豊かな生態系を守っている里山。しかし、かつて日本の里山は、立派な木などない「はげ山」ばかりだった。それが戦後、木材が使われなくなり、今や「森林飽和」とも言える状況になっている。そして森林の「量」が回復したことが、新たな環境被害につながっている可能性があるという。『森林飽和』の著者、太田猛彦・東大名誉教授に聞いた。

(聞き手は田中太郎)

太田さんの著作『森林飽和』を読ませていただきました。「飽和」というほど、日本には森林があふれているのでしょうか。

太田:はい。幹の体積の総和を森林の蓄積といいますが、日本は過去50年間ぐらい増え続け、3倍ぐらいになっています。人工林は4~5倍に増えていて、自然林もどんどん成長しています。『森林・林業白書』に毎年、グラフとともに出ているのに、誰も触れてこなかった。不思議です。

 経済成長で森林以外の土地利用はどんどん変化しています。都市に住んでいると、宅地や工場が増え、緑がどんどん減っている。一方、山に行っても、木は徐々に大きくなっていくから、あまり増えているとは思わない。それで、森林は減っている、だから植えなければいけないという先入観が出来てしまっているのでしょう。

 しかし、実は山の斜面で木はどんどん増えている。日本の森林というのは非常に豊かです。それで「森林飽和」というタイトルをつけて、「違いますよ」ということを訴えたわけです。

日本はかつて「はげ山」ばかりだった

しかし、森林が増えたのは近年のことだそうですね。本の巻頭にある口絵は衝撃的でした。歌川広重の「東海道五十三次」に描かれている江戸時代の風景には木がまばらにしか生えていない。明治時代の写真(下)にも、ほとんど木はない。かつての日本は、「森林飽和」とはほど遠いイメージです。

明治末の集落と里山。場所は現在の山梨県甲州市塩山。写真左上、マツの木が1本ぽつんと残された山に注目してほしい(写真提供:東京都水道局水源管理事務所)
太田猛彦(おおた・たけひこ)氏
東京大学名誉教授。FSCジャパン議長。1941年東京生まれ。東京大学大学院農学研究科博士課程修了後、東京農工大学助教授を経て東京大学教授、東京農工大学教授を歴任。砂防学会会長、日本森林学会会長、林政審議会委員、日本学術会議会員などを務めた。専門は森林水文学、砂防工学、森林環境学。主な著書に『森林飽和』(NHKブックス)、『水と土をはぐくむ森』(文研出版)など。(撮影:鈴木愛子、以下も)

太田:森林が飽和しているというイメージが実感できないのは、かつて森が非常に貧弱だった、劣化していたことを忘れてしまっているからだと思います。だから森林飽和と言われて、「えっ」とびっくりしているわけですよね。実は、昔の森は現在の途上国のような森だったんです。

 現在の森林を正しく理解するための最も基本的な知識の1つは、昔どういう森があって、それがどう変化したかを知ることだろうと思います。そのためにはビジュアルは非常に有効だろうと思って紹介しました。私も、最初は歌川広重の舞台をそんなふうには見ていなかった。あるときふっと見たら、「ないじゃないか」ということに気づきました。

 では、どうしてそんなにはげたのかと言えば、本にも書きましたが、簡単に言ってしまうと当時のエネルギー源は木しかなかった。だから、木がなくなるのは当たり前なんです。

木の成長を何十年も待っていられなかった

 江戸時代の人口が3000万人で頭打ちになったのは水田を開発する場所がなかった、または水が得られなかったからという説がありますが、私は森林資源がそこまでしかなかったからではないかと考えています。

 森林資源というのは、ともかく切ってしまったら次に大きくなるまで20年、30年待たなければならない。待ちきれなくてどんどん切れば絵や写真のような姿になってしまう。しかも、遠くからは持ってこられない。だから、それが制約になって3000万人で止まったのではないかと。逆に言うと、森林資源があったから日本は3000万人養えたと言えるかもしれないですね。

なるほど。そういう見方ができるかもしれません。

太田:農業生産が止まったのは水のせいだけではなく、肥料がなくて止まったのかもしれません。当時、肥料はすべて里山の木で堆肥でつくり、それだけでは間に合わないので、青い葉っぱまで使って緑肥にして、ぎりぎりで回していたんです。だから私は、日本人は「稲作農耕民族」ではなくて「稲作農耕森林民族」だろうと言っているわけです。

明治時代に森林資源が最も収奪され、森林が荒廃した時期だそうですね。

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