医療と建築のコラボなるか

現在某地域の小規模病院にて1ヶ月の地域研修を行っています。
現在所属の大病院と、将来志望の診療所の中間的役割で、非常に勉強になります。
さて赴任して副院長に初日からある相談を持ちかけられました。履歴書が所属病院から送られ、経歴がバレていたようです。
「感染症外来の移設計画について」
いわゆるコロナ対応の一環で一般の方と発熱患者の動線を分けるために今はかなり広大な空間を贅沢に使っているのですが、本来はリハビリに使いたいので良い移設案はないかと。
昭和50年代の手書きの建築図面と現地を行ったり来たりしながら、ニーズと予算に合わせた計画が持ち上がり、来年度以降だと思いますが具体的に病院として前に進んでいけそうです。
考えてみると、感染症対策に限らず、病院の改修は色々とハードルが高いです。
見栄えやデザインだけでなく、運用方法、使い勝手、空調換気方法、換気経路、専用配管、給排水、電気設備、通信設備、自動制御、建築基準法、消防法、バリアフリー対応、実際に使用しながらの設備改修方法などなど
どこから手をつけたら良いかもわからないし、関わる専門業者が多すぎて、まず誰に相談したらいいのかも難しい。
その点、自分が所属していたゼネコンの設備部門は設計段階から現場までこれらを横断して全体の計画が立てられる知識があるので適任だと思うのですが、建築系の技術者の中では人数が少ない領域ですしさらに病院の経験もとなると小規模な病院だとなかなか接点が持ちにくいと思います。
というわけでこれ幸いと色々な相談を受け、懐かしさを覚えながら構造図や設備図を患者さんを診る合間に眺めていました。
需要が多ければコンサル業も成り立つかなと思いますが、そもそも研修医は副業禁止ですし、本業にとられる時間が大きいので、図面だけでなく現地を見に行く必要もあり体一つでは仕事にするには難しい面もありますが、これからの赴任先で、そんな方面で相談に乗れたら喜ばれるのかなと思いました。
ということでしばらくは身近な需要に無料相談メインで不定期に活動できればと思うので心当たりがあればお気軽にご連絡ください。
返事が無いときは、依頼内容が僕には難し過ぎるか、返事する余裕が無いのだなと温かく見守っていただけると幸いです。

9月入学について

自分も歳を取ったなと思った出来事がありました。このコロナ騒ぎでしばらく教育現場が停滞しているのをきっかけに海外に合わせた9月入学への議論が進みつつあるとのこと、英語が好きで何かと海外志向であった昔の自分なら手放しで歓迎していたはずが、最初に本能的に感じたのが娘の入学式が桜とセットじゃないかもしれないのか、嫌だな!という感情でした。この季節感とか思い入れとかはそういえば子供の頃にはさして重要だと思っていなかったなとも。もちろん一番大切なことはこれからの子供達の未来にとって何が必要かという視点で決められることで、この思い入れも時が経てば移ろいゆくものであり反対意見としては何とも弱い😂ので積極的に意を唱えるつもりもありませんが、ただ自分の中に芽生えた感情にある種の老いを感じた瞬間でした。
季節の物事は好きな方だとは自覚しているので、この感覚も老若男女問わず個人差があるのだろうと思います。最近は近江八幡に引っ越して、通勤路の竜王町の水田と麦畑の美しさに癒される日々です。仕事面ではまだまだ研修医2年目なので変化を恐れず頑張らないといけませんが、職場にも恵まれて伸び伸びとできています。

正義感について思うこと

久々の投稿です。早いもので研修医2年目も始まりました。巷で話題の新型コロナ、当初は風邪かインフルエンザに毛が生えた程度と高をくくっていたところがありましたが、様々なことが明らかになるにつれ、もはや歴史的にも類を見ない大災害の最中であることに疑いの余地はありません。強い感染力と共に活動性の強い年代の症状が軽いことで広まりやすく、弱い人に対してはかなりの割合で命を奪うというまるでわざと社会に与える影響を最大化したかのような非常に質の悪いウイルスで、大きな対策は立て辛く、感染症ですのでいつかは必ず収束する筈ですが、その収束のスピードは各々の行動にかかっています。
さて表題の件。皆が大きな不安の中にいる世界情勢ですが、目に見えないウイルスへの不安や経済的な不安に加えて、こんな時は普段より人々の心の中に不信感と憎しみが育ちやすいということも日々のストレスの種になっているように思います。不安を煽るマスコミの姿勢や、不要な買い占めに群がる人々、デマを流して面白がっている人達、政府や自治体の判断の色々、医療者の視点からは家にいるべき軽傷者が救急車で受診、無闇なドクターショッピングなどなど、、人間なので当然不条理なことには腹が立つのですが、振り返ってみると誰かに怒りの気持ちが湧いてくるのは往々にして疲れている時です。そしてそれを自分の正義感によるものだと錯覚したままだと不要な炎に油を注いでさらに疲れるという悪循環に陥ります。
この世界中の人が当事者の大災害という未曾有の事態、誰もが自分の守るべきものに被害が及びそうになっているので常に誰かが誰かに腹を立て、攻撃しているように見えます。
今は誰もが粛々と目の前の出来ることを続けていくしかありませんが、皆が自分は疲れていると自覚できたら誰かを攻撃する前にもしかしたら相手にしかない不安に無自覚かもしれないとか、自らが知り得ない事情があるかもしれないとか、思いを巡らせることができるかもしれません。振りかざしてみた正義感は普段気かずに抱えていた差別や偏見に基づく憎しみかもしれないと自覚することが第一歩になるかもしれません。論破することよりも実際に行動変容に結びつく働きかけを善しすることも大切です。正義感というのは一旦抱えだすと厄介で、元々何かを守るために端を発した思いであれば誰かを攻撃するのではなく助けるためにそのエネルギーを使って欲しいな、そんな優しい社会になって欲しいなと自戒を込めて思う日々です。

卒業&国家試験合格

先日の3月8日に6年間通った滋賀医科大学を卒業し、本日14時発表の医師国家試験、無事合格しました。4月からは滋賀県内の公立甲賀病院の研修医として6年7ヶ月ぶりに社会復帰します。
ちょうど退職を考えていた頃に放映されていたドラマがSMAPの草なぎ君が出演していた「37才で医者になった僕」だったのでその頃全て最短で合格したらちょうど37才かあと少し自分と重ねていたことを思い出します。そこからの6年半、入試、進級、実習に卒業試験に国家試験と様々なハードルはありましたがこの37才という年齢は忘れて一緒に駆け抜けることのできる友人達や家族の支えのおかげでこのスタートラインに立てています。本当に感謝しています。
娘の出生届に「勤務しているもののいない世帯」にチェックを入れた身としてはここからやっと自分の家族を養えるという喜びもあります。2人の貯金とバイトと奨学金でよく家族4人耐えました(涙)何も言わず6年間学費を負担してくれた父親にも感謝です。早く一人前になって少しでも早く恩返しできる日が来る様、精進していきたいと思います。
春休みは一足早く社会復帰した妻を送り出して赤ちゃんの世話をしておりました。日々成長の発見があって楽しく、また自分の腕の中で赤ちゃんが眠ってくれる幸せを感じられる貴重な日々だったと思います。この平和な日々もあと少しですが十分に堪能して4月からは戦場に帰ります。大林組の日々も相当に忙しかったですが6年のブランクを置いての研修医生活もきっと想像以上に大変だと思います。将来の専門領域を決める2年でもあると思うので大切に過ごしつつも、精一杯楽しめればと思います。

113回医師国家試験

受けてきました。

当然のごとく大変な試験でした。

試験範囲が膨大なのでどの講座・模試を取った/取らなかったよりも長期的なマネジメントが大切です。

何となく周りがやっている勉強の流れに乗りましたがおそらくそれが先輩方から代々語り継がれた正攻法であり正しかったのだろうと思います。

9月、10月の卒業試験開始までにメジャー科目の動画講義終了:学年で受講していたTECOMの三苫先生の講義。ノートを作りつつ、診断のキーワード集、例外集、~徴候や症候のまとめをEVERNOTE上に作成。

マイナー科目の動画講義は該当卒業試験直前:マイナー科は卒業試験前を逃すと直前は手が付けられないので機を逃さないほうが良いでしょう。

卒業試験期間中にQB一周目問題終了:神経とか小児科とか問題が多すぎるもの以外は実は全部解いたが正直全部やる必要はなかったかも。出題割合とQBの問題数からコストパフォーマンスを計算して優先度の高いものを確認したうえで進めていきました。

MECのサマライズ・LAST MESSAGE(今年は新出知識を問う問題は少なかったので、これをやっていたからできたという問題は正直別に・・・、ですが後述する過去問3年分の掘り下げには役に立ちました。)

過去問3年分:これは親しい友人らと勉強会にて。正直これが一番効きました。110回~112回の各ブロックを1日ずつ毎日眠くなる時間帯の14時~17時頃に集合して各自コメント。このための予習で毎日必ず60~80問は解くというリズムもできる(直前は浮足立つのでこのようなルーティーンを作るのも走り抜けるために大事)上に、本番で友達の声が聞こえてくる安心感は素晴らしかったです。一緒に勉強してくれた人たち、ありがとう。実際教室にそのメンバーがいたので何度もありがとうと言いあいました。

直前期:1周目に間違えたor迷った問題、かつ正答率70%以上という条件でやり直し。今までの資料の見直し。TECOMの模試解説動画。(井出先生が好きなので楽しみに見ていた)膨大な試験に比べるとやれることは本当に少ないので体調管理と強い気持ちが一番大切だと思います。

本番にて:1日目必修、80%を意識しすぎて自信のある問題を数えながら解いたらケアレスミスで3点問題を2つ落としており81%だったので焦りましたが、2日目は「受かりたい」という純粋な気持ちで解いたらミスはなくなりました。盛永先生の言う通り純粋なハートが一番強いです。

最終学年

いよいよ、最終学年の6回生になりました。公衆衛生関連で少しだけ授業とテストがありましたが、今は5月の連休明けまでの長めのお休みをいただいています。国家試験まであと1年を切り、もうすぐ医学生の就職活動であるマッチングも近いので、残り僅かな病院見学できる期間ということで自分も少しではありますが病院見学というものに出かけてみています。奨学金の関係で就職先の病院は滋賀県内に限る、しかも環境の変化がとても苦手な中学生の息子もいればもうすぐ生まれてくる命もある(楽しみ!)ということで今の家からあまり動きたくないという事情もあり、余り選択肢は無いのですが、特に今日行ってきた某K病院は懐かしい先輩が多数在籍しており、思いがけない再会もあり楽しかったです。

各科を回る病院実習が一通り終わりました。自分の進路に関してはある程度将来像が見えてきたかなという感じです。長期的な目標を保ちつつ、その時の縁によって具体的な道にしていけたらと思います。遠い将来はやはり田舎で町医者がしたい。何なら平屋で畑付きの古民家を自分の設計で快適かつ美しく改造した自宅兼診療所が作れたらそれがベストです。いざとなった時父の後を継げるようにしておくのもそもそも医師になった目的の一つですが、父は90歳まで現役を目指していて非常に体力もあるお方なので必ず継げるとも限りません。もちろん、必要な時に手伝いに行けるようになるというのも素敵だなあと思うので「皮膚科」の勉強はそれまでにしておく必要があります。

ただ、いきなり皮膚科からキャリアをスタートすべきかどうかというと悩む面もあります。父は最初は救急医を経験しており、形成外科という当時はかなりレアな専門技術を持ちつつ皮膚科の仕事もしていました。皮膚疾患は隠れた全身疾患の宝庫であり、また医師としてのQOLも高い方で魅力的な分野ではありますが大学病院での皮膚科専門医というのは稀な疾患も数多く、いきなりそこに入ってしまうとどうも医師としての視野は狭くなってしまうような気もしています。再受験生ということで他の標準的な医学生より13学年上という自分の年齢と、卒後9年、滋賀県内で地域医療に携わることを考えると、どんな病院でも必要とされるようにいわゆるプライマリケアはしっかりとできるようになっておきたい。それに加え自分の強みである手先が器用であることを生かせる専門技術を持っておきたい。だとすると最初に専門医として目指すのは滋賀医大でも最近できたばかりの形成外科か、すでに実績がある整形外科の中で手外科を目指すのが良いかな、ある程度一人前になれたらどこかで頭を下げて皮膚科の勉強をさせてもらおう。研修のスタートは滋賀医大で十分だろうと考えていたけどプライマリケアの勉強には最初は市中病院に出るのも悪くないかな。滋賀医大に残ったとしても研修で有名な診療所にも行けるよな。そんなことを考えつつ、まずは全科目全範囲の国家試験を頑張っていこうと思います。

先日、祖父が齢90で亡くなりました。そこで集まった親族との会話のおかげでもうすぐ生まれてくる娘の名前が決まりそうです。これもそんな時間を作ってくれた祖父のおかげかなと思うと、これも命を繋いでいくということなのかなと感じます。無事に生まれてきてくれますように。

 

抄読会にて

小児科で臨床実習しております。あみだクジの導きにより班で一人NICUという新生児用の集中治療室に毎朝通っていますが、そこでお世話になっている先生の一人が今日の抄読会で素敵な論文を発表されていたので紹介しておきます。

Very Preterm Birth and Parents’ Quality of life 27 years later

早産児・未熟児の両親と正規産児の両親の人生の質を27年たった現在、振り返ってみてどうですかと比較した論文です。何らかの障害を持っている確率が前者のグループでは38.8%、後者では5.7%と、現在とは医療の質が違うこともあり圧倒的な差がありますが結論としては両者の人生の質に差がなかったこと。さらに興味深いことに正常な出産のグループの方が有意に離婚率が高かったこと。また生活の質を下げる要因も解析しており、両親の生活の質を下げる要因になるのは子供のうつ等の精神的な健康状態と人間関係の困難であり、学校の勉強の遅れや障害そのものには影響を受けていないという結果でした。

このグループは先行研究で生まれて5年目ではまだ早産・未熟児のグループの方が評価が低いが20年の時点では差がなくなっていくことを示していたそうです。

この論文を選ばれた先生が感動したという一節に、親は子の困難を乗り越える力があるという表現があったそうです。親の幸福度を左右するのが、子供の出来不出来ではなく、子供の精神状態と人間関係だったこと、つまり子供が笑顔で友達に囲まれているのが親の幸せだというのも、人の親になった今としては実感として心から納得できます。同じ班に全部地元の公立学校から現役で合格し実家から通える医学部に入学したイケメンで優しい男の子のI君がいますが、親孝行だなあ、こんな息子がいてうらやましいなあと思わなくはないですが、結局必死で生活する中ではどんな困難を抱えていてもうちの子の笑顔はかわいい。それが全てのような気がします。

同じくNICUで活躍されている先生の一人が、むしろ早産・未熟児のグループの方が離婚率が低いことに関して、困難に直面して手と手を取り合って絆を深めっていった結果だと思いたい。というコメントをされていてそれも素敵だなと思いました。

正常出産の両親の方が有意に離婚率が高い。という無機質な文章を瞬時に早産・未熟児の両親の方が絆が強いと読み替えられるのは、実際にその先生が色々なお子さんとその両親に接し、励ましたり、試行錯誤の果てに一喜一憂したりという数限りない経験のなかでそういう実感があるからだろう。そんなことを感じると、やはり役に立つドクターになれるよう勉強しなきゃなあと思い直した次第です。

新生児医療に対しては極論を振りかざす人の中にはお金をかけて生涯コストのかかる障害児を作り出しているという心ない批判の声が上がることも少なくないようですが、現場は皆、赤ちゃんとその家族の幸せを考えてすごい努力をしている。今日はちょうどそんな姿が見られた話し合いの中にお邪魔できたこともあり印象的な1日だったので久しぶりに更新しておきます。

各診療科についてまとめ

臨床実習で回ってみた所感をこれからまとめていきます。(あくまで個人が一側面を見た上での感想です)順次追記します。

泌尿器科:QOL高め。老若男女の疾患を診ることが出来、扱う癌の予後が良いのも要因か。ダ・ヴィンチというロボットを用いた内視鏡手術は視野が3次元で手の動きに沿って動くロボットアームは非常に細かい作業が可能。

心臓血管外科:自らの生活よりも使命感を優先できる人、かつ正確な手術手技が可能な人向け。癌をあつかうことはほぼ無く、手術が上手くいけば患者さんは見違えたように元気になって帰る。手術を見学しただけでも、その患者さんが実際に目を開ける瞬間はなかなかの感動でした。そのやりがいだけに人生を捧げられるかどうか。いざ自分がとなるとそれができる人はなかなかいない。

呼吸器外科:外科ではあるが実は手術が本質ではなく、死亡者数の最も多い肺癌という病気の方の人生にどこまで寄り添えるか、がポイントになるらしい。そして呼吸器内科よりも手術を扱う分、根治の希望も少しあるという部分が支えになっているとか。緊急手術は少なく女性もいる。

整形外科:手術はトンカチ、ノミ、ボルトなど大工仕事感があるものから手外科のようなマイクロサージェリーの分野まで幅広い。本来無菌の箇所を切開するので手術前は何度も念入りに手洗い。感染が起こると大変なことになるので当然ですが。患者さんの年齢層が幅広く、緊急外傷も診るのでいわゆるマイナー科の一つでありながら救急には不可欠の科でもある。マイナー科は今回の専門医制度の変更によるマイナス面(一人前になるまでの期間が長めになる?)が少なく、何か一つ専門性を持った総合医を目指す上でのスタートとして、今のところ第一志望の科となっている。

耳鼻咽喉科:開業しやすいだけに大学に残っておる人は希少で重宝される。サンプルが手に入りやすく研究がはかどるらしい。耳や鼻の病気は回転が速いので大学にいると頭頚部の腫瘍を扱う外科という側面が強く、身近な雰囲気の外来と重症の方が残る病棟の雰囲気には少しギャップがある。女性にも人気。

脳外科:やはり生死に関わる緊急オペを扱うのでマインドは心臓外科に通づるものあるが、後遺症のフォローも行っていくので心臓外科に比べるとやや内科寄り。指導医の先生の魅力としてはここが一番良かったので惹かれるものはある。

腎臓内科・内分泌内科:女性医師の比率が高いのは、産休や育休を経ても、最新の論文をフォローしておく等、知識のアップデートが出来ていれば現場復帰しやすいことが原因か。各種血液検査の結果をどう解釈するか、は一種の謎解き的な面白さがある。

 

 

病院実習と家庭生活

4月から病院実習が始まっています。欠席が許される限り欠席しては自分の時間を捻出していたここまでの学生生活とは違い、全く欠席が許されないこともありしっかり毎朝病院へ通う毎日です。知らない言葉が飛び交うカンファレンス、老若男女の様々な訴えに対応する外来、緊張感のある大手術、全部を間近で見られて楽しいというのが正直な所です。いわゆるゼネラリストとして遠い将来は田舎で町医者をやりたいなあという希望もありつつ、新専門医制度の中では1つ以上の専門医を取得していってから最終的に総合医、家庭医というところに落ち着くべきなのかなと思えば、今回っている整形外科は老若男女の疾患あり、手の器用さが活かせる部分もありということで魅力的でもあるし、訪問診療や在宅での緩和ケアという家庭医×地域医療的な需要を考えるなら麻酔科も良さそうだとか色々ありますが、結局自分のモチベーションが保てる場所にいることが大事なのと家庭医の専門性の位置づけがまだよくわからん、ということで今は決めつけず、というのが大事かなという感じです。

また本格的に家族3人で暮らし始めて、一児の父として、夫としての生活も始まりました。相変わらず妻はバイトに家事にと大活躍で、週一でバイトに行くだけの自分はまだ一家の大黒柱というよりヒモのような生活をしていますが、自分が家族の一員になることで、日々3人が本当の家族に近づいているなと実感する毎日で、単純に幸せな出来事はもちろん、子育てで直面する辛いことも悲しいことも2人が自分を頼りに成長してくれている、そんな自分も成長できている、その場に立ち会えているという幸せの方が大きく、結局とても充実した毎日です。