アルバイト店員の悪ふざけが世間を騒がせている。
 コンビニのアイスクリームケースに横たわる若者の写真がツイッターに流れてきたと思ったら、数日後にはステーキハウスの業務用冷蔵庫の中から顔を覗かせている店員の画像が拡散した。なんということだ、と嘆く間もなく、今度はピザチェーンの厨房係が、顔面にピザ生地を貼り付けたホラー画像をアップしている。

 いずれのケースでも、アルバイトは即座にクビを切られた。
 まあ、当然ではある。
 が、火の手はおさまらない。

 あるチェーン店では愚行の舞台となった店舗に対して、本部がフランチャイズ契約の解除を通告する事態に発展した。別の店舗では、アイスクリームを販売していたケースを新品に入れ替える旨をアナウンスして炎上に対応している。

 アルバイトの学生も職場を追われるだけでは済まなかった。ある生徒は、通っていた専門学校から退学の処分を言い渡されたという。
 これらの一連のできごとを、どのように理解すべきなのか、私は、いまのところ確たる回答を得られずにいる。

 で、試みにというのか、参考までに
「どうしてこんなことが続くんだと思う?」
 と、過日、一緒に麻雀卓を囲んだメンバーにこの問題についての意見を求めてみた。
 果たして、夏休み中のおっさんたちはまともなコメントを返してこない。

「知らねえよ」
「暑さのせいじゃないのか?」
「バカがバカなのはバカだからだろ」

 ……つまり、もう少し噛み砕いた言い方で彼らの内心を代弁すれば
「まじめに考える気持ちになれない」
 ということなのだと思う。気持ちはわかる。が、これでは答えにならない。
 私は食い下がった。

「まじめに考えてくれよ」
「じゃあまじめな話をするとさ、バカがバカなのは仕方がないんだとして、一番どうかしてるのはバイトがバカでしたみたいなことをドヤ顔で記事にしてるメディアの方なんじゃないのか?」
「店もたいがいだぞ」
「だよな。バイト学生が中で寝たぐらいのことでケースごと新品に入れ替えるとか、どこのおみせやさんごっこだよ」
「オレなんか××でバイトした時、◯◯の□□で△△したぞ」
「オレだって◯っ払って■■したあげくに××の△△に□□をぶちまけたぞ」

 ちなみに、伏せ字の部分は明らかにできない。それをすると、ツイッターに画像を公開したアルバイト君と同じことになる。

 つまりなんというのか、お盆休みに麻雀をやっているふつうのおっさんであるわれわれの目から見ると、若いヤツがバカであることは先刻承知の既定路線なのだ。いまさら驚くような事柄ではない。われわれもバカだったし、上の世代はもっとバカだった。とすれば、現代の若者がチャラチャラした気持ちでアルバイトにいそしんでいるということ自体、ごく自然ななりゆきであるわけで、そのチャラチャラした気持ちで働いているクソ甘ったれた若者たちの中の一部が、勤務中の愚行を仲間に吹聴することもまた、大変にナチュラルな展開なのである。

 であるからして、私たちが違和感を覚えたのは、むしろ、昔も今も変わらぬ若い者のバカさに対して、過剰反応するようになってしまった世間の空気の変化に対してだったわけだ。

 あらためて言うまでもないことだが、私が先ほど来申し上げていることの主旨は、アルバイトが食材でたわむれてもかまわないということではない。若い人間には、大威張りで愚行を貫徹する権利があるというスジのお話でもない。

 ただ、若者の愚行が、推薦したり容認したりできる筋合いのものでないことはその通りであるのだとしても、同時に、それが決して根絶できないこともまた事実ではあるわけで、とすれば、その、若い者のやらかしがちな愚行に対して、いかに前向きな対処法を提示できるのかということが、かつて愚かな若者であった人間たるわれわれに課された課題であるはずなのだ。

 アルバイトの悪ふざけは今にはじまったことではない。昔からあったことだ。
 というよりも、アルバイトは、悪ふざけとセットになってはじめて機能するものだと言っても良い。少なくとも私が経験したアルバイトはそういうものだった。その悪ふざけについて、ここで詳しく述べることはしない(炎上するからね)が、アルバイトというのは、雇用側にとってはいざしらず、働く側にとっては、半分ぐらいは、遊びの延長線上にあるものなのだ。

 別の言い方をするなら、アルバイトは、世間を甘く見ている未熟な若者が、一人前の社会人に成長する前の段階で経由する一種のロールプレイングゲームでもある。そう思えば、支払われる対価とは別に、彼らには、遊びが必要なのだ。

 さて、昔からある若い者の愚行が、社会的な事件として扱われるに至った背景には、おそらく2つの側面がある。
 ひとつ目の原因は、愚行を犯す側が置かれた環境にある。

 若い連中は、常に真摯な姿勢で課題に取り組んでいるわけではない。むしろ多くの子供たちは、スキがあれば、ズルけたり、遊んだり、脱走しようとたくらんでいる。
 そうやって、教師や、先輩や、部活動の顧問や、店長の目を逃れてズルけることは、ピラミッドの最底辺にいる生徒や部員やアルバイト店員にとって、単なる休養とは別の、一種のゲームでもある。

 そんな中で「まんまとズルけてやったぜ」という告白は、下っ端仲間同士の絆を確認するサインの役割を果たしている。
 だからこそ、子供たちは、折にふれて互いの逸脱行動を披露しあって、その逸脱の見事さと、度胸の良さと、抜け目の無さを競うわけなのだ。

 ここまでは良い。
 いや、「良い」というのは、ほめられるべき行為だという意味ではない。
 「たいした問題ではない」ということだ。
 ともかく、彼らの「武勇伝」が、部室裏の暗がりや下校路にあるパン屋の店先で披露されている限り、大きな問題にはならない。仮に、漏れてはならない秘密が外部に漏洩したのだとしても、アナログの情報漏洩はそんなに広い範囲には及ばない。大丈夫、バレたところで反省文一枚。最悪アタマを丸めれば万事解決だ。

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