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■ この評論には二つの目的がある。まず第一に、東浩紀が『動物化するポストモダン』で提示し、それを受... ■ この評論には二つの目的がある。まず第一に、東浩紀が『動物化するポストモダン』で提示し、それを受けて稲葉振一郎が『「公共性」論』などでより広い意味で用いた「動物」という概念を、そこに含まれるネガティヴなイメージをむしろポジティヴなものとするためとして「ゲーマー」という概念に置き換えること。稲葉の言う「動物」とは、「慣習や制度などの人々を取り巻く人工的な環境」*1である「社会システム」を「自然」として体験する主体のことを示している。だが、その体験とは、「動物」という言葉からは本能的な、受動的なものとして捉えられる。塚田氏はそれを否定し、自ら合理的に判断し、あえて「社会システム」に従う道を選んだ主体として彼らを「ゲーマー」と名指す。 評論の後半では宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』との接続が行われる。彼が提示する「決断主義」という物語ムーブメントを「(東が提示する狭義の)動物」ではなく「ゲーマー