ガザ虐殺の経済的背景
近況
2月22日のノート記事の近況報告の中で、男性ホルモン注射の影響で、前立腺マーカーの値が高くなったから、注射を中断して、前立腺癌の兆候がないか検査することになったという話をちょっと書きましたが、中断している間に前立腺マーカーの値は普通に戻り、MRIの結果も大丈夫ということなので、男性ホルモンの注射を再開しています。
やっぱり中断してしばらく経つと、地味にしんどくなってきたので、再開できてよかったです。
あと、大腸ポリープが二つ見つかって切除するという事件もあったのですが、これも、良性だったとの病理検査結果が届いて安心しています。
喘息だけは相変わらずで、薬でコントロールして日常生活に何も支障はありませんが、急に寒くなった夜は近頃も調子悪いです。寝入るたびに息の音で目が覚めたり、酸欠で朝起きて頭が痛かったりします。
お知らせ
インバウンドについてのインタビュー記事
先日、集英社オンラインから、インタビュー記事がでました。ご検討、ご拡散いただけたら幸いです。
2023年度の大学院レクチャー収録動画完了
それから、何度かお知らせしています、今年度の大学院でのレクチャーを収録したユーチューブ動画のシリーズですが、マクロ経済学入門のシリーズ4ができましたので、とりあえず、計画していたものすべてが完成しました。
松尾匡のマクロ経済学入門講座
シリーズ1再生リスト
Y=C+I+G+ExーIm ホントにわかってますか
シリーズ2再生リスト
不況が起こるわけ——不完全雇用均衡GDPの決まり方
シリーズ3再生リスト
ケインズ派vs新古典派——真の対立点は?
シリーズ4再生リスト
為替レートの決まり方
番外編再生リスト
松尾匡のマクロ経済動学再生リスト
学術論文が一本出ました。
お世話になった同僚がこの春で一旦退職しますので、学内の紀要雑誌で退職記念号が出ました。これに一本論文を出すことを約束したので、ひさしぶりに数理モデルの学術論文を書きました。
これが公開されましたのでお知らせします。
兄弟子の新里泰孝さんが、置塩信雄師匠の作ったハロッド置塩型投資関数に利子率の効果を組み入れて、景気循環モデルを分析した1984年の論文がありました。それを(簡単化の工夫をしたうえで)非線形モデルにして、大域的運動を検討したものです。
利子率を組み入れたハロッド=置塩投資関数による景気循環モデル——流動性のわなを伴う非線形的利子率決定の場合
http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/72416.pdf
今日の本題——今世紀のイスラエルがここまでエグくなったのはなぜか
ファミリーマートさんがまた使えるようになってよかった
京都ではこのところ、毎週土曜日の午後三時から、京都市庁舎前でのガザ反戦集会とそのあとのデモが行われています。
土曜日というのは何かといろいろあって、参加できないことも多いのですが、何もなければ極力出るようにはしています。
あるときその集会の中で、そのころ総合商社の伊藤忠がイスラエルの軍事企業と協定を結んでいたので、伊藤忠の系列会社であるファミリーマートを使わないよう呼びかける発言がありました。
それ聞いて、弱ったな〜と思って。
今住んでいるところの一番近くにあるコンビニがファミリーマートで、しょっちゅう使っていますので、これが使えなくなったら生活に大いに支障をきたしてしまう。ど〜しよー…って。
そうは言ってもやっぱりそんな話を聞いてしまった以上は、行くのもなんか気がひけるので、行かない日々がその後続きました。別に何の深い思想性も覚悟もないのですが、ただなんとなく。
でもだんだんと不便さが効いてきて、根をあげそうになった。
何の思想性もなく気分で行かないだけだし、伊藤忠のせいで現場のオーナーやバイトの外国人労働者が困るのもなんか違う気がする。こっちはこだわる気は何もないのだから、もう行っちゃえ…と何度も思ったのですが、結局行かないままという日が続きました。
しかし、ついにもう限界だ。今度こそ根を上げたぞ。と、思った時、伊藤忠がこの協定をやめることを発表し、晴れて大手を振ってファミリーマートで物を買えるようになったのでした。
ありがとー伊藤忠さん! ほんま助かったわ。
かつてのイスラエル経済はパレスチナ人労働者に依存していた
さて、イスラエル政府によるガザ民衆への大虐殺が起こった経済的背景を探ってみようと思います。
というのは、以前はパレスチナ人は長いこと、イスラエルで底辺労働を担っていて、彼らなしには社会が成り立たなかった事情があったのです。だからそんな時代には、パレスチナ人をイスラエルから締め出して皆殺しにするなどということは、もとより不可能だったのです。
なのにどうして今こんなことになったのでしょうか。
西岸とガザは安価な不安定労働者の供給源だった
まず、以前はどうだったのかを確認しましょう。
春秋社のウェブ雑誌に2019年に掲載された、早尾貴紀さんの「希望のディアスポラ――移民・難民をめぐる政治史」には、次のように書いてあります。
出稼ぎは、1967年の軍事占領後すぐ始まったそうです。それで、占領地に産業発展が起こらないように「脱開発」して、イスラエルに働きに行く以外に生きる術がないように仕向けられたのだと言います。
早尾さんは、当時の西岸地区やガザ地区のパレスチナ人のイスラエルへの行き来の様子を次のように描いています。
階級闘争としてのインティファーダを当面しのいだオスロ合意
それだから、1987年から始まった「インティファーダ」と呼ばれるパレスチナ民衆蜂起は、少なくとも当事者の意識を超えた深いところにある本質としては、まぎれもなく、搾取されることへの怒りに駆動された「階級闘争」だったと思います。
西岸地区とガザ地区をパレスチナ自治政府にゆだねた1993年のオスロ合意は、これをとりあえず収めるための狡猾な一時しのぎだったと思います。
私は以前のアパルトヘイト時代の南アフリカ共和国の体制に似ていると思います。南アでは、人口の圧倒的多数を占める黒人を、国内不毛の地に作った傀儡黒人国家の国民ということにして、外国人だからというテイをとって、無権利の労働力として搾取することを正当化しました。同様に、ユダヤ系住民が今後も多数を維持できるところだけを切り取って、残りの出身者を外国人扱いすることで、無権利で搾取することが正当化されたわけです。
イスラエルの支配体制は、パレスチナ労働者の階級闘争を、民族主義的要求に回収することによって、とりあえずは自分達においしい形で収拾したと言えると思います。
パレスチナ人以外の安価な不安定労働者をつくり出せ
そしてその上で、イスラエル政府は、彼らにとっての、問題の抜本的な解決策を推進していきます。
ソ連・東欧・エチオピアから「ユダヤ人」をかき集める
おりしも、ソ連・東欧体制が崩壊しました。ソ連圏だった近隣のエチオピアも独裁体制が崩壊します。イスラエル政府はそれらの国々から、「ユダヤ人」と称する人たちをかき集めることになります。その数は膨大で、もちろん高学歴で後述のハイテク産業の発展を支えた人たちも多かったのですが、そうでない、出身地の言葉しか話せないような人たちも多かったです。彼らは、新たな底辺労働者層を形成していくことになりました。
また、外国人労働者も導入します。早尾さんは「とくに、中国、フィリピン、タイなどのアジア諸国と、そしてルーマニアなど東欧諸国からの出稼ぎ労働者が多い。建設業、農業、清掃業、家事介護労働などの現場にとくに外国人労働者が多い」と言っています。
新自由主義への転換——米国の指導と中央銀行の独立化
さらにもうひとつ重要なことが、新自由主義政策への転換です。これが大きな効果をもたらしました。
イスラエルの新自由主義体制への転換については、ジェトロの『中東レビュー』vol.4(2017)に載っている、清水学さんの「イスラエル経済:グローバル化と「起業国家」——第Ⅰ部:ネオリベラリズムとグローバル化」に詳しく描写されています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/merev/4/0/4_Vol.4_42/_pdf/-char/ja
それによれば、
建国後のイスラエルの経済体制は、有名な「キブツ」と呼ばれる集団農場に見られるように、もともと社会主義的志向が強く、労働組合の全国組織である労働総同盟(「ヒスタドルート」)は、圧倒的多数の雇用労働者のみならず個人農までメンバーに含み、「銀行、保険、建設、製造業を含む巨大コングロマリット」(p.45)に成長した。
政府は資金を「政策上の優先度に応じて直接配分する役割を担っていた」(p.49)。中央銀行は財務省の影響下で「財政赤字を自動的に埋め合せる任務を果たす」ことで、「政府の経済政策を支援する役割を担わされていた」(p.47)。この体制のもとで順調な経済発展が遂げられた。それを支えたのが、ドイツからの賠償やアメリカからの資金援助とともに、西岸・ガザ地区の占領地(イスラエル製品の専属市場かつ低賃金労働の供給源となった)である。ところが、1970年代半ばから80年代半ばにかけて、石油危機と財政赤字進行を原因とした超高インフレが起こった。労働組合が強かったので賃上げによって生活水準の目減りは防げたが、それがさらにインフレ悪化の要因になった。
それを受けて、1985年から「経済安定化計画」が始まり、新自由主義への転換がなされた。これは、アメリカのレーガン政権の強力な指導のもとで開始された。また導入に際し、アメリカから16億ドルの支援がなされ、その後も「年間30 億ドルに及ぶ贈与」(p.52)がなされた。
新自由主義改革のテコに据えられたのは、中央銀行(BOI, イスラエル銀行)の独立化である。そして「地位と権限を大幅に強化」された中央銀行の「指導力でマクロ経済政策の転換」がはかられた(p.47)。「改革の目玉は BOI の独立性を保証し、政府財政の赤字埋め合せができないようにすることであった。BOI を媒介にして財政規律を確立してインフレを抑制することであった」(p.47)。「経済政策の判断は専門家以外の人には簡単に扱えない技術的問題とみなされ、…BOI が大きな影響力を持ちえたのは、この「知的中立性」というイメージが独り歩きする環境であった」(p.48)。
特に、ネタニヤフ現首相が2003年当時に財務相として実行したのが、「税率の引下げ、公務員給与の切り下げ、さらに公務員 4000 人の削減など」(p.49)。さらに、労働総同盟から年金事業を取り上げて民営化し、金融市場と労働市場の規制緩和と対外開放を進めた。労働総同盟は、傘下の産業グループや銀行の公的な特別の地位も失っている。
ハイテク産業主導の経済発展をもたらした財政集中と外資流入
こうした一連の新自由主義政策の結果、インフレは収まり、ハイテク産業中心の経済発展が起こって、2010年には先進国が加盟するOECD入りをはたしています(現在も中東唯一の加盟国)。
このハイテク産業勃興のプロセスについては、上記清水さんの論文の後編、「第Ⅱ部:産業政策とイノベーション」に書いてあります。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/merev/5/0/5_Vol.5_134/_pdf/-char/ja
それによれば、文化的背景や国民意識以外でこれをもたらしたのは、
政府による財政支援の集中。
1978年にアメリカの資金援助を得て本格的に助成金プロジェクトが開始された。さらに1992年に、政府財政によるベンチャーキャピタル基金が作られ、1億ドルの政府投資が行われている。国産兵器開発体制の確立とそこからの技術波及。
アメリカの膨大な軍事援助も、四分の一はアメリカ製ではなくて、国産の兵器を買うために使うことが認められている。外資の流入。
特に、ハイテク産業へのアメリカ資本の進出が多い。1978年のインテル進出を皮切りにたくさん進出している。ベンチャーキャピタルは、自国ではなくて、アメリカのナスダックに上場して資金調達するのが普通になっている。
とのことです。つまり、ハイテク研究開発には政府資金を出す一方で、社会福祉への支出は新自由主義政策で削り続けてきたというわけです。これについては、在イスラエル日本大使館が出している「イスラエル経済月報」の2022年3月号で、2021年の Doron Broitman さんの記事を引用する形で報告されています。
たいへんな格差社会化
かくして、ハイテク産業による経済発展の陰で、たいへんな格差社会化が進行しました。上の引用記事の続きには、次のようにあります。
先進国で抜きん出た貧困化
この結果、貧困問題が深刻になっています。
日本語のわかりやすい統計サイトでは、ちょっと古いのですが、OECDのデータによる国比較のランキングサイトがあります。その中でのイスラエルの順位はこうなっています。
貧困層の人口割合ランキング 1位 (2010年)
子供の貧困割合ランキング 1位 (2010年)
15~19才のニート率ランキング 2位 (2011年)
この貧困率ですが、OECDの2022年のデータによる貧困率ランキングでは、コスタリカに次いで2位になっています。しかしコスタリカは2021年にOECDに加盟したばかりの中米の国です。なので実質の順位は2010年から変わっていません。
同じく、OECDの2022年のデータによるランキングでは、貧困の中で生活している子どもの割合は、コスタリカとチリの次の3位です。
イスラエルにある研究所(Taub Center)のサイトの去年の12月のLiora Bowersさんの記事(英語)では、イスラエルの4歳以下の子どもの三分の一が貧困ライン以下に置かれていると言っています。
そのうえイスラエルは、日本や韓国とともに男女の賃金格差の大きい国としても知られています。OECDのデータでは、イスラエルは2021年が最新になりますが、その年の中位の賃金層での男女の賃金格差は、韓国についで2位となっています。
出生率3以上の国でそれが起こると深刻
新自由主義政策の結果、それまで経済の中核を担ってきた製造業などが衰退して、多くの若者が、親世代同様の安定した、暮らし向きに余裕のある職に就くことができなくなること。そして、新興ビジネスのエリートとの格差が拡大すること。——それは、先進国どこでも見られたことでした。
イスラエルも「ご多聞に漏れず」であって、多少その程度が著しいだけと思われるかもしれません。
しかし、イスラエルが他の先進国と違うのは、宗教上の理由があってのことと思いますが、ごく最近に至るまでずっと、合計特殊出生率が3を超えていたことです。昨年8月10日の東京新聞の記事によれば、ユダヤ教超正統派(特に戒律にしたがって出生率が6.64もある)以外の人たちも、出生率が2.47あると書いてあります。
つまり、多くの先進国で新自由主義導入後現れて社会問題化した下層の若者たちが、イスラエルではもっと膨大に作り出されたということになります。
パレスチナ人以外の下層労働者層の出現
つまり、旧ソ連・東欧やエチオピアからの「ユダヤ人」の流入、東南アジアなどからの出稼ぎ労働者の受け入れに加えて、新自由主義改革の結果としての膨大な下層のイスラエル人の創出ということが合わさって、労働をパレスチナ人に依存しなくてもすむ体制が作られたということです。
だからもはや、イスラエルの支配体制にとって、パレスチナ人は二級市民として差別されながらも生きていてくれなければ困る存在ではなくて、排除しても殺しても大丈夫な存在になってしまったわけです。
こうして、ガザを壁で囲って誰も出られなくして、さらに今はその住民を皆殺しにしようとしているわけです。
さらに言えば、なぜアメリカ政府がイスラエルの支配体制を終始バックアップしてきたのかと言えば、武器を売ってもうけるためということももちろんあるでしょうけど、それ以前にそもそも、イスラエルに進出したアメリカのハイテク企業や、アメリカ資本が出資しているイスラエルのベンチャー企業にとっての、安全なビジネス環境を保障するためということが一番大きいことだと思います。
(とは言え、熟練した建設労働など、パレスチナ人に依存した分野がそう簡単に全部なくなるわけでもない。ロイターの昨年12月9日の記事によれば、今回の戦争勃発後パレスチナ人労働者はイスラエルとその占領地から締め出され、16万人の西岸出身者、数千人のガザ出身者が失職したと言う。さすがにあちこちで悲鳴が上がっているようで、国家安全保障問題研究所(The Institute for National Security Studies)のサイトには、建設部門と農業部門が困難に陥ったとして、「安全保障上問題のない」パレスチナ人を職に戻すよう訴える記事が載っている。)
なぜ日本でガザ反戦を叫ばなければならないのか
進出日本資本を守るために現地政府が武力弾圧したら
さて、日本で何を言ってもイスラエル政府が聞くとは思えないのに、なぜ私たちは日本でガザ侵攻に反対する声をあげる必要があるのでしょうか。
もちろん、どんなに小さい可能性だったとしても、真面目にガザ人民を救うためにやれることはやろうという心がけは重要です。
イスラエル政府を支援しないように、あるいは、イスラエル政府を支援するなと同盟国アメリカの政府に要請するように、日本政府を動かすためという理由も当然でしょう。
とりわけ日本政府に、UNRWAへの資金拠出を再開するように訴えるということも、当然必要なことです。
しかし、それだけではないと思います。
今、東南アジアなどへの日本企業の進出が進み、現地の安い労働力をこき使ってあげる利潤が年々膨らんで、昨年は経常収支とまるまる同じ額の20.6兆円の海外直接投資収益をあげるまでになっています。
この傾向が進行すると、どこかで、搾取に憤る現地の労働者の階級闘争が起こり、日本資本が手を焼く事態も当然発生することでしょう。
場合によってはそれが暴発し、日本人の駐在員やその家族が監禁されたり殺されたりする事件が起こる可能性があります。
海外進出日本資本は、現地の強権政府と癒着することで、現地の投資秩序を確保してきました。そうすると、日本資本の意を受けた強権政府は、こうした事件に際して、武力を投入した苛烈な弾圧をして、日本資本にとっての投資秩序を守ろうとするかもしれません。
それはいかにも一方的な邪智暴虐の弾圧かもしれませんが、「テロリスト」側と比べて相対化されて見える制圧のケースもあるかもしれません。
こうしたとき、財界の意を受けた日本政府が、こうした弾圧を公然とサポートすることは十分に考えられます。
今あんなガザの虐殺に対して反対の世論が圧倒的に起こらなければ、そのときに世論が弾圧の容認に傾くことを止めることは難しいでしょう。
それどころか、過去の例を見ると、与野党あげて拍手喝采する光景すら目に浮かびます。
ペルーの独裁者による殺戮に喝采した過去
1996年にペルーのトゥパクアマル革命運動のゲリラ兵士たちが、日本大使公邸を占拠して、ペルー高官や大使館関係者とともに、進出日本企業の駐在員たちを人質にとる事件がありました。
当時のフジモリ大統領は、日系ということもあって日本と関係が深く、融資もたくさん受けることに成功していました。自己クーデタで独裁者になり、労働運動や反政府運動を強権で抑え込みながら、新自由主義政策の導入を進めていました。
この事件のときフジモリ大統領は、特殊部隊を突入させて、ゲリラ兵士を全員殺害し、人質を解放しました。
そしたら事件のあと、日本の国会はフジモリ政権に対する感謝決議を、社民党さんも共産党さんも含めて全会一致であげています。
ところが後年、フジモリ大統領の失脚後、投稿したゲリラ兵士を超法規的に処刑していたことが明らかになり、フジモリ元大統領は訴追されています。また、作戦中に人質で唯一の犠牲者となった最高裁判事は、フジモリ政権の反対派の有力者であったことから、特殊部隊がドサクサまぎれにわざと殺した疑いが消えていません。
こんな赤っ恥なことを、共産党さんも社民党さんも二度としてはならないでしょう。そもそもこの突入作戦を、フジモリ政権による広範な人権抑圧や暗殺、虐殺の数々と、切り離して理解することはできなかったはずです。
ガザでのイスラエルやアメリカは将来の日本のあり得る姿
それどころか、現代においては、現地政府に汚れ仕事をやらせて抵抗を排除した空間の中で、自衛隊が派兵されて日本人の移送作戦を行うということは十分に考えられます。一旦こうなると、やがて自衛隊自身が汚れ仕事をするところまで、まっしぐらだと思います。
つまり、ガザ虐殺における、アメリカやイスラエルは、将来あり得る日本の姿なのです。ガザ反戦を世論にアピールする大きな意義のひとつは、将来そうならないためということなのです。
菅前首相たちの目指した路線は、財政をケチる一方でハイテク産業だけには財政を集中して、それ以外の産業を淘汰して不安定な都合のいい労働を大量に作り出すというものでした。
岸田政権になると、その財政の集中先に、軍需産業が付け加わりました。
この路線を徹底したら、たとえ「成功」してもどうなるかという実例という点でも、イスラエルは将来の日本の姿と言えると思います。
おまけ
イギリス労働党のスターマー執行部はブレア路線に戻って緊縮派になり、しかもガザ問題でイスラエル政府擁護とのことで、ほんと脱力しますけど、やっぱりコービンさんはそんなこと関係なくガザ集会で気炎をあげてました。さすがコービンは裏切らない!
あとガザ集会系の動画で心に残ったのはこれ。「戦争では、敵が誰なのかを政府が決める。革命とは、それを自分で決めることです。」
※ イスラエルの労働経済についてのイスラエルの研究所での報告記事類については、学部同僚の橋本貴彦教授から教示いただきました。深く感謝します。