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今年の「#文学」
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蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第22回を「ちくま」11月号より転載します。掲載時より思いもよらぬ展開を経て、ふりだしに戻ったかのようなこの話柄。丹那トンネルより西ではどんな不思議でも起こるのか、(元)官僚たちの言葉のマジックがいよいよ時代を覆い尽くさんとしているのか。ご覧下さい。 六本木からさして遠からぬ三河台という麻布の一郭で生まれ、そこにあった祖父母の家が戦災で焼け落ちてからはもっぱら世田谷で暮らしていたので、とても生粋の江戸っ子などとは呼べぬ曖昧な身分でありながら、戦事中を疎開先の長野県で暮らしたほかはほぼ例外なしに東京に住んでいたのだから、昭和九年に開通した東海道本線の丹那トンネル以西の土地をそっくり異国と見做しているのも、さして無理からぬ事態の推移というべきかもしれぬ。 実際、わたくしにとっては、丹那トンネルはいわば安土桃山時代の「関ヶ原」みたいなもので、異国にほかなら
11月刊のちくま学芸文庫『増補 アルコホリズムの社会学』(野口裕二著)より、信田さよ子氏による解説を公開します。多くのアルコール依存症者たちのカウンセリングを行ってきた信田氏にとって、本書は「バイブルのような存在」だといいます。それはなぜなのか、カウンセラーとしての自身の歩みを振り返りながら述べていただきました。ぜひご一読ください。 はじめに 本書は、私にとってバイブルのような存在である。 1970年代からずっとアルコール依存症にかかわり、その経験にもとづいてアディクション全般にカウンセリング対象を拡大してきた。さらにアメリカでアディクション援助の世界が生み出したさまざまな言葉(アダルト・チルドレンや共依存など)に軸足を置きながら、家族と家族の暴力の問題をターゲットにしてきた。 そんな私の分岐点は1995年にあった。現在まで続くカウンセリング機関を開設したのである。本書が刊行されたのが19
第40回太宰治賞受賞作にして第46回野間文芸新人賞候補作、注目の新人作家・市街地ギャオのデビュー作『メメントラブドール』を一部特別公開! 衝撃のラッシュをいますぐ受け止めてください。 「♡」 「マッチありがとうございます!」「プロフ見てよければ返信ください♡」 Tinder には菅田将暉と山﨑賢人がいっぱいいる。で、そういうのはだいたいヤれる。いまマッチしたのは通算三人目の山﨑賢人だった。 私は男としかマッチングしない設定にしているからファクトチェックできないけど、橋本環奈と広瀬すずも一定数生息しているらしい。でもそういうアカウントの裏にいるのはだいたい愉快犯の寂しい男か迷惑系YouTuber にインスパイアされたキッズで、マッチしたところで文脈も知性もセンスもないおちょくりメッセージしか来なかった、というようなことを二人目の菅田将暉が言っていた。そんなの考えなくてもわかるだろうに、実際に
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の2つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 富野監督作に通底するテーマとはなにかを探るシリーズ第2回。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 力を手にした傲慢 では‟イデ”の本題へと踏み込む物語の終盤はどのように構想されていたか。 企画書改訂稿のストーリー要約は「人類は‟イデ”の力によって、全宇宙の支配者になろうかと自負した瞬間、物語は‟イデ”の恐るべき力を見るのだった」と締めくくられている。(※1) その後に掲載されたもう少し詳しいストーリー紹介では、終盤、バッフ・クランの先発隊がついに地球へと迫ってくる展開が書かれている。 「全てを壊滅しない限り、バッフ・クランは地球の存在を、母星に知らせる。叩くしかない」 その意志の統一がバッフ・クランを壊滅する。あたかも、‟イデ
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の2つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「『イデオン』で獲得したテーマ」。その後の作品にも通底するものはなにか。全3回です。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 『ガンダム』との違い 『伝説巨神イデオン』は『ガンダム』放送終了直後の、1980年5月から放送が始まった。富野はこの『イデオン』で『ガンダム』以上に作劇に踏み込んでいく。また現時点から振り返ると、富野は『イデオン』を通じて、戯作者として追いかけていく‟テーマ”とでもいうべきものを掘り当てたと考えられる。 まず富野が、『イデオン』の物語をどのように構築したかを確認しよう。 『イデオン』のメインスポンサーはトミー(現・タカラトミー)。「戦車」「タンクローリー」「幼稚園バス」が変形合体して巨大
ちくま学芸文庫10月刊『悪文の構造』(千早耿一郎著)より、石黒圭さんによる解説を公開します。文章読本は世に数多くありますが、なかでも「悪文」を扱った本には名著が多いといいます。それはなぜなのか、また、そのような中で本書の特長はどこにあるのかを紹介いただきました。ぜひご一読ください。 もしあなたがスリムな体型を手に入れたい場合、『みるみる痩せる激やせ食事法』と『太りにくい身体を作る食事法』、どちらの本を書店で手に取るだろうか。おそらく『みるみる痩せる激やせ食事法』をまず手に取るのではないか。手っ取り早く痩せられる方法が書いてありそうだからである。 しかし、ダイエットにはリバウンドがつきものである。一年後の自身の体型を考えた場合、どちらの本に従えば、目標を確実に達成できそうだろうか。冷静な頭で考えれば、『太りにくい身体を作る食事法』に軍配が上がることに多くの人が気づくはずである。健康的に痩せた
フィールドワークの目的は、「ブラックスワン」を探すこと。自分の半径5メートルから飛び出してはじめての世界に飛び込む方法を伝える『フィールドワークってなんだろう』より本文の一部を公開します! ブラックスワン 現在、ネットという強い味方があり、ちょちょっとググればそれこそ寝ながら検索し、いろいろなことを調べることができます。それなのに、なぜ時間とお金をかけて苦労して調査をするのでしょうか。それを一言でいえば、「ブラックスワン」を探すためです。直訳すれば黒い白鳥。ホワイトスワンつまり普通の白鳥は、ネットで検索すれば、すぐに見つけ出すことができます。しかし、ブラックスワンは検索ではでてきません。 また、一羽でも黒い白鳥をみつけることができれば、白鳥はすべて白いとは言えなくなります。そのため、白鳥という概念そのものを考えなおす必要が生まれてきます。この概念を問いなおすほどのなにかを発見することが、苦
複雑で、使いづらく、うしろめたい…… 日本の社会保障はなぜこんなに使いづらいのか。複雑に分立した制度の歴史から、この国の根底に渦巻く「働かざる者食うべからず」の精神を問い、誰もが等しく保障される社会のしくみを考える、山下慎一さんの新刊『社会保障のどこが問題か―「勤労の義務」という呪縛』より、「はじめに」を公開します。 †複雑で使いにくい社会保障 なぜ日本の社会保障は、これほどまでに複雑でわかりにくく、使いにくいのか。読者各位も、一度はこのような思いを抱いたことがあるだろう。 社会保障とは、医療や老後の年金、介護、子育てなどに関わる公的な給付であり、日本国憲法25条(生存権)にその法的な根拠をもつ。人々が日々の生活に不安を持つことなく、健康で文化的に生きていくための生活保障を目的とするものと言える。 ただし、日本の現実はその理想のようになっているだろうか。そうではない、ということを示すために
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「戯作としての『機動戦士ガンダム』」の第2回。なぜニュータイプにこだわったのか。「戯作」とはどういうことかを解き明かします。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「「ニュータイプ」が産んだ2つの顔」はこちら 「ニュータイプ」をゴールとして組み立てる ここで一度、初期設定書の段階から、ニュータイプの発明に至る足取りを確認してみよう。 初期企画案には、ニュータイプという具体的な言葉は書かれていない。しかし設定などを固めている1978年11月3日付のメモに「ラスト・メッセージに至るドラマとしてエスパーの導入あり得る」と記されてもいる。7ブロックに分かれたストーリーメモを見ても、敵役としてアステロイド・ララという1
ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2024年10月号より転載。 9月末で最終回を迎えるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)、「虎に翼」(2024年4月〜)が好評だ。 〈日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ、一人の女性の実話に基づくオリジナルストーリー。困難な時代に立ち向かい、道なき道を切り開いてきた法曹たちの情熱あふれる姿を描く〉(公式HPより)という内容で、脚本は吉田恵里香、主演は伊藤沙莉。主人公のモデルは日本で女性初の裁判所長になった三淵嘉子だ。 この欄でも朝ドラや大河ドラマは何度か取り上げ、特に朝ドラは政治的な要素を排し、史実をマイルドに改変する癖があると論じてきた。が、「虎に翼」はそれらと少しよ
MLBの球場の外野の「壁」を臆面もなく「フェンス」と呼び続けるアナウンサーたちに、小さな声ながら異をとなえたい 蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第21回を「ちくま」9月号より転載します。MLBもいよいよ佳境に入っていますが、その中継を見て、というか聞いて、蓮實少年の映画視聴のように、知らず英語力を鍛えている少年たちがいるのかもしれません。学習は「する」ものではなく「している」ものという箴言が思い出されます。ご覧下さい。 一九四五年八月十五日のアメリカ合衆国を初めとする連合国軍への日本帝国の無条件降伏によってもたらされた敗戦後の市民的な自由を多少とも満喫することができたのは、そのとき小学校の三年生だったわたくしが数年後に中学に進み、先生たちを合法的に虐めることの快楽を享受する術を体得できたときのことだった。「合法的に虐める」とは、英語なら英語の先生に向かって、彼が絶対に答えられないは
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の2つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「戯作としての『機動戦士ガンダム』」。『ガンダム』という作品にとって、ニュータイプとはなんだったのかを考える全3回です。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 「とんでもない展開」が触発する 第7回で触れた通り、富野は第6話の後、第7話から第21話までは、ストーリー案を書いていない。 第7話から第21話は、地上へ降りたホワイトベースが北米から太平洋を越え、ユーラシア大陸を横断していく過程を描いた内容だ。第7話から第15話までは、敵の司令官ガルマ・ザビとの戦いから始まり次なる敵となるランバ・ラルの登場を描くが、各話完結のエピソードも多く含まれる。第16話から第21話までは、ランバ・ラル隊との死闘とそれが、アムロ
PR誌『ちくま』より、『ヘルシンキ 生活の練習はつづく』の書評を転載します。稲葉さんの、朴沙羅さんへの愛があふれる書評です。 「朴沙羅は天才だ」。知り合いから噂は聞かされていたが、実際に会ったらすごかった。恐ろしく頭の回転が速く、弁が立ち、物おじしない。SNSで読む日々の文章も明晰で力強く、偏りがない――自分の確固たる立場はあってもおよそ党派性というものがない。本書に登場するお連れ合いのモッチンは常日頃から彼女を「世紀末覇王」と呼んで畏れ敬っている。もちろんケンシロウではなく、黒馬に乗ったあのお方のことです。 おまけに彼女は家庭人であり、二人の子の母である。モッチンと二人、まだ身分が不安定な任期付講師の時代から、小さなユキを抱えて東奔西走、毎日ご飯を作りながら国際学術雑誌に論文を投稿し、という日々の果て、ようやく定職に就いたモッチンの最初の任地は彼女のホーム京都を遠く離れた首都圏で、ご実家
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話」最終回。第1話はなぜ視聴者を夢中にさせるのか。その魅力を演出面から読み解きます。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈8〉アムロをどう演出したか」はこちら 初期設定のシャア 脚本から絵コンテで大きく変わったポイントはもうひとつある。それは、アムロたちのライバルキャラクターである、ジオン軍の将校・シャアの描写だ。推測するに、おそらくシャアのキャラクター性は、脚本段階ではそこまで明確に決まっていなかったのではないだろうか。 そもそも富野が書いた「ガンボーイ企画メモ」(※1)や「初期設定書」(※2)を見ても、シャアに関する記述は少ない。7ブロックに分けて書かれたスト
9月11日発売の石岡丈昇さん『エスノグラフィ入門』(ちくま新書)から、「はじめに」をまるまる先行公開します。 はじめに からだを動かしながら社会を調べる。それが私の仕事です。 これまでマニラのボクシングジムで一緒に練習に参加し、その場を拠点にスラム生活と貧困について調べてきました。 ボクシングの練習空間でもっとも欲したもの、それが空気です。 「ワラン・ハンギン(walang hangin)」、直訳すると「空気不足」というフィリピン語は、ジムで頻繁に使われます。スタミナ不足で息の上がったボクサーを揶揄する言葉です。私はいつも「ワラン・ハンギン」で、ミットやサンドバッグを打ちました。 日常生活で、空気や呼吸を意識することはほとんどありません。私にとってボクシングは、人間が空気を吸う存在であることを、あらためて教えてくれる実践でした。 この経験は別の場面にも接続されました。私はCOPD(慢性閉塞
史料とはなにか。それをどう読んでいるのか。そこからオリジナルな議論をいかに組み立てるのか。歴史学がやっていることを明らかにした『歴史学はこう考える』の「はじめに」を公開します。 私は歴史家です。「歴史家」という日本語の単語の響きは、「歴史学者」よりも少し重々しく響くので、自称するのはちょっと気恥ずかしいという同業者もいるのですが、とりあえず本書では、私や、私の同業者と言えそうな人たちを広く「歴史家」と呼ぶことにします。 そして、本書は「ちくま新書」という新書シリーズの1冊です。歴史家が書いた新書というのは、それぞれの新書レーベルからそれなりの点数が出版されています。大規模書店の新書コーナーにいけば、そうした本を何十冊と見つけることができるはずです。あるいは、この本を手に取っているみなさんも、そのうちの何冊かを手にしたり読んだりしたことがあるかもしれません。歴史家が書いた新書は、たいてい、過
ヨーロッパにおいて近世とはどういう時代か、中世とも近代とも異なるその独自性とはどのようなものか。主権国家と複合国家の相克という観点から、近世という時代の多様で複雑なうねりを描き出すちくま新書8月刊『ヨーロッパ近世史』(岩井淳著)より、「はしがき」を公開します。 「ヨーロッパ近世」とは、どのような時代だろうか。近世とは、日本史なら主として江戸時代をさすが、ヨーロッパ史では通常、15、16世紀の大航海時代や宗教改革に始まり、18世紀後半のイギリス産業革命とフランス革命までの時代を念頭に置くことが多い。しかし振り返ってみると、この「近世」(英語ではearly modern と言う)という時代区分は、それほど古くからあったわけではない。19世紀までの主要な歴史家は、ヨーロッパ史の時代区分として古代、中世、近代という三分法を用いており、そこでは、大航海時代や宗教改革から始まる時代は、中世とは区別され
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話」の2回目です。第1話はなぜ視聴者を夢中にさせるのか。その魅力を演出面から読み解きます。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈7〉観客を引きずり込む冒頭部」はこちら フラウとアムロ1――日常を描く 『ガンダム』第1話に戻ろう。 サイド7に潜入したジオンのモビルスーツ・ザクは、偵察を始める。パイロットの双眼鏡にひとりの少女が、隣家に入っていく様子が捉えられる。少女は、アムロのお隣さんのフラウ・ボゥで、ここから物語の軸は、主人公であるアムロ側へと切り替わる。 アムロの家を舞台にしたフラウ・ボゥとアムロのやりとりは、脚本を書く段階で星山が気を配った部分だ。星山は、スト
独自調査や財政データの分析から、大阪維新の会を徹底検証した吉弘憲介さんの新刊『検証 大阪維新の会 ―「財政ポピュリズム」の正体』(ちくま新書)。同書の書評を、社会学者の丸山真央さんにお書きいただきました。『ちくま』8月号より転載します。 「維新の会」について関西以外の友人や研究仲間からよく聞かれるのが、「どうして人気なのか」「本当にそんなにすごいのか」ということである。本書の著者も言っているように、関西以外で維新の会への関心は高くない。それでも国政選挙が近くなったり大阪発の全国ニュースが増えたりすると(最近だと万博の費用や会場の問題)、維新の会のことが頭をよぎるのであろう。そこで先の問いが投げかけられるわけである。 「どうして人気なのか」とは、要するに「誰がなぜ支持しているのか」ということである。そこで、「支持者は若年層や高所得層に限られないらしい」とか「自民党の支持層と大して変わらないそ
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話」。第1話はなぜ視聴者を夢中にさせるのか。その魅力を演出面から読み解きます。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 到達点であり出発点 富野は、1972年の『海のトリトン』以降の5年の間に徐々にその演出スタイルを固めてきた。そして『無敵超人ザンボット3』(1977)から『無敵鋼人ダイターン3』(1978)を経て『機動戦士ガンダム』(1979)に至る過程で、富野の演出スタイルは確固たるものとなる。『ガンダム』は、演出家としてのその時点での「到達点」と位置づけることができる。 また一方で、富野は『ザンボット3』で初めて原作としてもクレジット(脚本家の鈴木良武と連名)され、
私たちのセンスやアイデンティティの起源から、流行の絶え間ないサイクルまで――〈文化という謎〉を解き明かすために、人間がもつ「ステイタス」への根源的な欲望を探求する話題の書『STATUS AND CULTURE』。本書を「サブカルチャー先端の現場に常にこの人あり」なインターネットユーザーとして知られる動物豆知識bot氏に読み解いていただいた。PR誌「ちくま」2024年8月号掲載の書評を大幅に増補加筆してお送りします。 「文化」という大いなる謎 『STATUS AND CULTURE』が発表からたった2年で日本語でも読めるようになったことは喜ばしい。『AMETORA――日本がアメリカンスタイルを救った物語』の著者、W・デーヴィッド・マークスの新刊は原著の発売当時からまわりのカルチャー愛好家の間で話題になっていた。カルチャー研究の重要書が日本で翻訳されることが少なくなっている昨今、これはうれしい
7月刊行の『「性格が悪い」とはどういうことか』は、おかげさまであっという間に新刊重版となりました! 「マキャベリアニズム」「サイコパシー」「ナルシシズム」「サディズム」という典型的なダークな性格を分析し、どんな問題に結びつきやすいかを解説しています。ただ、仕事によっては「悪い」と言われる性格が有利に働くこともあり、またそういう性格が残っていることにも理由がある、などなど単純に悪いとは言えないこともわかり、深く納得できます。このタイトルを見てどっきりしたあなた、誰にでもダークな面はありますから、どうぞ安心して読んでみてください。「序章」の一部を公開します。 序 章 †ダークな性格は外在化問題に結びつきやすい 心理学で行動面・心理面の問題を論じるとき、大きく二種類に分けることがあります。一つは内在化問題、もう一は外在化問題と呼ばれます。これは、幼児期から青年期くらいの若い世代に見られるさまざま
日本国憲法という醜い日本語のテクストはどうしても好きになれないが、それでも憲法違反は憲法違反として、あくまで追及されねばならぬと思っている 蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第20回を「ちくま」7月号より転載します。日本国憲法というテクストはなぜ醜いのか。「われら」とは? 「議員内閣制」とは? 「公務員による」という限定とは何なのか。あらためて日本国憲法を繙きたくなる一文です。ご覧下さい。 定職というものを持たなくなってからすでに四半世紀もの歳月が経過している晩期高齢者なので、今日という日が何月の何日で何曜日かという日付と曜日の概念が途方もなく曖昧になってすでに久しい。今年が西暦の二〇二四年であることは漠とながら記憶しているが、何かの間違いでその後に首相になってしまったさる政治家が仏頂面でそう書かれた色紙を掲げてみせた「令和」という年号で数えると何年になるのかについては、そのつど携帯
『百年の孤独』の文庫化で注目が集まるガルシア=マルケス。この短篇集『エレンディラ』は、『百年の孤独』と『族長の秋』というふたつの大作にはさまれて生まれました。「大人のための残酷な童話」として書かれた6つの短編と中編「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」を収録。難解な『百年の孤独』に挫折してしまった人にも、ガルシア=マルケス入門にもぴったりの1冊で、知る人ぞ知る傑作です。その奇想あふれる魅力の源についてや、『百年の孤独』との関わりについても触れている「訳者あとがき」(書き手:木村榮一さん)を全文公開いたします。 日本の小説家がアマゾン河で釣りをしようとブラジルに渡った。むこうで日系人の人たちと雑談していると、こちらにはニメートルの大ミミズがおりますという話を聞かされる。ある人がそのミミズをせっせと掘りまくり、釣り人に売った金でブロックの小屋を建てたというのである。それまで、
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「出発点としての『鉄腕アトム』」最終回。初演出作で何を描き、そこにはどんな試行錯誤があったのか。演出家・富野氏の原点を探ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈5〉「アニメにもこれだけのものができるんだ」」はこちら 再編集の経験がもたらしたもの もうひとつ『アトム』における富野の仕事として無視できないものがある。それは「再編集エピソードの制作」である。過去のエピソードのラッシュフィルムを編集し、多少の新作を加えたりしながらも、まったく新しいエピソードを作るというアクロバットのような作業のことである。富野はこのやり方で、第120話「タイム・ハンターの巻」、第138話「長い一日の巻」、第163話「別
結党から十数年のあいだに地域政党の枠を超え、国政でも存在感を見せる維新の会。公務員制度や二重行政にメスを入れる「身を切る改革」や、授業料の所得制限なき完全無償化が幅広い支持を得る一方、大阪都構想や万博、IRなどの巨大プロジェクトは混迷を極めています。〝納税者の感覚〟に訴え支持を広げる政治、そしてマジョリティにとって「コスパのいい」財政は、大阪をどう変えたのでしょうか。印象論を排し、独自調査と財政データから維新〝強さ〟の裏側を読みとく吉弘憲介さんの新刊『検証 大阪維新の会―「財政ポピュリズム」の正体』より、「はじめに」を公開します。 2023年7月30日に行われた宮城県仙台市議会選挙で、日本維新の会に所属する5名の市議が初当選を果たした。このうち、仙台市泉区では維新の候補者が同区内でトップ当選している。仙台市に先立って行われた2023年4月の統一地方選では、首都圏でも維新が議席を伸ばし、大阪
町内会・自治会というありふれたコミュニティの歴史を繙くことで、日本社会の成り立ちを問いなおす、玉野和志さんの新刊『町内会―コミュニティからみる日本近代』(ちくま新書)。同書の書評を、社会学者の小熊英二さんにお書きいただきました。『ちくま』7月号から転載します。 自治会・町内会は、都市部の多くの人には縁遠い。しかし例えば大阪府箕面市は「自治会に入っていないと、災害時のセーフティネットから外れてしまいます」「復旧までの情報提供や支援物資の配布などは、優先的に自治会を通して行います」と広報している(箕面市「災害に備えて自治会に入る!」)。 それはなぜか。日本は公務員が少なく、自治会・町内会なしには行政事務がこなせないためだ。日本は二〇二一年の全雇用に占める公務雇用比率がOECD平均の約四分の一である(Government at a Glance 2023)。日本は官僚の存在感は大きいが、現場で働
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「出発点としての『鉄腕アトム』」第2回。初演出作で何を描き、そこにはどんな試行錯誤があったのか。演出家・富野氏の原点を探ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈4〉演出・脚本デビュー作で描いたもの」はこちら 原作エピソード「青騎士の巻」 富野によるオリジナル脚本の4作を並べてみると、原作のエピソードをアニメ化した第179話「青騎士の巻 前編」、第180話「青騎士の巻 後編」を富野が手掛けたことが非常に自然な流れとして見えてくる。というのも、オリジナルの4作と「青騎士」は深いところでの共通点が感じられるからだ。富野は「青騎士の巻 前編」で脚本・演出、「青騎士の巻 後編」で演出を担当している(後編の
ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2024年6月号より転載。 2024年1月1日、石川県の輪島市や珠洲市とその周辺を襲ったマグニチュード7.6、最大震度七の能登半島地震。火災、津波、家屋倒壊などによる死者は245人(うち震災関連死15人。ほか行方不明者3人)にのぼり、全壊家屋は8500戸超。五月になっても約4000戸で断水が続いている。 ところで、こうした大地震が列島を襲うたびに話題になるのが「次はいよいよ南海トラフ地震か」という想定問答だ。 南海トラフとは、伊豆半島の付け根の駿河湾から四国西側の日向灘沖に至る広い地域(フィリピン海プレートとユーラシアプレートが接する海底)を指し、うち紀伊半島先端の潮
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