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先日、ひさしぶりにIT関係の記事を書いたら、わりと読まれました。 https://zenn.dev/tenjuu99/articles/833c063730bd6b zenn にまともに記事を書いたのははじめてでしたが、「参考になった」バッジというものを送っていただきました。zenn の仕様もしらなかったので、なんだこれ?とおもったのですが、「バッジを受け取った著者にはZennから現金やAmazonギフトカードが還元されます。」と書いてあり、読み手が記事にたいして感謝の形としてお金を払うというようなことっぽいですね。たいへんありがたいことです。 この記事は zenn で書きましたが、はてなブックマークが194くらいついています。有用な批判もありましたが、はてなブックマークそのものが悪質なプラットフォームであるという結論に至ったため、コメントを非表示にしています。 この記事の、トップに表示さ
1. 藤懸静也と大正の浮世絵派大正7年11月の『錦絵』に、美術史家の藤懸静也が「板画と肉筆画」という文章を寄稿している[1]。冒頭を抜粋する。 文展は相も變らず秋の上野を飾り、美人畫はいつも文展を賑わす材料となつて居る。吾人は今、この美人畫と、徳川期の浮世繪との比較を試みやうとするのである。 これは文展における鏑木清方、池田輝方、上村松園らの美人画の台頭に対する反応である。池田蕉園の名がないのは前年に没しているためである。この時期の文展の美人画について、笹川臨風が「文展で俗衆がわいわい云つて大騒ぎをするのは、美人畫である。此美人畫と云ふ奴は大概浮世絵である」と書いており、当時美人画が浮世絵から来たものだという了解があった[2]。 冒頭の藤懸の文章は、以下のような断言によって特徴づけられる。 同年の文展における、鏑木清方、池田輝方、上村松園などの絵は「浮世絵」の系譜をひいているが「浮世絵」で
Artforum 誌で、ガザにおける紛争についてのオープンレターが公開されている。記事の公開は October 19, 2023 5:29 pm とある。 このオープンレターは読む価値があるとおもうので、以下に訳出します。 翻訳についてはアーティストで翻訳者の奥村雄樹さんにざっくり見ていただきましたが、誤訳等の責については筆者である天重にあります。 アートコミュニティから文化的な組織へのオープンレターアートコミュニティは多様であり、国境、国籍、信仰や信念の体系を超えている。私たちアーティスト、作家、キュレーター、映画製作者、出版社、そして核をつくって機関や組織を支える労働者たちは、コミュニティが単に安全であるだけでなく、人道的な場所であることが保証されている必要があります。 私たちはパレスチナの解放を支持し、すべての民間人の殺害と危害の停止、即時停戦、人道援助がガザに入れること、そして深刻
東京都美術館のマティス展にいってきた。回顧展だが、とくに1910年前後のマティスの作品群が、個人的にはモダンアートの歴史全体においてピークの一つだと考えているので、それらを見ることができたという意味においては展示に満足した。ただ、帰ってカタログの論考を読んでみて、思うところがあったので記事にしておく。 今回のカタログでは、近藤学氏、藪前知子氏、アラステア・ライト氏、岡崎乾二郎氏の論考が掲載されていた。アラステア・ライト氏以外の三人については日本の美術業界では著名なので知っていたが、ライト氏の名前はまったく聞いたことがなかった。どうもオックスフォード大学で美術史について教えている方らしい。 ライト氏の論考は「プリミティヴィズム––アフリカ芸術との出会い」という題で、マティスとアフリカ彫刻の影響について論じている。こういった文物がヨーロッパに入りこんでくるのは言うまでもなく帝国主義による植民地
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