのは、道を挟んですぐ向かい側にある、より蔵書数の多い大型書店(←ジュンク堂池袋本店)と商圏が重複していることだった。

 ほとんど同じ場所に、同じような大型書店が2軒並んで店を構えているのは、資源の無駄だというわけだ。
 しかし、その考えは、いささか古いかもしれない。

 昨今では、飲食店でもアパレルでも、同じ顧客をターゲットとする同業のライバル店舗が、同じ街の狭い地域に、あえて隣り合って立地している例が珍しくない。

 なぜそんなことをするのかというと、同じ業種の店が集中することで、顧客の側には見比べるメリットが生じるからで、事実、限られた一角に同じタイプのファストファッションの店が軒を連ねている原宿や、都内のどこよりももんじゃ焼き屋が集中している月島では、その一極集中の様相が、客を奪い合う結果よりは、遠くから顧客を呼び寄せる効果を生み出している。

 私の見るに、池袋のジュンク堂とリブロは、互いに補完し合う形で共存していた。
 客の側から見て、2軒の書店が、品揃えの個性を競っている方が、1軒で孤立しているより魅力的に見えるということだ。

 本を買う客は、目当ての本を買い求めるためだけに書店を訪れているのではない。
 本好きの客は、書籍の背表紙がずらりと並んでいる景色を眺めるだけでうっとりすることができる人々だ。

 彼らは、特に買おうと思っている本が無い時でも、新しいインクの匂いを嗅ぎ、平積みにされた新刊書の表紙とそれを紹介するPOPを点検し、書籍にまつわるイベントやサイン会のポスターを見て、幸福な気持ちになるために書店に足を運ぶ。であるからして、その種の客は、徒歩圏内に、鑑賞するに足る書棚を有する書店が、いくつか並立している街を好む。どんなに品揃えの豊富な書店があっても、1店よりは2店の方がより幸せになれるからだ。

 そういう意味で、リブロが閉店することは、もしかしたら、ジュンク堂にとっても良くない影響をもたらす可能性がある。
 これまで、休日や仕事帰りに、池袋で途中下車していた巡回客のうちの一部は、今後は、もう10分ほど余分に電車に乗って、別の街の書店街を歩くことを選ぶかもしれない。

 もっとも、リブロの閉店は、一店舗の特殊事情や、特定の街の書店密度の問題であるよりは、より大きな流れの中の出来事なのだろう。

 つまり、書店の撤退は、リブロの例に限らず、「本が売れない」という、もう20年も前から続いている「出版不況」と呼ばれる現象のひとつだということだ。してみると、これは、水源が枯渇したから畑が消滅しましたという、退屈な必然に過ぎないのかもしれない。

 本が売れないことには、たくさんの原因が考えられる。
 ざっと思いつくところでは、

  1. 娯楽の多様化:ラジオ、テレビ、もちろんインターネットなど、本を読む以外の娯楽が増えた。
  2. 情報ソースの多元化:活字以外の情報ソースが充実するにつれて、活字メディアの相対的な地位が低下した。
  3. 現代人の多忙化:きょうびのんびり本読んでるヒマなんてないぞ。

 といったあたりが代表的な線だろうか。

 もっとも、書籍の売上点数の総量がピーク時(1980~90年代)を過ぎて減少に転じた後も、出版点数は2005年以降に頭打ちになるまで、増加し続けている(参考リンクはこちら)。

 このデータを見る限り、書籍は、1980年代以降、矢継ぎ早に新作を繰り出しながら、それでいて全体としての売れ行きを減らし続けてきたことになる。

 ということは、書籍1冊ごとの「ありがたみ」は、縮小傾向に沿って推移してきたわけだ。
 われら出版関係者は、このことを直視せねばならない。
 つまり、書籍は重視されず、著者は尊敬されなくなっており、読書家もまたその地位を低下させつつあるのだ。

 これは、書籍が代表していた「知識」なり「教養」という価値が、以前に比べて重要な指標ではなくなってきているということでもある。

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