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今年の「#文学」
piano-tree.hatenablog.com
トポロジーとは数学の一種で、どのように連続変形しても保たれる図形的な性質に着目する幾何学だ。位相幾何学と訳される。切ったりくっつけたりはせず、曲げたり伸ばしたりを繰り返すことを連続変形という。ドーナツ型を曲げたり伸ばしたりした(切ったりくっつけたりはせずに)型は、元のドーナツ型とは似ても似つかないとしても、やはり例えば球とは本質的に異なり、ドーナツ型の図形的性質をどこかで保っている。その本質とは何か、を研究するのがトポロジーである。 トポロジー的な視点で見て、「騎士団長殺し」には二つの、二重の対象関係がある。一つはこの物語自身と”The Great Gatsby”だ。1925年に発表されたScott Fitzgeraldの小説で、本邦では野崎孝による名訳が長く親しまれてきたが、2006年には村上もこの小説を翻訳している。素性の知れないビジネスで財をなし、曰くつきの過去をもつ大富豪のJay
世にクリエイターは数多かれど、マイルス・デイビスほどクリエイティブな人は空前絶後です。スウィングジャズの全盛にはパーカーやガレスピーらとビバップの創設に携わり、その後クールジャズ、ハードバップ、モードジャズ、フュージョンと新しい音楽の「ジャンル」自体を次々と生み出し、あるいは創設に深く関わりました。一つのジャンルの中で新しい音楽を生み出し続けた人、パンクからブルーアイドソウル、といった具合に既存のジャンルを渡り歩いてスタイルを変遷させた人や、新しいジャンルを一つ生み出した人は少なくありません。しかし、一人のミュージシャンが新しいジャンルを次々と創造する、というのはマイルスにしか見ることのできないクリエイティビティです。 そして、マイルスが創造したのは音楽だけではありません。ジョン・コルトレーンはじめ、ソニー・ロリンズ、ウェザー・リポートの創始者ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ビ
話題になっている丸山議員の「奴隷」発言ですが、マスコミによる恣意的な前後の切り取りがあるにせよないにせよ、「ハッキリ言って奴隷ですからね」は他国元首に対する尊敬と、もっと根本的に他人に対する配慮を欠く発言で不適切だと思いますし、まったく擁護できるものではありません。しかし、「51番目の州」という荒唐無稽な考え方とあわせて議員がアジェンダ提起したいことはなんとなく理解でき、それがなぜかを説明するためにはアメリカの歴史のあまり知られていない(あるいは誤解されている)部分について若干解説が必要と考えます。 リンカーンの奴隷解放宣言(The Emancipation Proclamation : EPとします)は1868年ですが、アフリカ系アメリカ人に選挙権が認められたのは1964年でそのちょうど100年後、ケネディ大統領を継いだジョンソン大統領の時代です。そればかりか、その1年前まではまだ南部で
私が仏教に興味を持つようになったのは、二十代前半の頃に奈良の薬師寺を観光で訪れたことがきっかけでした。当時の私は西洋文化に傾倒しており、好きな画家の故郷を訪ねベルギー辺境の港町を訪れたり、有名な建築物を見るためにスペインの紛争地に赴いたりしていたくらいなのですが、日本の建築や美術は歴史の授業で学ぶような退屈なもの、見ようと思えばいつでも見られるあまり価値の高くないもの、と誤解して考えていました。なので、その時薬師寺を訪れ、一年のうち限られた期間しか公開されない平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」を見るに至ったのはまったくの偶然、今考えると僥倖でした。 観光客の流れに身を任せるまま、何とはなしにたどり着いた大唐西域壁画殿で、私はその壁画に出会いました。第二画である「嘉峪関を行く・中国」を壁面に見上げながら、私はつまらない絵だな、と感じていました。この絵が描かれた50年前にはもう、ジャクソン・ポロッ
インターネットでは、面識のない個人や、違う場の空気をもつコミュニティが人やグループの行動・言動に緩やかに、時に匿名で一方的に干渉できるので、職場や学校などといったリアルの世界と比べ「批判」が醸成されやすいのは我々の経験がよく知るところです。「インターネットはその匿名性ゆえに無責任な批判が跋扈する、なのでけしからん」といった議論はfacebookの実名制が普及した今でもよく目にしますが、その背後にはそもそも批判そのものが「けしからん」から、ないしは少なくとも原則するべきものではない(それゆえするなら何らかの責任を伴う)から、という前提が垣間見えます。もし批判が一般に歓迎されるべきものなのであれば、批判が集まりやすいインターネットはその意味で社会にとって有益だ、ということになりそうです。 少し前に、僧侶の松山大耕さんがTEDで日本人の宗教観を説いて話題になりました。曰く、日本人の宗教観は"be
テレビがつまらなくなったと言われて久しいです。実際につまらなくなったかどうかは別として、私自身事実ほとんどテレビを見なくなったし、テレビの視聴者は2015年までの過去15年で800万人程度減っていると言われています。広告費を原資に面白いコンテンツを作って人を集め、更なる広告主を募ってそれをまたコンテンツ制作の原資に回す、というテレビのビジネスモデルは早晩終焉を迎えるのでしょうか。 これには二つの見方があって、一つはそれを肯い、インターネット広告とインターネットメディアが近い将来それに取って変わるのは自明の理だと考えるもの。もう一つは、そういう大きな流れは認めるものの、リーチの広さやメッセージの伝達性でインターネットがテレビに追いつくのはまだまだ先のことで、そうなったとしてもテレビの役割は依然ネット同様重要であり続ける、というものです。結論を急げば、私はどちらの意見にも与しません。 日本にお
3〜4年前になると思いますが、Nicholas Carrという人が書いたThe Shallowsという本を、出張時に外国の本屋でよく見かけ、確かサンフランシスコで購入しました。一言でいうなら、インターネットは人間の思考を薄っぺらくしていく、ということを入念なリサーチで科学的に実証した本です。素晴らしい洞察に基づいたいい仕事で、海外では話題になっていましたが、未だに日本語訳はないようです。 "We want to be interrupted, because each interruption brings us a valuable piece of information" 「我々はむしろ邪魔(interrupt)されたがっている。なぜならばインターネットにおける『邪魔』は、同時に有益な情報の欠片でもあるからだ。」 その結果として、人間(の脳)はinterruptionがない状態、つま
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