日本で働く外国人のうち、中国人に次いで2番目に多いのがブラジル人だ。だが、ブラジル人労働者の数はピークだった2011年から減り続けている。リーマンショック後の大量失業が原因だが、日本政府が実施した帰国支援事業も影響している。1度ブラジルに戻ると、再び日本にやって来るハードルが一気に上がってしまう。こうした現場の実態を、日系ブラジル人の採用で実績のあるフジアルテの平尾隆志社長に聞いた。
そもそもフジアルテは、どのような経緯からブラジルと関わるようになったのですか。
平尾:当社は1962年、私の父の代に創業しました。製造分野の人材ビジネス、当時は製造請負業と言われていた事業を始めました。

平尾:ブラジル関連の事業を始めたのは昭和の終わり頃、昭和63年(1988年)ぐらいでしょうか。日本人だけでは人が集まらなくなり、顧客企業からの要望に応えることができなくなりました。ちょうどバブル経済に入る頃でしたので、日本経済は過熱しており、労働者の定着率も低かった時代です。
その頃のブラジルはと言うと、ハイパーインフレに苦しんでいました。その結果、戦前・戦後にブラジルに移民した方々の一部が生活できなくなって日本に帰ってきたのです。日本で働く場を探していましたが、彼らはいずれブラジルが安定すれば戻るつもりでした。多くは家族をブラジルに残し、お父さんだけが単身でやって来るパターンが多かった。そこで一定期間働く場所を見つけるため、我々のような人材ビジネスとかかわるようになりました。
彼らの働きぶりはどうだったのですか?
平尾:採用してみて分かったのは、非常に勤勉で協調性がある方が多かったのです。元々が日本人ですから当たり前なのかもしれませんが、皆がコツコツと真面目に働く。それでお客様からも大変好評だったので、「日系ブラジル人の人材ビジネスはいける」という判断となりました。
特に1990年に入管法(出入国管理及び難民認定法)が改正されて、そこから本格的に事業を拡大していきました。全員が日本語をしゃべれますし、ビザ(査証)的にも問題ありません。
3年働けば500万~1000万円が貯まった
入管法が改正されて、何が変わったのですか。
平尾:従来の日系ブラジル人一世だけでなく、二世・三世とその家族に対して、3年間滞在可能な査証が認められました。この査証は活動制限のないものです。
ブラジルからの採用が増えて、ピークには月に200人に達したこともあります。その当時はバスをチャーターして、成田空港から大阪まで毎週のように採用者を運んでいました。
バブルの頃は本当に人が足りなくて、空港に着いたら即採用が決まっていました。当時の日本は本当に景気が良くて、日本で3年間も働けば500万円から多い人で1000万円も貯めることもできました。ブラジルなら月給4~5万円しか貰えなかった人が日本で月に30万~40万円も稼げるのですから、多くの日系ブラジル人が日本にやって来ました。
帰国支援事業が「片道切符」と批判されたワケ
バブルが崩壊した後も、日系ブラジル人は日本に働きに来たのですか?
平尾:やはり波はあります。日本の景気が良い時は増えて、悪くなると減ります。ですから第1回目の谷はバブルが崩壊した1992年頃に終わり、第2の谷はITバブルが弾けた2000年頃にあり、第3の谷がリーマンショック後です。
日本で仕事がなくなれば日系ブラジル人なら当然ブラジルに帰ります。日本で貯めたお金で起業する人もいれば、日本の景気が回復するまで働かないでエンジョイしている人も結構いますね。
家族を帯同して来た人は、そう簡単には帰れないのではないですか。例えば、子供が日本の学校に通っていたら、子供のためにも日本で働きたいのではないでしょうか。
平尾:そうですね。景気が悪くなっても完全に求人がなくなるわけではありません。食品メーカーの工場、例えばコンビニ向けに弁当や総菜パンを製造する工場は365日24時間稼働していますから、日本人が働きたがらない深夜の時間帯などを外国人労働者が埋めるのです。
日本では「失業した外国人が街に溢れると治安が悪くなって困る」という意見が必ず出るのですが、これには大変違和感があります。失業は誰にとっても大変な出来事であり、外国人だから暴動を起こし、日本人だから黙って堪え忍ぶってことはあり得ないと思います。実際問題はどうなんでしょうか。
平尾:それには外国人の雇用形態が大きく影響しています。日系ブラジル人に関して言えば、彼らを直接雇用している派遣会社の中には失業保険に入っていない会社も少なからずあります。そうすると景気悪くなって仕事がなくなると、収入が即ゼロになってしまいます。日本人なら住むところがある人が大半ですが、外国からやって来た人はそうでない場合がほとんどです。ですからお金がなくなると外国人労働者は犯罪に走るんではないかと心配されるのです。
これは外国人が比較的多く住む「外国人集住都市」ではかなり切実な問題です。そこでそうした都市から政府に対して「何とかしてくれ」という声が上がるようになりました。
それで、2009年度から厚生労働省が失業した外国人向けに帰国支援事業を打ち出したわけですね。なぜここまで評判が悪いのでしょうか。
平尾:「日系人離職者に対する帰国支援事業」は別に日系ブラジル人だけを対象にしたものではありませんでしたが、利用した2万1675人のうち9割以上がブラジル国籍者でした。
この支援事業は母国に帰るための渡航費用を日本政府が支援するというものです。本人に1人当たり30万円、扶養家族にも1人当たり20万円を支給したわけですから、失業して生活に困っている人たちに人道的な支援をするという役割もありました。問題は「片道切符」であることが後から分かってしまったことです。この制度を利用して帰国した人は、当初、同様の身分に基づく在留資格で再入国を認めないという条件が課されていたのです。つまり景気が良くなったので再び日本に来て仕事をしようと思っても査証が下りないという事態が大量に発生してしまったのです。
この点についてはブラジル政府からも抗議があり、去年「期間は3年」と条件が緩和されました。しかし、再入国するためには1年以上の雇用契約がなければならないという条件が残されたままです。一般的に、単純労働者の場合、そこまで長い雇用契約を結べる人は稀です。
こんなことをしていては、日系ブラジル人にも見限られてしまうのではないでしょうか。
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