優を抱き上げてベッドに運び、樹は彼女を抱いたままそこに腰を下ろした。恐怖に固まっている少女は、もう逃げようと暴れることもしなかった。腕の中の少女の瞳は、涙を流すこともなく次第に虚ろになっていく。
「大丈夫? …俺が分かる?」
優は、もう、すっかり抵抗を諦めて樹と視線を合わせようともしない。どうせ、この状況でどう暴れたところで逃げられはしないこと、泣き叫んだところで相手がやめてくれることはないと、彼女の経験が語る。
「優ちゃん? 聞こえるかい?」
ぴくり、と優の瞳に、一筋の光が宿る。
「俺が、分かる?」
優は泣きそうに消え入りそうな目で、初めて樹を見上げた。おそるおそる、叱られた子どものような怯えた瞳で。
「…怖い」
「怖い? 何が、怖い?」
樹はただ静かに聞いているのみだったが、優は、ほとんど怯えて声にならない。発言を許されない囚人のようだ。意見を言えば、何か恐ろしいことが待っている、とでもいうように身をすくめる。
「大丈夫だよ、優ちゃん、ちゃんと言って。何を言っても怒ったりしないよ」
優は反射的に両手で耳をふさぐ。もう、何も聞きたくないというように。そして、樹から目をそらし、小さく首を振り続けた。
「…怖い。…怖い、怖い…っ」
「何が怖いの?」
樹は優の頭をそっと胸に抱いた。
「痛い…」
優は、細い声で悲鳴のように訴えた。
「痛い? どこが痛いの?」
優は小さく首を振り続ける。
「…ああ、痛い目に遭うことが怖いのか。O.k. じゃあ、痛くしなかったら良い?」
優の小さな身体に、どれだけ深い絶望を抱えているのか、樹には計り知れない。優の父親は、苦痛にただ耐える優の、その心の闇を推し量ろうとはしなかった。いや。知っていて、彼女を壊し続けていたのだ。
「怖い…! 怖い。…助けて。…許して…」
誰にも言ったことのない言葉を、優は口にしていた。
助けて、と。痛々しい心の悲鳴。
「優ちゃん、セックスは痛くなんかないんだよ? 良い? 気持ち良くしてあげるよ。痛かったらすぐにやめる。それなら良い?」
樹の言葉なんて届いていないかのように、優は固く目を閉じて震えている。何も見ない、聞かない、すべての感覚をシャットダウンして、何も感じない。そうすれば、…そうやって耐えていればいつか終わる。
そう、呪文のように唱え続けて、優は身体の芯を固く固くこわばらせていく。
ああ、早く…終わって。
もう、逆らわないから。
もう、何も言わない、何も望まないから。
樹は、ちょっと息をついた。こんな風に全身全霊で拒否されるとは考えていなかった。差し伸べられる手にことごとく背を向けてきた、という事実を、その重さを初めて認識した。
その、闇の深さを。
この子は、とにかく、自分の感覚を殺すことで辛うじて生きてきたと言っても過言ではない。そうしないと、とっくに精神は壊れていたのだろう。そうやって、二重人格を得る事例も知っていた。そこに至る前のぎりぎりの状態まで追い込まれて、自らを麻痺させることでもう一つの人格を作ることを回避したのだろうか。
怯えたままの彼女を無理やり抱いたら同じことだ。優を陵辱し続けた男となんら変わりはない。樹はどうしても優を痛みの記憶から解き放ってやりたいと思った。
自分にだけは心を開き、身体を許すような女に育てようと思った。気まぐれに抱ける手近な相手として。
樹は、しばらく優の髪をなでながら、震える肩をただ抱きしめていた。
「今、痛い?」
抱かれた胸から直接声を聞き、優は、初めて樹の顔をしっかりと見つめた。彫りの深い、少し肌質が暗い色をしている綺麗な顔立ちの青年。その瞳に、ぎらつく獣さながらの不快な色はなかった。
放心したように自分を見上げた少女の何の感情も宿らない瞳に、僅かに何かが芽生えた瞬間を樹は捉えた。
ようやく、彼の声が、その耳に、心に届いた。
「教えてあげるよ、人間とはどういう生き物なのか。他人と関わるということの意味も」
優の瞳に、微かな光がよぎる。それでも、それは感情の揺れというより、拒絶の表れ方でしかなかった。
「それから、世界を見せてあげる。君の存在している社会、という世界をね。俺なら、君が望む大抵のことは叶えてあげられるよ。俺のものになって、損はないと思うけどな」
ぴくり、と優の身体が恐怖を訴える。
樹の言葉に、優は魅力を感じてはいない。言葉の裏に潜むもの、樹がただ自分を抱きたいだけ、ということをよく分かっている。
「良い? 俺の言うことを聞けば、痛いことはしない。…分かった?」
ほぼ、蒼白な顔色で優は樹の腕の中に固まる。
「大人しく言うことを聞いたら、午後にはちゃんと家に帰してあげるよ」
その言葉に、優はようやく他に選択肢などないことを知る。瞬間、ぞうっと絶望が身体を貫く。それでも優は他にどうすることも出来ない。頼れる人も、まして本気で助けを求める相手も思いつかなかった。彼女には、誰も、いないのだ。
どうしたって、この男は自分をこのまま解放してくれはしないだろう。
優は、涙の浮かんだ瞳で、こくりと頷いた。
「大丈夫? …俺が分かる?」
優は、もう、すっかり抵抗を諦めて樹と視線を合わせようともしない。どうせ、この状況でどう暴れたところで逃げられはしないこと、泣き叫んだところで相手がやめてくれることはないと、彼女の経験が語る。
「優ちゃん? 聞こえるかい?」
ぴくり、と優の瞳に、一筋の光が宿る。
「俺が、分かる?」
優は泣きそうに消え入りそうな目で、初めて樹を見上げた。おそるおそる、叱られた子どものような怯えた瞳で。
「…怖い」
「怖い? 何が、怖い?」
樹はただ静かに聞いているのみだったが、優は、ほとんど怯えて声にならない。発言を許されない囚人のようだ。意見を言えば、何か恐ろしいことが待っている、とでもいうように身をすくめる。
「大丈夫だよ、優ちゃん、ちゃんと言って。何を言っても怒ったりしないよ」
優は反射的に両手で耳をふさぐ。もう、何も聞きたくないというように。そして、樹から目をそらし、小さく首を振り続けた。
「…怖い。…怖い、怖い…っ」
「何が怖いの?」
樹は優の頭をそっと胸に抱いた。
「痛い…」
優は、細い声で悲鳴のように訴えた。
「痛い? どこが痛いの?」
優は小さく首を振り続ける。
「…ああ、痛い目に遭うことが怖いのか。O.k. じゃあ、痛くしなかったら良い?」
優の小さな身体に、どれだけ深い絶望を抱えているのか、樹には計り知れない。優の父親は、苦痛にただ耐える優の、その心の闇を推し量ろうとはしなかった。いや。知っていて、彼女を壊し続けていたのだ。
「怖い…! 怖い。…助けて。…許して…」
誰にも言ったことのない言葉を、優は口にしていた。
助けて、と。痛々しい心の悲鳴。
「優ちゃん、セックスは痛くなんかないんだよ? 良い? 気持ち良くしてあげるよ。痛かったらすぐにやめる。それなら良い?」
樹の言葉なんて届いていないかのように、優は固く目を閉じて震えている。何も見ない、聞かない、すべての感覚をシャットダウンして、何も感じない。そうすれば、…そうやって耐えていればいつか終わる。
そう、呪文のように唱え続けて、優は身体の芯を固く固くこわばらせていく。
ああ、早く…終わって。
もう、逆らわないから。
もう、何も言わない、何も望まないから。
樹は、ちょっと息をついた。こんな風に全身全霊で拒否されるとは考えていなかった。差し伸べられる手にことごとく背を向けてきた、という事実を、その重さを初めて認識した。
その、闇の深さを。
この子は、とにかく、自分の感覚を殺すことで辛うじて生きてきたと言っても過言ではない。そうしないと、とっくに精神は壊れていたのだろう。そうやって、二重人格を得る事例も知っていた。そこに至る前のぎりぎりの状態まで追い込まれて、自らを麻痺させることでもう一つの人格を作ることを回避したのだろうか。
怯えたままの彼女を無理やり抱いたら同じことだ。優を陵辱し続けた男となんら変わりはない。樹はどうしても優を痛みの記憶から解き放ってやりたいと思った。
自分にだけは心を開き、身体を許すような女に育てようと思った。気まぐれに抱ける手近な相手として。
樹は、しばらく優の髪をなでながら、震える肩をただ抱きしめていた。
「今、痛い?」
抱かれた胸から直接声を聞き、優は、初めて樹の顔をしっかりと見つめた。彫りの深い、少し肌質が暗い色をしている綺麗な顔立ちの青年。その瞳に、ぎらつく獣さながらの不快な色はなかった。
放心したように自分を見上げた少女の何の感情も宿らない瞳に、僅かに何かが芽生えた瞬間を樹は捉えた。
ようやく、彼の声が、その耳に、心に届いた。
「教えてあげるよ、人間とはどういう生き物なのか。他人と関わるということの意味も」
優の瞳に、微かな光がよぎる。それでも、それは感情の揺れというより、拒絶の表れ方でしかなかった。
「それから、世界を見せてあげる。君の存在している社会、という世界をね。俺なら、君が望む大抵のことは叶えてあげられるよ。俺のものになって、損はないと思うけどな」
ぴくり、と優の身体が恐怖を訴える。
樹の言葉に、優は魅力を感じてはいない。言葉の裏に潜むもの、樹がただ自分を抱きたいだけ、ということをよく分かっている。
「良い? 俺の言うことを聞けば、痛いことはしない。…分かった?」
ほぼ、蒼白な顔色で優は樹の腕の中に固まる。
「大人しく言うことを聞いたら、午後にはちゃんと家に帰してあげるよ」
その言葉に、優はようやく他に選択肢などないことを知る。瞬間、ぞうっと絶望が身体を貫く。それでも優は他にどうすることも出来ない。頼れる人も、まして本気で助けを求める相手も思いつかなかった。彼女には、誰も、いないのだ。
どうしたって、この男は自分をこのまま解放してくれはしないだろう。
優は、涙の浮かんだ瞳で、こくりと頷いた。
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