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CES 2025
note.com/davitrice
↑ 先日の記事のつづきというか、繰り返し。 やはりというか、転職活動の情勢は緊急事態宣言が出た途端に目に見えて悪くなった。以前までならけっこう多くの会社を書類選考はパスして面接まで行ったりしていた会社がいくつかあったところだが、いまはどれだけ応募しても書類選考の段階で不合格になってしまう。実際のところはわからないが、求人の数自体や採用人数が露骨に絞られている気がするし、一方で応募者は反比例して多くなっているような気がする。 この緊急事態の下にいると、無職でいるということがどこにも属していなくてどこにも寄る辺がないということであるのが、身に沁みてわかる。この「どこにも属していなさ」は、現実的な問題であるのと同時に観念的な問題でもある。 たとえば、自分のような立場の人の意見がどこにも代表されていないという感覚がある。ネットを開いてみると、疲弊している医療現場の声は聞こえてくるし、経営危機や経営
なんかTwitterで「こんな非常事態だからこそ、後の世の人々が参照できる歴史的な記録として、市井の人々は日記や所感や随想を公開して残しておくべきだ」的な意見が流れてきて、「なるほど」と思ったので、自分の現在の状況に関する所感を残すことにした。 気が付いたら東京(と他のいくつかの都市)に緊急事態宣言が出てしまい、映画館が軒並み閉まることになった。他にも文化施設とか運動施設とか夜の飲み屋とか閉まるものはいくつかあるのだろうが、そこらへんは普段から行くことがないのでわたしには関係がない。図書館には緊急事態宣言の前日に予め行っておいて借りられるだけ本を借りておいた。映画館にも直前まで行くかどうか迷っていたし、『初恋』や『ジュディ 虹の彼方に』や『黒い司法』などの作品が気になってはいたのだが、1900円(バルト9の夕方割を利用するとしても1300円)払ってまで観たいほどの作品ではなかったのだ。ほん
大学時代はいっぱい小説を読んでいたし、自分でもたくさん小説を書いていた。大学2年生のときには取得単位はゼロだったのだが、それは小説を読んだり書いたりすることに時間が取られすぎて授業や試験に出るヒマがなかったからである。(授業や試験に出ていなかっただけで、大学に行っていなかったわけではない。家にずっといると親に疑われたり怒られたりするから、文芸部の部室で作業をしていることも多かった。部室の閉まる夜の9時過ぎまで作業していることも多かったし、大学で授業が行われていない休日にも通っていたので、大学に滞在している時間は大半の学生よりも多かっただろう。) しかし、大学3年生になって真面目に授業に通うようになってからは、小説の代わりに新書や啓蒙書やいろんな学問分野の入門書や教科書を読むようになったし、自分で小説を書く時間も減っていった。いちおうは文学専攻であったので授業や卒論で扱う小説やそれに関係する
心理学の本を開くと、こんなことが書かれている場合がある。 「自由主義や保守主義などの政治的なイデオロギーを主張している人たちは、表向きには論理的に各イデオロギーの主張を検討した結果として納得のいったいずれかのイデオロギーを論理的に支持しているように見えるが、実際にはどのようなイデオロギーを支持するかは心理的・生得的な要因に左右されている。自由主義を支持する人は、自由主義が正しいから支持しているのではなく、その人が生得的に自由主義的な傾向を持っているからだ。保守主義を支持する人も、保守主義が正しいから支持しているのではなく、その人が生得的に保守主義的な傾向を持っているからである。」 たとえば、『社会はなぜ左と右にわかれるのか:対立を超えるための道徳心理学 』という本を著しているジョナサン・ハイトは上記のような主張をしているなかでも代表的な論者だ(彼のTEDトーク動画はこちら)。わたしはハイト
いまから思えば後悔するところがないのではないのだが、大学に入学するとき、進路や専攻をかなり適当に決めてしまった。 ほかの記事でも触れたと思うが、東京の大学に進学することを親が許してくれなかったので受験勉強全般に対する意欲が下がっていたのだ。「関西の大学から、勉強しなくても点数が取れる英語と現代文だけでイケる学部をまず探して、そのなかでいちばん偏差値の高いところにしよう」と考えた、その結果、立命館に入学することにした。当時の立命館には英語200点、英語リスニング100点、現代文100点という点数配分の試験方式があって、これが私にとってはピッタリだった。 この試験方式で進学できるのは文学部の英米文学専攻と国際関係学部のどちらか二択である。国際関係学部の方が偏差値が高いのでそちらに進学しようかなとも考えたが、私の両親は宗教学者に文化人類学者と根っからの人文系なアカデミシャンであり、息子も人文系を
『魁!クロマティ高校』という漫画のなかに、「プータン」という芸名で活動する着ぐるみを被った芸人のキャラクターが出てくる。いま手元に単行本がないのでうろ覚えになってしまうが、こんなエピソードがあった。プータンがテレビ番組のグルメレポートをするのだが、なにを食べてもグルメレポートらしいことを言わずに、「普通」とか「うまい」と一言呟くだけで済ませてしまうのだ。 なんてことのないネタであるが、このエピソードは「感想」というものの本質を突いている。美味しい食べ物を食べたときにグルメレポーターは大げさに騒いだり形容詞や比喩を使って美味しさを表現しようとしたりするが(その形容詞や比喩も大概はオリジナリティのない使い回しである)、実際には人は美味しいものを食べたところでさほど感動することはない。頭や心の中に浮かぶ感想は「うまい」とか「思っていたよりも普通だな」とか「大して美味しくもないな」とかいうものが大
京都といえば「学生の街」というイメージが強いが、言うまでもなく、京都には学生ではない人間も住んでいる。京都に生まれて、ずっと京都に暮らしている人間もいるものだ。そして、京都に生まれて暮らしている若者のなかには京都の大学に行く人も多い。そこで、京都以外の他の地方出身の友人を作ることもあるものだ。 このことにはある種の寂しさがつきまとう。というのも、他の地方出身の友人の大半は、大学を卒業したらもう京都からはいなくなるからだ。京都では東京や大阪のようには企業の数が多くないから、友人たちの多くは卒業したら京都を出て他の都市にある企業に就職することになる(私のまわりでは大阪が多かった)。それか、各々の地元に戻って地方公務員になったりする。多くの人にとって京都はあくまでも学生時代にしか住まない街であり、だからこそ「学生の街」というイメージがついているのだろう。 しかし、繰り返すが、京都にはそこで生れ育
これは最近になって私が発見したことなのだが、大人という存在はその人の持っている「能力」で外部から自分の価値を計られてしまうものである。そして、これも私が発見したことなのだが、多くの場合に「給料」や「報酬」にはその人の持っている能力が関わってくる。お金を稼げるようになるためには、実は、なにかの「能力」が必要とされるのだ。さらに、「能力」はお金のことだけでなく人間関係にも関わってくるし、場合によっては本人のアイデンティティにも影響を与えることがある。これも30歳を過ぎた私ならではの発見である。 就職をするためには自分にどのような能力があってどんなことができるかを会社に対して示さなければならないし、給料だって能力に左右される。雇用されていないフリーランスだって仕事を受注するためには顧客たちに能力を示さなければいけないことについては変わりない。アカデミアや芸術の世界なら、一般的な仕事の世界以上に実
私が京都から東京に引っ越してきたのは、2017年の10月だ。つい最近に引っ越してきたという感覚が未だに消えないが、実際にはすでに2年と数ヶ月経過している。引っ越したのは28歳の頃で、それまでの28年間はずっと京都で生活してきた。 引っ越したきっかけは就職である。24歳の時に修士を卒業した私はそのまましばらく京都でフリーターをしていたのだが、意を決してフルタイムの仕事を目指したときに、東京に移ることにしたのである。京都を出たことにはいくつかの理由がある。まず、実家で家族と暮らすことがあまりに気詰まりになっていて、フルタイムで働くことで家賃が支払えるようになるなら家を出たいということがあった。また、京都という街自体にもあまりに長い間住んでおり、行けるところにはどこにも行き尽くしていたので、閉塞感を感じていた。 移る先を東京に選んだ理由もいくつか存在するが、まずは「仕事の選択肢が多い」という現実
これまでの自分の生き方や考え方について振り返ってみると、前々から薄々気づいていたことではあるが、「何が好きか」よりも「何が嫌いか」ということに自分が振り回されてきたことを再認識してしまう。ネガティブな外的事象に自分の人生や人格を決定させてしまうことはどう考えても自分にとって良いことではないし、幸福ではなく不幸につながることだとは思う。しかし、何しろ昔から様々なものやことが嫌いで仕方がなかったし、今さらそれを更生できる見込みもないだろう。だから、「嫌いなものは嫌い」と割り切るしかない。そして、それを溜め込んでいるよりかは外に向かって吐き出した方が多少なマシというものだろう。 大学生のとき、私は周囲にいた一部の学生たちの言動のなかにある種の特徴や傾向を見出すようになり、それが段々と苦手になっていった。その特徴や傾向を、ここでは「学問ごっこ」と呼ぶことにしよう。 私が「学問ごっこ」を感じる言動の
男性がフェミニズムの考え方に触れたりジェンダー論について書かれた本を読んだりなどしたときの反応には、いくつかの典型がある。 典型的なものの一つが、「フェミニズムなんて認められない」「ジェンダー論なんてうそっぱちだ」といった全否定の反応だ。これに関しては、フェミニズムやジェンダー論の内容について具体的に触れてそれについて考えた末に全否定になる場合もあり得るだろうが、大半の場合には、全否定する人はフェミニズムやジェンダー論の上っ面だけにしか触れていなかったり全く内容を理解できなかったりするのにイメージだけで判断している。こういう反応はフェミニズムに限らずマルクス主義とかエコロジー主義とかいろんな主義や理論に対してよくなされる反応ではあるのだが、このような反応がなされることは残念なことであるには違いない。 典型的な反応の二つ目は、フェミニズムやジェンダー論が「女らしさ」そして「男らしさ」を否定し
(前回の記事と同じく、この記事も最初は「わたしとフェミニズム」だとか「わたしの、フェミニズムへの向き合い方」だとかの題名でもっと個人的・私的な内容を書くつもりだったのだが、前置きのつもりで書き始めた「一般論」の部分が長くなり過ぎてしまったので分割することにした。) わたしがフェミニズムやジェンダー論の考え方に最初に触れたのは中学生の頃で、斎藤美奈子という書評家の本がきっかけだった。彼女の『趣味は読書。』という本が新聞で取り上げられていたのを目にして本屋で購入して、書評というもの自体にそれまでほとんど触れたことがなかったから面白く読めて、彼女の他の著作もいくつか手に取った。そのなかには、フェミニズム的な文学批評として有名な『妊娠小説』や、同じくフェミニズム的なサブカル批評である『紅一点論』という本があった。また、わたしに特に強い印象を与えたのが『物は言いよう』という本だ。これは前述した二つよ
(このエッセイは最初は「村上春樹とわたし」という題名で書いていたが途中で方針転換した。そのため、序盤ではわたしが村上春樹の作品に出会ってきた経緯を書いているが、途中からは別の話題に切り替えて書いている。) はじめに村上春樹の本に触れたのは中学生のときで、『うずまき猫のみつけかた』というエッセイだ。わたしは小学生の頃は青い鳥文庫などの児童向けミステリーを読んでいて、中学に上がってからは新潮文庫などで大人向けのミステリー小説も読み始めていたのだが、ある段階で「ミステリー小説なんてどれもこれも同じだ」と気付いて嫌気が差してしまった。しかし、当時はミステリーやSFなどのジャンル小説ではない小説の存在によく気付いておらず、何を選択すればいいのかもわからなかったので、しばらく本を読んでいない時期が続いていたのだ。そんな時期に、見かねた父親が新潮文庫の『うずまき猫のみつけかた』を買ってくれたのだ。ただし
私は京都生まれ京都育ちで、中学高校は私立の中高一貫校ではあるがレベルの低いところに通った。大学は立命館、大学院も同志社といずれも京都の学校である。そのまま28歳まで京都に居続け、2年とちょっと前になってようやく実家を出て上京した。だから、関東の人たちとまともに交流するようになったのもここ数年のことだ。 一部の関東の人たちと話していて気付いたことは、東京では大学ごとの「色」や「風土」などのイメージが関西よりも実体感を持って存在しているということだ。そして、東京の大学に通った人たちのなかには、自分の通った大学のイメージが自分自身のアイデンティティに影響をもたらしている人がけっこうな割合で存在しているようである。つまり、「早稲田はこういう大学だ」「慶應はこういう大学だ」などというイメージが客観的に確立していて、そこを卒業した人は他人から「あの人は早大の卒業生だからこういう人間だ」などと見られるだ
私の両親は私が生まれる直前に日本に引っ越してきて、そのまま現在に移住している。いわば「移民」だ。そして、移民の子である私は「移民二世」ということになるだろう。 移民の子として生まれて育つことには、それ特有の苦労があるものだし、場合によってはそれ特有のメリットがある。韓国や中国から日本に移住した人たちの子孫や(「在日二世」とだけ書くときには在日コリアンのことを指している場合が多いだろう)、日本からアメリカに移住した人たちの子孫(日系二世など)については、彼らの置かれてきた状況や経験してきた苦労が社会科学的な研究の対象となり、また小説や映画などのフィクションでも描かれてきているので、一定の周知がされている印象がある。それに比べると、私のような在日アメリカ人のことを主人公とした物語はほとんどないし、社会科学などにおいても取り扱われているのはほとんど見たことがない。これは単に母数の違いによる問題で
これまでにもTwitterで身辺のことを書いたりはてなブログに様々な記事を投稿したりしてきたが、「自分がどういう人間であるか」ということをまとまった文章で書く機会はなかった。 いまは失業中で時間だけはたっぷりとある身分のことだ。1月に31歳になったばかりだが、東京に引越しして社会人生活や一人暮らしを開始してから2年以上が経過しており、一人前の大人としての生活にもようやく慣れたところだ。また失業なんてそうそうできることではなく、次に就職したら、それからしばらくは働き続けてなければならないことであろう。せっかくの機会だから、今のうちに自分の人生についてゆっくりと振り返りたいものである。 そのため、これからしばらくはエッセイ的な文章を集中的に執筆して投稿してみることにした。 媒体をはてなブログではなくnoteにしたのは、noteの方がはてなブログに比べるとまだしも「私的」な文章に向いているように
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