子どもができて気づいたんだけど、自分の子どもって、他人から見たらそんなにかわいくない。
もちろん言葉の上では「かわいいですね」って言ってくれるけど、あれは挨拶みたいなもので、内容なんてない。コンビニで「温めますか?」って聞かれるのと同じレベルの社交辞令だ。
鼻水を垂らして泣いていても、朝起きて髪が爆発していても、なぜかかわいい。
かわいいというより、「生きてる」ってだけで、尊い。その基準が他人とズレていく感じがする。
たぶんこれって育児に限った話じゃない。
ペットもそうだし、ぬいぐるみもそうだし、推しもそうだ。他人から見たら「そこまで好きになる?」っていう存在。でも本人にとっては、その一点だけが現実をつなぎ止めている。
SNSを見てると、自分の子やペットや推しを載せて、「かわいい!」って言い合ってる人たちがいる。それを冷めた目で見る人もいるし、共感して「うちの子も~」って言う人もいる。
でも、どちらも正しいと思う。かわいいって、主観にしか存在しない。それを他人と共有しようとすると、どうしても“ノイズ”になる。
自分の中の愛情って、外に出した瞬間に少し形が崩れる。それでも人は、誰かに見てほしい。
「ねえ、見て。うちの子かわいいでしょ?」って。誰かにそう言いたくなるくらいには、孤独なんだと思う。
でも、自分のかわいいは、人生の一部になってしまう。この差が、たぶん人間の限界であり、救いでもある。誰もが自分のかわいいを守りながら、少しずつ老けていく。
猫は他人の猫でもかわいい はい完全論破
年中壁にションベンひっかけるタイプ、よだれやウンコ漏らすタイプだと飼ってる側のほうからこそ可愛く見えないみたいな現象もあるな
いや、可愛さを感じる強度の話をしてるのであって可愛い、可愛くないの話ではないのよ...
そんな話はしてない
他人のかわいいは、たいしてかわいくないって書いてあるやん