ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

市民文学賞に求められる独自の狙いと戦略

2010å¹´12月22æ—¥ | åœ°æ–¹æ”¿æ²»ãƒ»çµŒæ¸ˆ
「村上春樹の『ノルウェイの森』の中に柏に住んでいる女の子が出てくるんですよ。すごい豪邸に住んでる子なんですけど、そんな場所が実際にあるんですよ。世界で最も読まれているような小説の中でも『柏市』という地名が出ていて、実際にそんな場所があって、凄いなぁと思って、それがこの文学賞を企画したきっかけなんです」

先日、応募した柏ミニ文学賞の授賞式があって、この賞の主催者の人がその動機を話してくれた。単純な思いつき。そう言ってしまえばそれだけだけれど、シンプルであるがゆえにこの言葉には本音が込められているのだろう。出版社が主催するような文学賞とは違い、地方都市が主催する市民文学の原点とはこんなところから始まるのだろう。

この賞への応募者のほとんどは地元の人だ。「この『かしわーど』がきっかけになって大きな賞をとる人が生まれれば…」そんな期待や夢も膨らむ。柏を舞台にした作品が生まれ、柏を舞台に映画やドラマができる。何なら自分たちで作ったっていい。そんな他愛のない話が膨らむ。

しかしことはそんなには簡単には片付かない。

たとえ規模が小さかったとしてもそれを継続して運営していくためには、それなりの費用がかかる。例えば「伊豆文学賞」(静岡県)のように、地方自治体が主催するものであれば自治体の支援の下に実施されるだろうし、北日本文学賞(北日本新聞社)のように地方の新聞社が主催するものであれば新聞社がその費用を負担する。

この「かしわーど柏ミニ文学賞」は、特定のスポンサーをもたない市民団体(というか有志)が主催している。まだまだ規模も小さく、自治体の支援もない状態だ。そうなるとどのようにスポンサーを獲得していくかというのが大きな課題となる。

そしてこのことが大きなジレンマを生み出す。

この賞のサイトにはこのプロジェクトの概要として、「地元の活性化、つまり地元企業・団体・店舗等のプロモーションの場、そしてショートストーリーを発表することで、自らの作家への夢を実現する新しいチャンスの場を作り上げる新しい地域活性化モデル」を目指すと書かれている。

つまり市民自らが表現者として作品を発表できる「場」を提供することで「地域の活性化」を促すというだけではなく、「地元企業・団体・店舗」等のプロモーションの「場」として活用され、それら企業や店舗に経済的効果をもたらし、結果、「地域の活性化」につながるということを目指しているということだ。文学としての「質」だけではなく、地元企業や店舗への「貢献」も目指しているのだ。

これは理念としては、あるいは目指そうとしているビジネスモデルとしてはわかる。こうした理念の方が地域のより多くの企業や店舗に協賛してもらえるだろうし、自治体や特定の大口の企業だけではなく、作品に登場しそうな商店街や店舗など小口の企業にも協賛してもらいやすいかもしれない。

しかしこれを実現しようとすると、当然、より多くの地元の「企業」や「店舗」が作品中に登場してもらう必要がある。主催者側も、場合によっては書き手側も、作品の「内容」や「質」とは別次元で、そうした「クライアント」に対する配慮が必要になってくるのだ。これは大きなジレンマだろう。

例えば、今回、作品を投稿する際のルールとして「文中に柏エリアのスポット(駅、学校、お店、企業など)を語句に入れる」ことというものがある。しかしクライアントに対する配慮がいき過ぎると、柏エリアの「特定」のスポットをモチーフとするように制約がかかったり、極端にいえば「●●商店街の店舗をモチーフとする」「駅前のマックをモチーフとする」といったことになるかもしれない。

更に言えば、どんなに面白い作品に仕上がっていたからといって、クライアントになっている店舗にマイナスのイメージを与えるような作品は選考から外されるだろう。「駅前のマック」でミンチ殺人事件の話や、「フルーツジュース屋」で毒入りジュースを売るなんて小説はNGだ。

そうした「作品」に対する評価と「クライアント」に対する配慮。この2つの間でどのようにバランスがとれるかが課題になってくるのだろう。

作品をつくり、とにかく発表するだけならば、ネットを使えば誰でも簡単にできてしまう時代、こうした市民文学賞は何を目指し、どのように地域の人々を巻き込んでいくのか。理念と戦略が必要となるのだろう。果たして「かしわーど」プロジェクトが目指す「文学」と地元企業・商店との連携は成功するのだろうか。


かしわーど・柏ミニ文学賞

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