「描く」仕事の現場から

イラストレーター兼デザイナー兼ディレクターTETSUの独り言

この仕事を始めるまでに(其の四)

2005å¹´03月06æ—¥ | â– ã“の仕事を始めるまで。
この頃から、「描く」ことが僕のすべてのコミュニケーションの
中心になっていく。

描き方、手法、タッチは関係ない。
描くことと、それを中心に据えたコミュニケーション。

大学の時、教授がよく使っていた、
「視覚言語によるコミュニケーション」という言葉を思い出す。

「話す」才能と「描く」才能の両方を駆使したコミュニケーション。

まさに、今、自分がやっているのは言語と
視覚言語を媒体としたビジネス全般に他ならない。

この後、3年前後で
カタログをまとめる手法を何人かの優秀なディレクターの元で
サムネールスケッチですべての作業を俯瞰して仕切る事を学び、
また、大切な情報を扱うノウハウを学び、
(後述:情報に優先順をつける/etc.)

カンプとその前段階のサムネールをデザイナーや
ディレクターのかわりに描く仕事をD通系のプロダクション
で覚え、その頃にアイデアの選択肢を広げるタイミングは
実はそのサムネールのタイミングしかないこと、
そこでアイデアが適切にチョイスされないと、あとになって
無駄な予算となって作業のリスクとして返ってくることなど
経験し、

同時期に自分が仕事の元請けになって
カタログなどの予算を仕切って、割り振って
作業をしていくチーム単位の仕事の術を覚え、

カンプの評価と共に、レタッチャ-、フィニッシャーのポジションと
イラストレーションの制作者としての評価をあげてきた。

また、ここ何年かは、コーディネータとしての自分の領域を広げるために
様々な体験に時間を費やして来た。
SP,POP/商品開発デザイン/レスポンス広告/企業CI。
そろそろ、次のステップへ向けていくつか総括し、
もう一つ高いレベルに進もうと思いはじめている。


この仕事を始めるまでに(其の参)

2005å¹´03月06æ—¥ | â– ã“の仕事を始めるまで。
悪魔はそこにやって来た。
世間知らずで、経済的なことや商業的な落とし穴など
何も知らないおぼっちゃま育ちのばか者にやって来たのは、
今思うと定番的なねずみ講まがいの話を携えた、昔のバンド仲間だった。

当然、彼も被害者なのだが、
この商法の恐ろしいところは、
被害者がイコール加害者であるという図式にされてしまうことだ。
彼の巧みでない必死の話にさえ、夢を投射し出したら、
もう術中に落ちたも同然で、行き着く底までまっしぐらである。
両親を含め何人かの親しい人たちに多大な迷惑をかけ、
多くの友人の信頼を失い、多くの借金を抱え、
ある日、はたと底に辿り着く。
何も残っていない場所。
謝りたい相手にももうそこからは声が届かない。

人間関係を失い、金銭がなくなりした時に、
自分に最後に残っていた評価は、
「絵」を描くこと、それだけだった。
19才で描くことに目覚めてから、
すでに8年ほどが経っていた。
また「描きたい」。
自分から、台なしにしておいて
自分勝手な言い種だが、
底で初めて気づくこともある。

自分に何も言い訳が出来ない出来事が起き
本当に自分自身に絶望したときに、
何が希望なのかを知る。

今思うと、、あの時に転落したのは
悪魔の意志だったか、神の意志だったか。
僕のその後にとって、
はじめてちゃんと足がついた「底」がそこにあった。
最もそこからの何年かは、
さらに深い底を徘徊するのだが。

ただ、やがてその底の経験は、多くの危険を回避し、
リスクを持ってくる相手を防ぐ知識の壁として
多くの実践的なスキルを私にもたらしてくれることになる。
「血肉になる」知識というものは
字のごとく、血肉を削る思いの中でしか得られない。

そんな状況の中でも救いの手はいくつも差し伸べられた。
様々な感謝を知っていく回数分だけ
自分についている数多くのおごりとごう慢を知ることになる。
他人の目から見た自分のなんとごう慢なこと。
そんな再生に向けての修行の期間が3年ほど続いた頃
様々な変化の先に、絵を描く仕事が本当に自分の仕事になってくる。

面白かったのは、絵を生涯の仕事にしようとした時に
最初に知ったのが、自分が恐ろしく未熟で「下手だ」ということだ。

いったい何を根拠に今まで、自分が上手いなどと
勘違い出来たのか。そしてこの自分が下手であることを
知った時のモチベーションこそが、
僕がこの世界で生きる人間であることを唯一証明した。
辞める気はなぜか起こらない。
描けなければ、描けないほどやる気が湧いてくる。
「絶対描いてやる!」

この仕事を始めるまでに(其の弐)

2005å¹´03月06æ—¥ | â– ã“の仕事を始めるまで。
仕事の話に戻そう。

僕がこれまでに仕事してきたのはこんな世界だ。

・イラストレーター(リアル系,ピクトグラム,カット,キャラクター)
・カンプライター(広告系,パステル,CMコンテ,Webコンテ)
・アートディレクター(カタログ制作/グラフィック制作)
・レタッチャ-(フォトクリエイティブ/CG合成/イラスト合成)
・Gデザイナー(デザインレイアウト/他グラフィック全般)
・Pデザイナー(シューズ他)
・版下屋さん(今はもう無い職種だ)
・Macオペレーター(これももうないな。)
・SP,POP制作・商品企画デザイン制作
・マーチャンダイザー(マーケットディレクター)
・クリエイターのコーディネイタ-

別に違和感はない。
好き嫌いなく10年やってるうちに
下から上まで普通に通ってきてしまった。

僕の在籍していた大学はディレクションやデザインを
幅広く俯瞰出来るよう高いレベルの授業をやっていた。
当時は、まったく授業に真面目でなかった自分が、
逆にこの年になって、その恩恵を隅々まで受けていることに
気づくと、当時の自分の視野が恥ずかしく思える。

知らず知らずのうちに
必要なものを多く教え込まれてきていたことに気づく。

「お前はあと10年は経たないといろいろわからない。」

20代中半に、グラフィックの世界では
世界でも指折り有名な某K井教授に卒業制作で
いわれた言葉だ。当時「ちくしょー何言ってやがる!」
とか思ったが、今となってはまったくその通りだった。

同級生には早熟な才能達がひしめいていた。
当時の美術予備校講師の仲間達は二十歳そこそこで、
いくつものコンペに入選し名前を取りざたされて
いたものが多くいた。

僕は自分の道がわからなかったから、楽な道から入った。
就職活動で、入社試験のある難しいところもいくつか受けつつも、
面接で自分の考えていることを話しただけで、非常に気に入って貰えた
企業があって、試験無しでそこに入れてもらうことになった。

学校にろくに行かず、サークル活動と自治会を代表して
100人相手の議事に明け暮れていた僕はディベートに長けていた。
好きなジャンルで、マニアックに研究していたジャンルなら
尚更で、はじめて行ったその会社で、僕は日本のシューズ産業が
なぜ育たないかをえんえんぶちまけた。今思うと、先人の努力の
上にある日本独自の産業基盤をはっきり時代にあわないと
否定したうえにドイツやアメリカのメーカーの成功例ばかりに
倣ったかなりの暴論であったのだが。
だが、新鮮だったのかもしれない。
若さは時として、破壊のエネルギーと同様に魅力的に映ることがある。
入社は簡単に決まった。

シューズの会社に就職した僕は夢だったスポーツシューズの開発
をしたかったが、その部署は狭き門で、
なおかつ、会社の採算からいうと、
さほど重きをおいている部門ではなかった。

先方の期待は、僕に幹部候補生として、様々な有意義な研修と経験を
与えてくれたが、
僕は夢から遠ざかっていくかのように錯覚する日々が続いていた。

この仕事を始めるまでに(其の壱)

2005å¹´03月06æ—¥ | â– ã“の仕事を始めるまで。
ブログをはじめた。

まずは、自分の事を知ってもらうためにも
自己紹介と思って、困った。

私は、今の自分の仕事がどう呼ばれるのが適切か
実は、よくわからないでいる。

仕事と仕事の間には目に見えない垣根があるのだが、
それを飛び越えることで仕事にしているというのか‥。
いろいろな職場を見てきたことが幸いというか不幸にしてというか、
僕を今のポジションで仕事させている。

普段の僕はイラストレーターと名乗ることが多い。
(これならば、わかりやすい)
実際、小学2年生のときには、既にそういう仕事で
食っていくんだとか作文に書いてた覚えがある。

ただ、子供の夢は気紛れで、
僕も例にもれず、
ケーキ職人になりたいだの
ミュージシャンになりたいだの
シューズのデザイナーになりたいだの
ありとあらゆる夢を見ていた。

そのうちのいくつかは、近いところまで
現実になり、いくつかは今も抱えていたりする。
要は、「気が多い」のだ。

僕は、自分の事を、人並みが少なく、
人並み以下と人並み以上が
たくさんある人間で並外れているものはない。
ある意味、極端でバランスが悪い
そう思うことがよくある。

あるいは、そう思ってかっこつけてるだけかもしれない。

まわりのひとはきっと大変だ。
よく、「振り回されている」ようにみえる。

申し訳ないと思うのだが、
気がつくと「振り回している」。

だからこそ、
「バランスが大切」とかいって
人に言うフリをして、
自分に言い聞かせていることがよくある。

僕はミーハーだ。
世間の多くの上京した人のように、
「有名」に基本的に弱い。
いろいろ考えると非常に「俗物」である。
成熟した大人の概念
(そもそも、それがわかるのか?自分)
とは程遠い。

おっと、話が「自分」の話ばかりになってしまった。
こういうところも俗物的だ。
長くなって読みづらい。

だから、お前の仕事は何なんだという
読書のお怒りを反省しつつも
そこまでまだまだ行けない。

どうもまだ、書きなれない。
素人ブログだ。許してもらおう。