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沖縄を恒久的に海兵隊の島とする 辺野古新基地計画が具体的に進行して行く中で、2001年2月に沖縄県議会は全会一致で「海兵隊」を名指しで削減要求決議している。当時は、名護市をはじめとした市町村議会も同様の決議を行なった。 あの海兵隊削減決議は、ひとつのメルクマールとして押さえておかなければならない。決議そのものがどのような背景や状況の中で全会一致となったのか。削減要求はどのように具体的なインパクトを与えたのか、与えなかったのか。それはどうしてなのか。複合的な理由があるだろうが、そのどれが重要でどれをどのようにすれば、インパクトを持続し結果的に決議した者たちの意思は実現できたのか。 海兵隊は明らかに危機感を持った。 同年9月に起こった「同時多発テロ」をも利用し、海兵隊は自らの存在意義を大きく演出し広報する。 NHKが精力的な取材でつくったこの番組によると、「沖縄の海兵隊はアジアの様々な国々と
新たなる「沖縄戦」の戦前と沖縄と日本国政府の戦争状態の今日 4月25日に「日米共同声明:アジア太平洋及びこれを越えた地域の未来を形作る日本と米国」が発せられた。共同記者会見の席上でオバマ米国大統領が安倍政権に対して「尖閣問題をエスカレートさせるのは profound mistake(重大な過ちor深刻な過ち)」と釘を刺すが、日本のメディアは "profound mistake" を「正しくない」と誤訳(ねつ造)して報道し、ことさらに尖閣に関するオバマ大統領の安倍首相への指摘を小さく見せる。 尖閣諸島は安保条約が及ぶ範囲内であるとする共同声明の内容に対して、CNNの記者が「中国が尖閣に軍事侵攻したら米国は武力行使するのか」と問うと、オバマ大統領は苦笑いしつつ「日本の施政下にある領域に条約が適用されるという同盟の条件は、複数の米国政権の標準的な解釈です。我々は単にこの条約を応用しているだけで
辺野古埋立承認問題について 沖縄県議会が開会中だが、仲井真県知事の詭弁を弄す姿は異常でさえある。本人が自らの言っていることが詭弁ではないと思っているなら、かなり重症であり知事職に留まり続けるのは沖縄にとって何一ついいことはない。 【公約違反について】 12月27日の埋立承認発表の記者会見の席上でも記者に「公約違反」について問われ、「公約は変えていない、変えていないので説明する理由もない」と説明責任を何一つ果たさないで今日まで来ている。 仲井真の言い分は、5年以内の普天間基地の閉鎖状態を求めている。それには暫定的であったとしても「県外」への移駐・移設が伴うので、自らの「県外移設」に合致する。何よりも公約は普天間の危険性の一日でも早い除去であり、それに向けて沖縄政策協議会でも4項目の具体的負担軽減策を要求しており、仲井真県政は公約実現に邁進しているというものである。さらに辺野古・県内移設反対
名護市長選挙—市民の懸命なる判断を願う。 名護市長選挙の投開票日が19日にある。 1997年に名護市民がおこなった新基地建設の是非を問う市民投票後の市長選挙としては5回目の市長選挙である。 前回当選した稲嶺進さんの再選なるか、新人で同問題にはずっと推進の立場で行政に関わってきた末松文信さんとの一騎打ちである。 過去4回の選挙における保守系候補者は「条件付」という立場をとり、選挙戦における争点ははぐらかされていたが、今回は「推進」対「阻止」と争点は明確に噛み合っている。 末松候補が掲げるスエマツビジョンなどの「振興」の夢は、条件付容認と引き換えに12年間も供給され続けてきた「振興(カネ)」でできなかったことを、どうして今後はできるといえるのか、私にはまったくわけがわからない。失礼だが「まちづくり」に関する根本のところでの思想が間違っているとしかいえない。原資になるカネはもちろん大事だが、カ
辺野古新基地建設のための埋立申請への意見書 下記の意見書を書くには、 http://shinkichihantai.tumblr.com/ ←このページを参照した。埋立申請書へのリンクや諸々が充実している。 私は長い間関わってきたせいで意見したいことが山ほどありすぎて、冗漫で長くなってしまったが、箇条書きで短い意見書であってもなんの問題もない(むしろ短く簡潔で的を得ているほうがいい)ので、それぞれの立場からの意見をぜひ沖縄県に寄せてほしい。辺野古への新基地建設に関して、公式に市民が意見をいえる最後のステージです。締め切りは今月17日まで。 公有水面埋立承認申請書(名護市辺野古)に係る利害関係人の意見書 2013年7 月3日 沖縄県知事 仲井眞 弘多 あて 提出者 住 所: 氏 名:宮城康博 電 話: E-mail: ■利害関係の内容 私は名護市で生まれ育ったウチナーンチュとして、埋立計画
沖縄にも内務省はRAAを作ったと、橋下は歴史を創造する。 橋下が「慰霊の日」に沖縄に来て、招待もされていないのに警備上の都合とやらで招待席に座っていたことは既に触れた。その後、下地幹郎らのグループが主催する講演会で何やらしゃべったらしいことが報道されていたが、琉球朝日放送のニュース動画でその中身を知り、私は愕然とした。 * 2013年6月24日 18時45分 橋下代表 「他国の歴史の指摘も必要」(琉球朝日放送) http://www.qab.co.jp/news/2013062444217.html - 橋下代表「(当時内務省は)特殊慰安施設協会を作って沖縄にも置いた。沖縄県民の女性がその多くの女性や子供たちを守るために、まあある意味防波堤みたいな形になってそこで食い止めてくれる。(略)それを米軍が利用していたことも事実。」 -*特殊慰安施設協会wikipedia. http://bit.
68年目の6.23と安倍首相あいさつと沖縄の現在と 6.23「慰霊の日」が昨日あった。 沖縄戦から68年目だという。 6.23は沖縄戦を仕切った大日本帝国軍の司令官が自決した日。その日を境に「組織的戦闘」が終焉したかのように記録/記憶され、この日が「慰霊の日」として祈念されている。当の司令官は自決の前に「爾今(じこん)各部隊は各局地における生存者中の上級者之を指揮し最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし」と最終命令を発しており、「組織的戦闘」は最悪の形で継続された。 「悠久の大義」は、歴史修正主義者らの沖縄戦に関する教科書記述への攻撃となり、慰安婦という名の日本国が性奴隷にした人々の存在を否定する言説となり、68年を経てなお生き続け日本国を呪縛している。その最たる顕現が、安倍晋三の二度目の首相就任であり、安倍内閣の要職に就く政治家らの惨憺たる顔ぶれである。 昨日の式典には、安倍首相をはじめ外相、
地中からドラム缶 敬愛するzuさんが、私にではなく、特定の誰かにでもなく、私とのやりとりのなかで言った。Tweetするなはてブ(経由)しろ facebookするなブログ書け名言だなぁ と思ったのでここに記しておく。 * 沖縄市のサッカーグラウンドの芝生の張り替え工事で、地中からドラム缶が出てきた。新聞の社会面の地味な扱いでネットでのアップも他の記事の中で一番遅い部類だった。私は最初から、これはすごいニュースだ。大変なことになるとツイッターや諸々にニュースを流したが、ドラム缶にダウ・ケミカル社名が印字されていたことで、すわ枯葉剤か?と状況は深刻になっている。 サッカー場主管だからと沖縄市教委が調査するだかの話になっているようだが、こんなもん、どれほどの規模で地中投棄されているのかもわからないし、どのように危険な化学物質が出てくる(潜在している)かもしれない、自治体の教委でできる話ではない。国
「本土の沖縄化」について 「本土の沖縄化」という言葉(ツイッターでみかけたのだが、いちいち出典は探さない)が気になるので、少し考えたことを記しておく。 この言葉には歴史がある。1972年の米国から日本国への施政権返還前後にも「本土の沖縄化」という言葉は流通した。大江健三郎『沖縄ノート』(1970)にも、「本土の沖縄化」という言葉への言及がある。 日米安保条約の再定義や諸々が行なわれる時にも折にふれて「本土の沖縄化」という言葉が、人々の口を突いて出てきた。沖縄の米軍基地/訓練の本土移転に際しても「本土の沖縄化」という言葉は使われる。 大阪の八尾市にある八尾空港に米海兵隊のオスプレイ訓練を受入れるなどという思いつきを維新の会という政党の幹部が喋ったものだから、そのことに対して、またぞろ「本土の沖縄化」という言葉が私如きの目にも触れる。 まず、この維新の会の発言は、単純な思いつきレベルを超えない
「オール沖縄」で「県外移設」という誤謬 沖縄の大多数が普天間基地の県内移設に反対しているという事実に、よけいな雑音を入れたくないので少々気が重いが、「オール沖縄」で「県外移設」という言葉に疑義を差し挟んでおく。 ■ 「オール沖縄」という語は抽象的で、異論がある沖縄の人々からは全体主義的で自らが黙殺されているようで息苦しい響きすらあるだろう。叶えられるはずのない「条件」付で名護市や沖縄県が、辺野古への新基地建設を容認していたときの名護市議会での議論のやるせなさを思うと、立場は違えど気持ちについては十分理解できる。問題は私という主観性を度外視してある「オール」なんとかにあるわけではない。 「オール沖縄」で「県外移設」というときの「オール沖縄」は何を指しているのだろう。人によっては世論調査の結果や、自治体議会の決議や首長の意思の賛否の過多を指すだろうが、それだって移ろいやすい。 いろいろ考えたが
埋め立て申請が出された 3月22日午後3時40分頃、沖縄防衛局は沖縄県北部土木事務所に埋め立て申請書を提出した。担当でない部署に突然運び込み「名乗らず、名刺も置かず、立ち去るまでわずか1、2分」という姑息な早業だったという。その直後、県庁から北部土木事務所に「今から提出に来るようだ」という電話が入るというおまけつきである。(沖縄タイムス2013.3.23) 名護漁協は補償額でごねるかと思われていたが、どういう金額や条件で妥結したか知らないが同日役員会を経て午後3時に同意書を提出していたらしい。これまで右翼曲折あったのでここで少しでも障壁になってはいけないという判断が働いたんだろう。古波蔵ら名護の「誘致派」は、しばらく前から向こう側にいる。(琉球新報2013.3.23) これで手続きのスケジュールは動き出し、年内にも知事の承認の可否判断が示され、仮に不承認になっても国による代執行が可能になる
SFのSはSlapstick、SFのFはFusion。 2月はひとつもここに記事を書かなかった。tumblrのノートには池澤夏樹の朝日新聞コラムについてメモを残したりしたんだが、ここには何も書けなかった。ブログの記事など、編集者が存在しているわけでもなく自分勝手に考えていることを綴るだけだが、どこか/なにかに向けて書いている自分がいる。日をおいて改めて読んだり、他者の応答(直接的だろうと間接的だろうと)を得たりしながら、私はゆっくりと転がっていく。そのために書いているんだろうと思うが、そのためにもいま考えていることを書き記しておこうと思う。 ■ 今日、ツイッターで次のようにつぶやいた。 沖縄に生きる他者を「沖縄人」と名指す小説家が、沖国大ヘリ墜落で被った住民の被害をなかったことにする酷さは擁護できる性質の錯誤か。死者が出たら基地になだれ込み射殺される「沖縄人」を想定するのは良心的警鐘の故と
「沖縄は日本から独立したほうが幸せではないのか」について 通販生活2013年春 - 1月5日、上記の画像をFacebookで知り、下記コメントを附してシェアした。■ このような問いが「米軍基地を本土に戻す方法」として思い浮かべたということが真実なら、本土のあなた方には在沖米軍基地を受け入れる余地があるということではないの。…とおもうんだけど、ちがうかなぁ。 おそらく日本のマジョリティに事態の深刻さ(自らの無関心と右傾化)への警鐘という意味でつくったコピーだろうけど、切断され客体化され疎外される沖縄としては、なんだかなぁと思う。 ■私は「通販生活」という雑誌の読者ではない。しかし「普天間」や「福島」についてラジカルで良心的な記事を組み上げ続けている媒体だとの情報は得ているし、そう思っている。そのような先入見があるもんだから、「警鐘」と捉えようとするが、どうも違うような気がする。私も日本語で読
友よ photo:yuri.kitano.77 1997年に「大事なことは市民みんなで決めよう」と名護市民投票を行ない、それまでアクチュアルな政治に深入りする気などさらさらなかったのに、投票結果と違う意思決定を市長が行なうものだから深みはまってここまで来てしまった。 2010年1月に新基地建設に反対する名護市長が誕生して以来、義理のある人との付き合い以外は徹底的に人前に出ることなく過ごしてきた。オスプレイ配備が現実日程として動き出すまでは。 沖縄に「自治」などない。憲法で保障された財産権ですら特措法によって台無しにされている。41全自治体の議会が反対決議し、県民大会を開催し、民衆は普天間基地ゲート封鎖までした。それでもオスプレイは2012年10月1日に強行配備され、普天間基地に飛来した。 とても深刻な事態である。 - ■ - 「政治的には最適」というのは森本発言だが、それが日本政府の本音で
「普天間飛行場の辺野古移設を断念し県内移設なき即時返還を求める(要望)」 12月25日、退任する森本防衛大臣が閣議後の記者会見で、普天間基地の辺野古移設について「軍事的には沖縄でなくても良いが、政治的に考えると、沖縄がつまり最適の地域である」と発言した。 ⇒防衛省・自衛隊:大臣会見概要 その発言を受けて、宜野湾市選出の県議・市議と、元民主党の県議と私の四人で政府に対する「要望書」を送付した。宛先および内容は下記の通り。 ⇒PDFファイル かがみ文でも触れたが、これは前政権の大臣の発言と看過できる性質の発言ではない。辺野古移設は自民党政権時代に計画されたものであり、新政権も首相が辺野古移設推進を既に表明していることもあり、日本政府の姿勢の根幹に連綿とある問題である。 ■ 【鑑紙】 2012年12月27日 各位 「普天間飛行場の辺野古移設を断念し県内移設なき即時返還を求める(要望)」の提
安倍総裁の「辺野古移設」方針について 自民党の安倍総裁が「辺野古移設」を進める方針に言及した。 -毎日新聞 12月21日(金)19時55分配信 自民党の安倍晋三総裁は21日、山口県庁で記者会見し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について「基本的には(名護市)辺野古に移設して いく方向で地元の理解を得るために努力していきたい」と述べた。自民党政権時代に米国と合意した辺野古への県内移設を進める考えを衆院選後初めて示した。 一方、原発新設を認めないとした民主党政権の方針は、もう一度見直す考えを明らかにした。 普天間移設の問題の見通しが立たないうちに、米軍厚木基地(神奈川県)から米軍岩国基地への空母艦載機移転は認められないという山口県の方針について安倍総裁は「全体のパッケージが動いていなければ受け入れるのはどうかという気持ちになるのは当然」と、理解を示した。 中国電力(広島市)が同県上
辺野古アセスの最終である「補正評価書」について ■ 2012年12月18日。沖縄防衛局はまたしても姑息に、環境影響評価に係る膨大な書類を沖縄県庁に不意打ちで運び入れ逃げていった。―ー姑息、不意打ち、逃げていった。搬入5分前に突然連絡し、職員20名でさっさと運び入れる行為はそう呼ぶしかない。沖縄防衛局のある嘉手納町から那覇市泉崎の県庁まで5分で移動できない。5分前の連絡はかなり意識的に5分前である。姑息な意図が見えて透ける。 ⇒沖縄タイムス2012.1218 ■ 運び込まれた膨大な書類は、辺野古への新基地建設の環境影響評価の書類である。私は「評価書」に出された知事意見に基づき「修正」がなされた書類かと錯誤していたが、運び込まれた書類は環境影響評価手続きの最終結果になる「補正書」だという。環境影響評価法の手続きでは、最終段階で環境大臣が意見を出すことが「できる」という位置づけがあったはずだが、
盗人猛々しい普天間基地と、恭順の意を示す宜野湾市長と 画像はQAB制作の「標的の村」1時間バージョンのワンシーンである。2012年9月29日、普天間基地全ゲートが封鎖された際の「市民広場」のゲート。民衆が車両で封鎖後、米兵がゲートを開けようとしもみあいになったときのシーンである。 左に写った米兵は右にいる黄色い帽子で青いヤッケを着ている人物を、基地の中に引きずり込もうとしている。人物は仲間に助けられ、ゲートの中に引きずり込まれることはなかったが、もし引きずり込まれていたらどうなっていたかと考えると恐ろしい。 ■ 「市民広場」は、9.30に機動隊により民衆排除がなされゲート封鎖が解かれて以降も、米軍によりゲートが閉ざされたままである。 明らかに「市民広場」にある駐車場や野球場などを利用する市民への嫌がらせであり、オスプレイ強行配備に反対する民衆行動への報復である。米軍は基地内への出入りに関係
『普天間を封鎖した4日間』 本の紹介です。 下記は出版社のサイトからのコピペ 〓 普天間を封鎖した4日間 2012年9月27日~30日 宮城康博・屋良朝博 著 ●四六判 112頁 ●2012年12月1日発行 ●本体価格1100円 ●ISBN 978-4-87498-498-7 沖縄中の“怒り”をよそに、10月1日、沖縄に強行配備されたオスプレイ。直前の9月末、普天間基地のゲートは大型台風が直撃する中、市民による座り込みで「封鎖」された。 現場に立ち会ったジャーナリストが克明に記録した4日間の「普天間ゲート封鎖」を、再現する!! 〓 10月28日に高文研の編集者・山本さんからメールをいただき、なごなぐ雑記の普天間封鎖に関わる記事をキャッチボールしながら整形し、現場で知り合った宮里洋子さんの大量の現場写真(洋子さんはプロのフォトグラファーではなく、座り込みに主体的に参加する市民のひとりです。彼
INTERNAL SECURITY ACT OF 1950―冷戦の遺物との対峙 2012年9月27日の野嵩ゲート封鎖から始まり、28日の大山ゲート。そして29日、沖縄を直撃する大型台風のさなかに普天間基地の全ゲートが民衆により封鎖された。29日から30日まで、1945年沖縄戦時に米軍が民衆を収容所に閉じ込めている間に土地を強奪して造って以来はじめて、普天間基地は沖縄の民衆により封鎖された。 30日には、警察権力により民衆は排除排斥されゲートは再び開かれたが。翌日には、米軍資産であるコンクリート造りのデカイ黄色い壁が野嵩ゲートに設置された。その米軍のコンクリートの壁には、写真のような「警告看板」が貼られている。 ① 警告の根拠法としてあげられているのは、下記の通りである。ー INTERNAL SECURITY ACT OF 1950 SCTION 21:50 U.S.C. 797(1976)
強奪基地『普天間』を撤去返還せよ(2) 国際法に違反し沖縄の住民から私有財産を略奪し造った基地を、まるで現品供給させて対価を払いましたよと国際法(ハーグ陸戦法規)を根拠に「第一次接収」を正当化する盗人猛々しい米軍。 講和条約発効後は米軍が一方的に出す布告・布令で土地を取り上げていく。銃剣とブルドーザーによる「第二次接収」や、巧妙に恐喝し地元同意を取り付け(辺野古・キャンプシュワブなど)たり有無を言わさず公有地を基地等に設定する「第三次接収」があり、沖縄は現在のような「海兵隊」の島になっていく。 〓 NHK取材班の『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』(NHK出版、2011)などによると、沖縄戦の主力を担った海兵隊部隊のほとんどは、日本の敗戦後日本本土に移動し初期の占領政策に従事した後、米本土に帰還している。沖縄に居残ったのは陸軍と空軍の部隊である。 米本土で一旦解散した海兵隊の部隊は、195
強奪基地『普天間』を撤去返還せよ 宜野湾市役所ホームページより転載 ー Wikipediaの「普天間飛行場」で信じられない説明がなされている。 ―基地の周りに住宅地が密集している状況については、二つの側面がある。ひとつは、普天間基地の周辺は沖縄戦での激戦地区で、戦後は、日米両軍の不発弾の埋もれた危険地域であり、米軍により不発弾処理がなされたあと、民間人の収容所として確保された点である(もともとの住民が戻ってきただけという話もある)。もうひとつは、基地建設後、本土復帰以降に顕著となった日本政府の思いやり予算に則した基地行政などにより、周辺住民が基地に依存した地域社会を形成し現在のような住宅密集地域となった事実である。― 普天間基地は、沖縄戦の最中に米軍が日本本土攻撃のため造った基地である。地権者である住民は収容所に収容されており、なんら抵抗もできず、ましてや米軍による交渉などあるはずもなく造
「解決策は基地撤去」 PHOTO:仲渡 尚史 「野嵩ゲート前」2012.10.19 集中しよう。 今回の事件を受けて米軍は夜間外出制限という常套手段としかいえない措置を講じてきた。23時から翌朝5時までの禁止措置にどれほどの効果があるかは疑わしいどころか、総員命令が出ている期間はさすがにおとなしくしているだろうが、その後は元の木阿弥であることは、沖縄の民ならずとも我々の社会は既に知っているはずだ。いかなる小手先の措置が講じられようと、問題の解決にはつながらない。中部市町村会が記者会見で言葉として発しているように「解決策は基地撤去」であり、そこしか出口はない。⇒琉球新報2012.10.19/「解決策は基地撤去」中部市町村会が言及問題は、基地撤去の出口へ至る道はどのようにしてあるのかである。 日米両政府がそこを出口と具体的に考えるには、それ相応の民衆の行為があり、それを支持する世論があり、政治
普天間を閉鎖撤去させ土地を返してもらう - 断固として米軍を叩き出すべき。犯罪や不幸を利用してではない、それを未然に防ぎたく懸命に抗議し主張しているにも関わらず、無視されオスプレイ配備強行までされて、文句を言いつつ現状を受け入れていることで我々は係る状況を補完することを徹底して拒否する。しなければならない。くそったれ。 posted at 20:07:21 -所用で家族で出かけ、帰りが遅くなったので大急ぎで夕餉の支度をして、笑いながら家族で食卓を囲んでいるとき、友人は事件を伝えてくれる。立て続けに二人から電話をもらい、話し合い、憤りで沈黙し饒舌になる。私たち沖縄の民の日常は、このようにしてある。こうしている今も、どこかで誰かが被害にあっているかもしれない。どれほどの恐怖であったろう。勇気を持って告発した勇気に、私たちは応えなければならない。その意味では、この社会を構成している我々はみな当事
沖縄の全基地閉鎖へ!—Al la fermo de la usonaj militaj bazoj en Okinawa 写真:宮里洋子 オスプレイ強行配備への沖縄の抵抗は創造され継続されている。 9.30普天間基地の全ゲートが民衆により封鎖された。日本政府は国家権力が独占する暴力装置を使い、民衆を排除しゲート封鎖を抉じ開けた。 ゲート封鎖を破られた民衆は、国家の剥き出しの暴力に怯み意気消沈し敗北と屈辱を噛み締め、自尊心を傷つけ失い何もかも諦めオスプレイを米軍を海兵隊を受け入れたか。答えは否である。 沖縄の民衆は、1945年沖縄戦時に米軍により収容所に閉じ込められている間に土地を強奪され造られた普天間基地を、67年間も経て「返せ!」と自らの非暴力不服従の力でゲート封鎖を成したことで目覚め勇気を得た。 1972年に沖縄の施政権が米軍から日本国へ移管される時、沖縄の民衆は「基地のない島」を願っ
「野嵩ゲットー」を弾劾しオスプレイに留保なき拒否を 米海兵隊普天間航空基地、野嵩ゲート、9月30日。私たちは沖縄県警機動隊によって有無を言わさず拘束され隔離され監禁された。私たちとは誰か、MV22オスプレイの沖縄への強行配備に反対する私たちである。沖縄の全自治体議会が反対決議/意見書を可決し、新聞等メディアによる世論調査で圧倒的多数の県民が反対しているMV22オスプレイの強行配備である。あの日、拘束され隔離され監禁された私たちと、そうではない全自治体議会の議員と世論調査にみる圧倒的多数の県民との違いは、あの場にいたのかそうでないかの違いだけである。2012年9月30日夜、野嵩ゲートに民衆を拘束隔離監禁する「野嵩ゲットー」とも呼ぶべきスペースが国道上に現出したとき、私たちは知る、沖縄島そのものが「ゲットー」であることを。 琉球新報の取材によると沖縄県警機動隊は「任意であり、強制ではない」と説
0928-30普天間飛行場大山ゲート&野嵩ゲート 今日は10月1日。岩国基地から飛び立ったオスプレイは、午前11時過ぎに次々と普天間基地に着陸した。これからを考えるためにも、ここ数日を簡単に振り返っておく。 0928/大山ゲート 朝8時半頃、相方の運転する車で子どもを保育所に送りながら、そのまま私は普天間基地まで送ってもらった。パイプラインの入口付近で下ろしてもらい、ひとり坂道をトボトボ歩いた。ゲート前での集合時間もなにも聞いていない、一般市民の私はちょうどゲートに向かって抗議団が歩道をデモ行進から車道に流れ込み座り込む場面に遭遇して、わけもわからないうちに駆け出して座り込みの一員になってしまった。 それからは、県警のゴボウ抜きや諸々を初体験することになる。県警の強引な排除は都合二回あったが、私は一回目で一回(その後、速やかに座り込みに戻る)と二回目に二回(三回目はなぜか抗議団のスピーカー
「古いCH46ヘリの使用を容認する方が問題」というつまらん問題について 「長い目でみれば、(現在配備中の)CH46ヘリの安全性への懸念が強まる」 昨日の外務+防衛大臣揃っての「安全宣言」記者会見での外務大臣発言(琉球新報2012/0919)。つまんねぇおっさんだと改めて思う。CH46はもう畳んでお役御免の準備に入ってる。オスプレイに反対したらポンコツCH46が沖縄の空を飛び続けると脅しているつもりなのか? それとも、日本政府外務省に米海兵隊の輸送機機種変更計画を変更させる権限があるつもりでいるのか? 沖縄の要求は、市街地の真ん中にある危険な普天間基地を返還せよで一貫している。ましてやオスプレイを飛ばすなど言語道断だと言っているんだ。普天間を放置している日本政府の責任は重い(普天間代替というマヤカシの名を付された辺野古新基地建設は別の問題。沖縄は県内移設/県内新基地建設はダメだと10数年か
9.9沖縄県民大会以後についての私見 更新を止めていた間に、あっちこっちに散らかしていた断片(比較的まとまっているもの)を拾い集めて放り込んでいる。なかなかイマに追いつかないが、だからなんだというレベルのことで不都合もなにもない。ぼちぼちとやっていく。 〓 オスプレイ配備に反対する「9.9沖縄県民大会」があった。私は、日本政府によるオスプレイ強行配備は必至だと思っている。その強行に対して、沖縄はどう対峙するのかが問われている。 沖縄県の全市町村議会がオスプレイ配備に反対する意見書を可決している。地方自治法第99条に基づき「日本国政府及び国会」に対する沖縄の意思は明確に示されている。かかる事態にも関わらず、日本国政府が米海兵隊の沖縄へのオスプレイ配備を強行させるということは、沖縄には憲法に規定された「地方自治」も、地方自治法に規定された地方公共団体の責務も、日米安全保障条約で日米両政府が許容
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