2019年12月30日

何も感じず笑う。

生まれたその日、私は泣きませんでした。


臍の緒が母のお腹の中で首に三重に巻かれていたのが理由だと。



やっと泣くことができて帰った場所は、父と母が暮らしていた文化住宅だったと聞きました。


記憶があるのは3歳か4歳。


そのとき私が居たのは立派な分譲住宅です。


何時間も手を洗い何を触るにもティッシュ越しの母方の祖母、統合失調とアルコール依存性の母。


父以外の男と性的行為をして、妊娠の不安を打ち明ける母。




はよ死んだらええのに。





そう思っていたら50代で他界した母を笑いました。



この記事へのコメント

1. Posted by たぁまぁ   2020年01月11日 00:13
新年おめでとうございます。
色々あったんですね。
私は去年、母子家庭で育ったのに
警察署から電話来て、
このままなら無縁仏になる
父親の身元引受人となりました。
腐った親でも親は親なんですかね、
骨になった姿を見る前までは涙が止まりませんでした。

新たなスタートが
素晴らしい一歩になりますことを
遠く沖縄から願っております。
ろつこさんに幸あれ!
2. Posted by ろってん   2020年01月13日 22:58
たぁまぁさん。

ご無沙汰しておりました。

お父様の件、下さったコメント数行の中には何年も何十年ものお気持ちがあられたのではないでしょうか。

心よりお悔やみ申し上げます。


「子供に親は選べない」
私は自分が親になったらなったで、親にも色々あるわいなと講釈垂れ流してたら20年が過ぎました。

たぁまぁさんのお子さんは、あと数年で成人式でしょうか。
確か、お嬢さん?

楽しみですね(´∀`*)

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