戦後の昭和自民党政治を古い失敗作と指弾して打ち出された平成のオルタナティブは、どこが間違っていたのか。 我々は、公共工事に公金を使い込む利権政治に反発するあまり、財政均衡論に走ったことが間違いだったと言いがちである。こうして、「自民党をぶっ潰す」と称した小泉新自由主義改革がもたらされ、橋下維新緊縮府政が生まれ、「悪夢の民主党時代」と揶揄される民主党政権の経済失策に至ったのだと。 たしかにそのとおりだが、問題はもっと根深い。 戦後昭和では、市井の庶民が日常の仕事や暮らしの中で直面する困りごとや利害関係を業界団体で集約し、それぞれの団体が推す自民党の議員を通じて政治に反映していた。地方では、町内会組織を通じて町の相談事が保守系の地方議員に持ち込まれ、それが地方政治に集約された。問題のスケールが大きくなると、市議から系列の県議、系列の国会議員へと上がっていって、国政の課題に反映された。 勤め人の