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マーメイド・シンドローム(R-18)

マーメイド・シンドローム (作品説明) 

マーメイド・シンドローム(R-18)

人魚が、薬を飲んで、人間に化けている場面を目にしたとき、人はどうするだろう?



※ほんの少しですが、〈R-18〉要素入ります。
苦手な方は閲覧ご注意ください。

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マーメイド・シンドローム 1 

マーメイド・シンドローム(R-18)

「王子様でも、追いかけてきたの?それとも、他に何か目的があるの?」

 俺は、うっすらと目覚めた腕の中の少女に聞いた。長い栗色のつやつや光る髪の毛の、睫毛の長い綺麗な子だった。僅かに開かれた薄茶の瞳が、次第に大きく見開かれて俺の顔を凝視した。

「何の目的で人間に化けてんの?君。」
「…な…何…」

 小さな唇が震え、ああ、日本語が分かるんだ…と俺は少しほっとした。

「人類を征服しにでも来た?」

 俺はにやりと彼女を見下ろす。

「君、この岩に座ってさっき何かを飲んでいたよね?魔女から薬でももらってきた?人間の足を手に入れるための?」

 バカバカしい人魚姫の御伽噺を思い出して、俺はその人間モドキに笑い掛けてみる。
 俺はそのとき、釣り道具を抱えて、普段は行かない波の荒い崖の途中の岩場におりていた。どうしてそのとき、そんな気になったのかよく分からない。いつもの釣り場を通り過ぎて、なんとなく奥まで入り込み、とても人の入り込めない場所まで非常なる危険を冒して波の打ちつけるその岩場に立ったのだ。

 そして、ほんの少し波を避けられそうな穴を見つけて、そこで釣りの仕掛けを始めようとして、そしてふと顔を上げると、そこに人の姿が見え、え???と目を疑った。

 上半身裸の女性の姿が岩場の上に這い上がってきたのが見えたのだ。こんなところで泳いでいた子がいたのか、と思った。波が荒くて水着がはだけたのか?と。
うわ~!悲鳴をあげられる前に姿を隠そう、と思ってふと「?」というものが目に入った気がして、俺は一瞬動きが止まり、改めてその子を見つめた。

 …どう見ても、彼女の下半身は魚だった。
 人魚?…って、本当にいたのか?

 彼女は俺に気付かずに、海の方を見つめたまま、静かにその岩場に座り込み、しぶきに身をさらしていた。
 そして、おもむろに、何か小瓶を持ち上げ、目の前に透かし、そして…。
 蓋を取って、その中の液体を飲み干したかと思うと、ばったりとその場に倒れたのだ。

「…なっ?…毒?」

 俺はあまりのことに、必死にしぶきを避けて近寄り、そして、その変化の様子を間近に見てしまった。
 彼女の魚の尾が、白い二本の足に変化していく様を。

 唖然、としたものの、俺はあまりそういうことでは動じない人間らしい。
 なんとなく、目の前の現象をパニックも起こさずに受け入れ、ふうん…と思っただけだった。

 気を失ったままの彼女の身体を抱き起こすように腕に収めると、彼女はふうっと目を開けたのだ。別に、彼女をどうしようと考えた訳ではない。ただ、目の前で倒れ込んだ姿を見てしまったので、思わず抱き起こしてみただけ、というのか。そして、目を開けて無事を確認した途端、面倒になってしまった。

 このまま見なかったことにするから、と置いて帰れば良かったのかも知れないが、関わるつもりはないから、と言い訳をしながら俺は結局そのままそこにいた。

「人魚って妖怪の仲間だっけ?」
「…そ…そんな…こと…」

 動こうとしてもがくが、身体が変わったばかりで力が入らないのだろうか、全身まったく裸のままの彼女は、小さく身じろぎしたのみで、またぐったりと俺の腕に収まった。

「まあ、この広い地球、人間だけが支配しているわけじゃないから、別に良いんだろうけど、なんか、気味悪いね。君のような人魚?半魚人?他にもたくさんいるのかい?」

 どうでも良いけど、と俺は言った。
 そう、どうでも良い。ごめん、一応関わってしまっているけど、俺にはこれ以上のことはしてやれないよ、と暗に告げる。

「ち…違います。私は…そんな…」
「じゃ、何?海生人?宇宙人?それとも、新人類かい?」

 彼女は青ざめて俺をそっと見上げた。驚愕の目を見開き、赤かった唇は血の気を失い、白い肌は震えていた。

「お願いします…」

 やがて、両手で顔を覆い、彼女は泣き始めた。

「お願いします…。見逃して。」
「どういう意味?」
「…私は…何も…ただ、陸の世界に研修に来ただけで…」
「研修?」

 俺は呆れてため息をついた。
 どこまで、この子はファンタジーなんだ?今時、この世知辛い世の中で。

「人間の世界を見学に来たって?」

 あまりのバカバカしい答えに俺は作り笑いさえ浮かべてやれない。それでも、一応彼女の話しに付き合ってみる。

「何を研修に来たのさ?」
「…いろいろです。」
「じゃあ、また海に戻るわけ?いつ?」
「研修が明けたら…。」
「ああ、なるほど。」

 俺は鼻で笑って、よいしょ、ととりあえず彼女の身体を抱き上げた。このまま岩の上にいたら、夜になって冷え込んでくる。彼女はどうか知らないが、俺は裸の女性がそばにいる状況でのんびり釣りなんてしていられない。とりあえず、この場から消えてもらわないと困る。

 俺は釣り道具を置いたまま、彼女の身体を背負い、岩をよじ登り始める。そして、そのとき寝泊りしていた小屋に向かった。

「あ…っ、あのっ」

 背負われて、彼女は思わず俺の首に腕をまわしてつかまっていた。

「話しは後ほど、ゆっくり聞くよ。」

 急な崖を登るのに必死だった俺は、とりあえずそう言った。


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マーメイド・シンドローム 2 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 羽化したばかりの蝶がうまく飛べないように、脱皮したばかりの水生生物が殻がぐにゃぐにゃしているように、彼女も人間の姿を手に入れたばかりで、まだうまく動けないようだった。

「君、何を食べるの?」

 ベッドに寝かせて、俺は聞いてみる。まさか、人間そのものが食料だなんて言わないよね?と言うと、彼女はさあっと青ざめた。

「違います。…私たちは、…その、海草を…。」
「ふうん、もっともそうな答えだけど、信じて良いのかな?」

 俺は自分の分のコーヒーを淹れながら怯えたままの彼女に視線を走らせた。

「とりあえず、人間として暮らすなら、名前、必要だよ?あるの?」
「なまえ…」
「そう。名前。固有名詞。」
「…。」
「じゃ、俺が勝手につけて良い?」

 彼女は躊躇ったものの、最後には小さく頷いた。

「そうだね、海から来たから、海のもので…真珠とか?珊瑚とか?」

 ぎくり、と彼女が表情を強張らせたのを目の端に捕え、おや?当たらずとも遠からず?と俺は思わずほくそ笑む。

「よくファンタジーであるように、本当の名前を知られたら何かマズイことでもあるの?」

 ミルクと蜂蜜をたっぷり入れて、俺はかなり薄いコーヒーのカップを彼女に差し出した。
 彼女は、恐る恐るそのカップを受け取り、中身の匂いをかいで俺を見上げた。

「コーヒーだよ、人間は飲んでも害はないけど、君、陸上の食べ物、食べられないの?」
「…大丈夫です。」
「で?」

 そっと一口、それに口をつけ、不思議そうな表情をしている彼女に、俺は聞いた。

「珊瑚ちゃん?パールちゃん?それとも、竜宮城の乙姫さま?そのままで、人魚姫?どれが良い?」

 彼女は、呆けたように俺を見上げ、少し思案気に首を傾げていたが、結局よく分からなかったようだ。

「あの…一番、名前として違和感がないものは…」
「全部、違和感だらけだよ。」

 俺は笑った。

「君、珊瑚よりは真珠ってイメージだから、真珠で良いんじゃない?」

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マーメイド・シンドローム 3 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 名前なんかを付けてはみたものの、正直、俺は彼女を持て余していた。
 何が目的かよく分からなかったし、実は化け物かもしれない人魚・・・半人半魚を、俺はそのまま匿うのが少し恐ろしい気もしたし、なんだか、途中で面倒になってきた。

「警察にでも、届けたら良いのかなぁ?」

 俺は適当な夕飯の支度をしながら独り言のように呟く。

「待てよ?兄貴の知り合いに何かの研究機関があったよな。あそこに届けてみるか?」

 何かの化学研究施設だったそこは、海洋生物の研究みたいなものもやっていた気がする。最悪、標本にされて解剖されたりするかも知れないけど、俺には関わりのないことだし。

 と、思って、用意したディッシュをテーブルに置こうと振り返ると、真珠、が、蒼白な顔で俺を見つめていた。

「…どうかした?」

 独り言を聞かれたかな?とは思ったが、その言葉の意味なんて分かる筈ないと思って俺は素知らぬ振りをして、温めるだけのカレーとご飯を二つの更に分けてテーブルに置いた。

「とりあえず、食事しよう。…ま、食べられるなら、だけど。」
「お願いです…」

 か細い声が聞こえた。

「ここに…置いてください。」
「いつまで?」

 俺の冷たい声に、彼女はますます青ざめる。
 いい加減、そのとき、俺はイヤな男だった。

「あの…出来るだけ、ご迷惑はお掛けしませんから…。」
「ここってさ、」

 俺は椅子を引いて座り、勝手に自分の分を食べ始めながら言った。

「2~3日泊まってるだけなんだよね。いずれ、俺は家に帰るんだけど、君のことを連れては帰れないよ、さすがに。」
「…どうすれば…」
「っていうか、君、何しに来たの?誰かに会うため?それとも、別の目的でもある?行きたい所があるなら、まあ、手伝うし、送ってあげるくらいは出来るよ。」

 カレーを一口ほうばりながら俺は淡々と言った。すでに、関わったことを後悔し始めていた。あの岩場に置いてくれば良かったと思っていた。自分で何とかする手段がない訳はなかっただろう。彼女は自らあの岩場を選んで、あそこで何か液体を飲み干した。その後どうするかの算段がまったくなかった筈はない。

 真珠は答えなかった。何か言おうとはしていたのだが、言葉が見つからないのか、何度も何かを言い掛けて口をつぐんだ。

「あの…、あなたのお名前は…?」

 やがて、本当に恐る恐るという感じで、彼女はそっと言った。

「ああ、名乗ってなかったよね。俺は、‘蒼井久継’。普段は大学生だよ。今は夏休み中。」

 そのとき、彼女の顔に浮かんだ表情の不可解さは、言葉に表し難かった。驚愕と失望と安堵が入り混じったような、悲しみと喜びとが同時に存在しているような色だったのだ。

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マーメイド・シンドローム 4 

マーメイド・シンドローム(R-18)

「え?海で拾った?」

 途中で服を買い与えて、翌朝、結局俺は彼女を家に連れ帰った。その辺に捨ててきても別に構わなかったのだが、けっこう綺麗な子だったし、まあ、好みと言えば好みだったのだ。

 釣った魚の土産もなく、突然、女の子を見せられて、さすがに母は呆気に取られた。

「溺れてたとか、そういうこと?」
「違うよ。人魚が溺れるかよ。」

 真珠はぎょっとした表情で俺を見たが、母は、そんな台詞まったく気にしていない。おどおどとした表情で頭をさげる真珠ににこっと微笑みかけ、俺の荷物から洗濯物を取り出しながら言った。

「泊めるのは構わないけど、…どこのお嬢さんなの?久継、責任持ってちゃんと家まで送ってあげなさいよ。」
「それは無理だよ。どうやって、竜宮城まで送るんだよ。」

 俺は真珠の服を選ぶついでに買った自分用のシャツを洗濯物の中から奪い返しながらうんざりと答える。

「じゃあ、どうするつもり?一人で帰すの?近くなの?」

 洗濯機をまわしながら、母は振り返る。

「何か、研修が終わったら自分で帰るみたいだよ?俺には道、分かんないよ。」

 キッチンの椅子に座り込んでテーブルの上にあったせんべいをかじりながら俺は適当に答えた。

「…あの、すみません…。お世話になります。」

 真珠は俺たちの会話にはらはらしながら、母を見つめてそっと言った。

「ウチは構わないけど、良いの?お家の方はご心配されてないの?」
「はい。ここへ来ることは知ってますので。…あの、何かお手伝いします。」

 えっ???と思って、俺は彼女を見た。

「良いのよ、少し休んでいて。」
「ここ、って俺の家ってこと?」

 母と俺が同時に言い、真珠は、ゆっくりと俺を見つめた。

「はい、蒼井久継さん、私は貴方に会いに来ました。」

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マーメイド・シンドローム 5 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 どうしても、何か手伝うと言う真珠に、母は「じゃあ、庭を掃除してくれるかしら?」と外へ出て箒を渡した。この間、風が強かった夜にその辺に飛び散った葉が少し散らばっていたのだ。

 真珠は、母にやり方を教わって、ぎこちない手つきで一生懸命掃除に専念している。
 真実を知らないと単なる微笑ましい光景だ。

 海の生物が陸上で枯葉を集める…。どう表現すれば良いのだろう?それはすごいことにも、何でもないことにも感じる。真珠の心の内は分からないが、必死なのにどこか楽しそうなのは、きっと見せかけの表情ではなく、本気で楽しいのだろう、なんて俺は気がつくと彼女を目で追っていた。

「知り合いだったの?」

 戻ってきた母は笑う。

「全然。」

 俺は、はっと現実に返る。そして、母と彼女の、まったく馴染んでしまっている様子に多少呆気に取られながら苦笑した。

「昨日、初めて会ったよ。」 

 しかも、人魚に知り合いなんているかよ?と俺はどこか茫然としていた。

「素直な良い子じゃない。」
「そうみたいだね。」
「女の子と付き合うのも良いけど、少しは勉強もしなさいよ。」

 いやいやいや、ちょっと待てよ。そういう問題じゃないだろ?どう考えても。
 俺は頭痛がしてきた。何故、この人は目の前の現象を疑問に思わないのか?

 父は東京へ単身赴任中、そして、兄は就職した東京の会社の寮に入っているので、今、家にいるのは俺と母だけだ。もともと大雑把で物事にこだわらない家族ではあったが、どう考えても今回はこだわらな過ぎだろう?

「おかしくない?」
「何が?」
「なんで、俺を知ってるんだ?彼女。」
「いつか、どこかで会ってたんじゃないの?」
「例えば?」
「さあ…。海水浴に行ったときとか?」
「海の中で?」
「なんで、海の中?」
「だって、あれ、人間に化けた人魚だぜ?」
「…じゃあ、いつかあんたが溺れたとき、助けてくれたんじゃないの?」
「俺は、海で溺れたことなんてないって。っていうか、なんで、‘人魚’ってとこに食いつかないの?」
「だって、あのお嬢さん、足あるじゃない。」
「だから、化けてるんだって。」
「どうやって?」
「薬を飲んで…。」

 俺は、自分で話していて、その内容の奇妙さに次第に自信がなくなってきた。自分の目で見たことなのに。

「まあ、人魚姫みたいね。」

 母は無邪気に微笑む。まったく信じていない。

「…まあ、それはどうでも良いけど、これからどうする気なんだろ?あの子。」

 俺はなんだかどっと疲れてため息が出た。

「そういえば、あのお嬢さん、お名前は何て言うの?あんたったら、紹介もしてくれないから。」
「真珠。」

 投げやりになって俺は吐き出すように答えた。すると、母が息を呑む表情が見えた。




 よく考えたら、俺のことを知っていた、というのは簡単だ。名乗ったんだから。
 人間界にどうしても住処を見つけなければならなければ、適当なことはいくらで言えるだろう。
 と、考えに至ったら、どうでも良くなってきた。

 なんだか、あれから真珠は母親と仲良く食事の支度なんかをしている。とんちんかんなことをして笑われたりしながら。
 母はずっと‘娘’を欲しがっていたから、まぁ良かったのかもしれない。

 こういう家族に育っているせいか、俺もモノゴトにこだわる人間ではないようだ。実際、真珠が何か困った事態を引き起こさない限り、つまり、俺や母に対して無害である限り、人間であろうとそうでなかろうと、どうでも良いと言ったらどうでも良いのだ。

 だいたい、人間同士だって、殺しあったりするんだから。

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マーメイド・シンドローム 6 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 その夜、和室を与えられた真珠は、Tシャツ姿のまま布団に潜り込んだらしい。

「変わった娘(こ)ね。」

 と、母はむしろにこにこしている。兄も俺も何故かあんまり女の子にモテなくて、母は何気に寂しいようだ。普通、息子にガールフレンドが出来たら気になるだろうに、まったくない、というのも複雑らしい。

 というより…。
 兄はあまり恋愛に興味のない学者タイプなので、置いといて。俺は、というと…今までまったくモテなかったわけではない。

 バレンタインでーには普通にいくつかチョコレートを貰っていたし、ガールフレンド程度なら、何人かいる。その、何人かいる、というのが問題だろう。付き合っている子はいても、恋人はいない。

 付き合って欲しいと言われて、俺は答える。

「良いけど、俺、君のことが好きになれるかどうかは分からないよ。」

 そういう付き合いに傷ついて去っていく子もいるし、それでも良いよ、と割り切っている子もいる。そういう、割り切って時々遊ぶだけの子たちは、もちろん家族に紹介などしない。お互いの時間が合えば、待ち合わせてデートを楽しむだけだ。

 俺も、女の子の話を家ではまったくしないから、母は、俺がまったくモテないのだと思い込んでいる。実際、俺はそういう付き合いの子たちの本名すらろくに覚えていないのだ。

 そういう中で突然現れた、人魚であっても見た目は女の子の彼女は、母にとっては新鮮だったようだ。
 友人を泊めたり、友人宅で徹夜したり、などとしょっちゅうやっていた俺だったから、どうも、母もそういう感覚らしい。もっとも、相手が女性だったことは今まで一度もないが。


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マーメイド・シンドローム 7 

マーメイド・シンドローム(R-18)

「あの…」

 と細い声が真夜中に背後で突然聞こえ、俺は驚いて振り返る。
 白いシャツを着て、素足のままの真珠が、俺の部屋の扉の隙間から覗きこんでいた。彼女が寝ていたのは一階の和室、俺の部屋は二階だったのだから、わざわざ訪ねてきたらしい。

「どうかした?」

 俺は、まだ机に向かって、一応勉強をしていた。休み明けに提出するレポートに手を入れていたのだ。
 卒業したらどうしよう、という確固とした目標は実はまだなかったが、さすがに卒業だけはしようと思っていた。父や兄とは方向は異なるかも知れないが、俺も何かしら海に関する職業を探そうとは思っている。

 ただ、研究なんてものは性に合わない。きっと身体を使って何かを成し遂げていくような、実践的な職業になるだろう。

「あの、喉が渇いて…」

 真珠はどこか困ったように首を傾げる。

「え?ああ…。っていうか、勝手に何か飲んで良いよ。ジュースとか冷蔵庫に入ってるよ。」
「…冷蔵庫?」
「夕食作るとき、使っただろ?物を冷やす倉庫みたいなもんだよ。」

 真珠は、それでも、まだ困ったようにもじもじしている。
 俺は仕方なく、一緒に階下に下りていく。

「ほら、ここに…」

 と、冷蔵庫を開けたら、中にはミネラルウォーター一本ない。
 あれ?と辺りを見回すと、空のボトルがテーブルに並んでいた。

「…君が、飲んだの?」

 真珠は、小さくなって頷いた。

「もともと海生生物だから、水が余計に必要なのかなぁ?」
「…すみません。」

 俺は、ため息をついて時計を見た。

「何か買って来るって言ってもこんな時間だし、…君、水道の水は飲めないの?」
「水道の水?」
「そう、これ。」

 俺は蛇口をひねって水を出してみせる。

「それ、飲んでも良いんですか?」
「良いよ、塩素は入っているだろうけどね。」
「…えんそ?」
「まあ、飲んでみな。飲めるならいくらでも飲んで良いから。」

 俺は棚からグラスを取り出して水を汲んであげる。

 真珠はそれを受け取って、こくこくと飲み始めた。不純物を身体に入れるとどうにかなるのかな、と思って観察していたが、別にどうということはなかった。
 そういえば、普通に食事も取っていたんだから、水だけダメってことはないか。

「ありがとう。」

 真珠は飲み終わって微笑む。白い肌が妖艶に闇に浮かび上がり、俺は瞬間、背筋がぞくりとする。恐怖ゆえではない。むしろ…

「食事の味付けが、濃すぎるんじゃないの?」

 俺は、自分の下心を振り切ろうと、もうひとつグラスを出して水を汲む。

「…そうなんでしょうか。」
「君たちって、食事って海草を生で食べるだけ?」
「…時々。」
「じゃ、いつもは?」
「あまり、食べません。」
「へ?じゃ、どうやって生きてるの?」
「海水のミネラルを身体に直接取り込みます。」
「マジ?」

 真珠は微笑んだ。

「じゃ、今、こうやって俺たちに合わせて何か食べるのって苦痛じゃない?」
「いいえ。」

 真珠は少し考えて答えた。

「今は、私の身体は人間と同じです。食べて、排泄して、呼吸して、生きています。」
「あの、薬の作用で?」

 彼女は頷く。

「海に還るときの還元薬とか、持ってるのかい?」

 俺はふと余計な心配をする。

「大丈夫です。」

 真珠は、俺の目をすっと見つめて微笑んでみせた。
 

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マーメイド・シンドローム 8 

マーメイド・シンドローム(R-18)

「人間と同じってことは…」

 階段をのぼりかけ、ふと彼女の部屋の前で、俺は言ってみた。
 真珠は部屋に入っても特に扉を閉めようとはしない。そういう習慣がないんだろうか。

「セックスも出来る?」
「…せっくす?」

 布団の上にちょこん、と座ったまま真珠はきょとんと俺を見上げる。
 俺は、すっと彼女の部屋に入り込んで扉を閉めた。母の寝室は二階の俺の部屋の向かいだ。あまり大騒ぎをしなければ、聞こえはしないだろう。

「ちなみにさ、」

 俺は彼女の隣に座って真珠の顔を間近に見つめる。髪の毛からふわりと家のシャンプーの香りが漂う。

「君たちって、どうやって子孫を増やすの?」
「しそん?」
「子どもだよ。」

 真珠には聞かれている意味がまったく分からないようだ。くるくるした子どものような瞳で俺に不思議そうな視線を向けたままだ。

「じゃあさ、君は誰から生まれたの?」
「…地球の泡から。」
「はあ?」

 真珠の髪の毛に触れてみて、その柔らかい感触を楽しんでいた俺は思わずすっとんきょうな声をあげてしまった。

「なんだ、それ?」
「地球の胎内の熱が海の底から小さな泡となって浮かび上がってくる場所があるんです。そこから生まれでた泡に命を吹き込まれると私たちは形となって、世の中に生まれでます。」
「…で?」
「死ぬと、私たちの身体は泡となって海に消えます。」

 じゃあ、人魚姫が海の泡となった、ってあれは本当だったのか?

「…じゃあ、今は?」
「今?」
「人間の身体を手に入れた今、は?」
「さあ…?」

 真珠は首を傾げた。

「試してみたことありませんから。」

 そりゃそうだ。…って、何を?

「死んでも海には還れないかも知れません。」
「いやいや…、死ぬことじゃなくて、子孫を作る方で良いんだけど。」
「どうすれば良いんですか?」

 純粋な瞳で真剣に問われて、俺は言葉に詰まった。

「いや、…今日はもう良いよ。」

 なんだか、気がそがれてしまった。
 こんなファンタジーを真剣に語り合っている俺も俺だが、なんだか、うまく煙に巻かれたような気がする。

 しかも、彼女はまったく嘘を言っているつもりはないようなのだ。実際、あの変態の様子を見ていなかったら俺も信じないところだが、それでも混乱を隠せない。

 人魚…って、なんだか、気の毒だな、なんて感じてしまっている。
 俺も相当毒されてしまったかも知れない。
 …まあ、良い。どうせ、この子はしばらくここにいるのだろうから。
 俺も、少しゆっくり考えてみよう。


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マーメイド・シンドローム 9 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 夏休み中、そうやって真珠は俺の家で暮らし、次第に家族のような雰囲気になっていった。

 真珠は必然的に家にいることが多いから、母の家事を手伝って仲良く過ごしている。なんか、複雑な気分だ。テレビを観て感動し、お風呂を嫌う。というのか熱いお湯を怖がるのだ。確かに海の水は冷たいからなぁ…。

 言葉はもともと不自由はしていなかったが、彼女はテレビからかなりいろんな情報を吸収し、教育番組を観て、字も少しずつ覚えているようだ。

 なんか、そうやって一生懸命な彼女の姿を見ていると、俺も勉強しなきゃ、と思える。

 ななだか、争うように本を読んでいる俺たちを見て、母は「真珠ちゃんのお陰で久継が勉強するようになったわ。」と喜んでいる。

 我ながら単純であることは否めない…。

「母さん、俺、今夜から釣りに行ってくるよ。」

 夏休みももう後半に入ったその日、昼食の席で俺は言い出した。真珠を連れ帰った日は、結局何も釣ってこなかったので、もう一度あの岩場で挑戦してみたくなったのだ。
 勉強とバイトばかりでは俺も息詰まる。気分転換も必要だ。

「良いけど、気をつけてね。」

 母は昼食の冷や麦をタレに浸しながら真珠の危なかしい手つきを心配そうに見つめている。真珠は、初め箸の使い方が分からなかった。母がなんとか教え込んで使えることは使えるようになったが、こういうつるつるした麺類は余計に苦戦するようだ。

 父も母も基本的に俺たち息子に対して、絶対ダメ!な一線を越えない限り、何かしたいという希望を押さえつけたことがない。大雑把なものだ。

「私も行って良いですか?」

 俺の言葉に反応して、真珠は、悪戦苦闘からふと顔をあげた。

「なんで?」

 町へ出かけるときも、大学の図書館へ行くときも、ついて行くと言い出したことがなかったので、俺はそうめんを口いっぱいにほうばったまま彼女を見つめた。

「海へいらっしゃるんじゃないんですか?」
「行くよ。…ああ、そうか、海だもんな。」

 俺はあっさり納得して頷いた。

「まあ、良いけど、俺は釣りに行くだけだから、面倒は見きれないよ?」
「大丈夫です。」

 真珠は嬉しそうに微笑む。

「この子の釣りはついていっても退屈よ?それとも、もう帰っちゃうの?」

 母が少し心配そうに真珠の顔を覗き込む。

「いいえ。ただ、久継さんについて行ってみたいだけです。」
「なんで?」

 幸せそうに笑う彼女の表情に本気で疑問を抱き、俺は素朴な質問を投げかける。

「そばにいたいですから。」
「町に行くときはついて来ないじゃん。」
「…だって、怖いですから。」

 見た目、どんなに可愛くて好みでも、正体が人魚だと分かっているから、俺は何を言われようとあまり動じなかった。まあ、ちょっと抱いてみたい気はするんだけどね…。
 
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マーメイド・シンドローム 10 

マーメイド・シンドローム(R-18)

「君、着替えとか用意しとかなくて良いのかい?」

 車に食料だとか釣りの道具だとかを積み込みながら、俺はぽうっと俺の様子を眺めているだけの真珠に呆れて声を掛ける。

「きがえ…」
「服だよ。ずっと同じ服着てるわけにはいかないだろ?汗かいたり、海のしぶきで濡れたりするだろうし。」
「…はい。」

 きょとん、としたままの表情だったが、彼女は自分の部屋へ戻っていった。母がはしゃいで買ってくれた服が沢山ある筈だった。

 中で、母が手伝って用意してくれたらしく、今度はこれでもか!という量の着替えをバッグに詰め込んできた。
 一体どんだけ、持ってきたんだよ…。

「…まあ、良いけど、ここに積んで?」

 俺は彼女のために場所を空けてやる。真珠は、よいしょ、という感じで重そうにバッグを車に詰め込んで微笑む。なんでそんなに嬉しそうなんだろう?と俺はちょっとその不躾にあけすけな彼女の笑顔から視線をそらした。

「じゃあ、出かけてくるよ。」

 俺は母親に向かって叫んだ。

「気をつけてね!」

 と母が言い、俺が、分かってるよ、と返事をしかけたら、久継に襲われないようにね、と家の中から母の声が聞こえた。

 真珠は、きょとん、と俺を見上げ、俺は一瞬絶句して彼女を見下ろしてしまった。
 息子の心配より、得体の知れない人魚の貞操の危機かい…。確かに、俺をよく分かってらっしゃるよ、母上殿。

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マーメイド・シンドローム 11 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 途中、高校時代の友人に会った。彼も車に釣り道具を積み込んでいる最中だったから、海釣りへ向かう算段らしい。

「おう、久継、どこの海?」

 平井健二という、その友人は俺の車を見つけて家の前から叫ぶ。窓を開け放していたので、その声はよく響いて、俺は車を止めた。彼は、俺と違って女なら誰でも良いタイプで途切れることなく常にいろんな子と噂があった。

 細面で目が少しきつい。それでも笑うと途端に可愛い顔になるので、女たちには人気があった。性格は、俺に言わせるとかなり横暴なのにそれを感じさせないずるさや子どもっぽさがある。許してしまいそうになる、というのか。

 彼も、名前の通り次男で、兄がいる。その兄も似たようなタイプだ。今はもう結婚して子どもがいる。というより、子どもが出来たので結婚した…らしい。

 彼とは特に親しい訳じゃない。まぁ、仲間が集まるとそのメンバーには名を連ねるが、話しがそんなに合う方ではないのだ。

 何故なら、こいつは主に女の話ばっかりしている。
 初めは付き合ってやるが、仕舞いにはどうでも良くね?と言いたくなる。それで、さり気なく他の友達と少しは建設的な話題に移っていく…というのがパターンだ。

 俺もけっこうひどいやつかなぁ。ただ、唯一、こいつは釣りもやる。それが共通の話題になっている。

「いつものところだよ。お前は?」
「俺は、今日は…」

 近寄ってきた彼は言い掛けて、俺の助手席の真珠を見つけ、目を丸くする。確かに俺は釣りに出かけるとき、自称ガールフレンドを連れて行ったことが未だかつてない。

「女連れ?」
「…ああ、そういうことになるのか。」
「いつ知り合ったんだよ?」
「ええと、いつだっけ?」

 俺が真珠の方を見ると、彼女はどこか怯えて俯いていた。あれ?とは思ったが、無理矢理話しをさせるつもりもなかったので、俺は適当に切り上げた。

「うん、この間、ちょっとね。」

 俯いていて、顔が見えなかったらしく、健二はわざわざ助手席側へ回り込んで彼女に話しかける。

「はじめまして、俺、久継の親友の健二です。君は?」
「いつ、親友になったんだよ。」

 呆れる俺の声にも、健二の声にも反応を示さず、真珠はおどおどと身を縮める。

「ねえ、彼女、名前なんていうのさ?」

 真珠の様子をそれほど意に介さず、健二は俺の方を見た。その目に、真珠に興味を抱いたというなんだかちょっと不快な色が浮かんだ。

「真珠。」
「へえ~っ。可愛い名前だね、君にぴったりじゃん。俺も、これから釣りに行くんだ。どう?俺の車に乗ってかない?」

 真珠がまったく無視しているのに、健二は少しもひるまない。
 いろいろ話しかけられ続けて、遂に、真珠は助けを求めるように俺を見上げた。その怯えて必死な瞳に、ほんの少し憐れみのようなものを感じる。

「この子はちょっと預かり物だから、また後でな。」

 俺はそんなことを適当に言って、車を出した。

「俺も、そっち行くから待ってろよ~。」

 健二は懲りずにそう叫んで手を振っていた。


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マーメイド・シンドローム 12 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 健二の気配が消えると、真珠は恐る恐るという感じで後ろを振り返り、彼の姿が見えなくなると、心底ほっとしたような表情をした。

 ふうん…、と俺は奇妙に感じる。
 人間なら誰でも良い訳じゃないんだな。

 助手席の彼女をちらりと見つめると、真珠はその視線に気付いて俺を見上げ、にこりとする。
 不意にどきりとして、俺は焦った。

 な…なんだってんだろう?

「海に帰れて嬉しい?」

 それで、俺は気をそらすために思わず真珠に話し掛けてみる。

「海を見られるのは嬉しいですけど、まだ帰りませんよ。」
「あ…ああ、そう。」

 俺は半分上の空だった。ただ、彼女の風になびく長い髪の揺れる様を視線の端に捉えていた。

「でも、ちょっと泳いでみても良いですか?」
「え?ああ、それは構わないけど…、君、水着なんて持ってた?」
「みずぎ?」
「そう。海に入る時に身につける服のようなもんだよ。」

 真珠は首を傾げる。

「君たち人魚はたぶん何も身につけないんだろうけど、人間界ではそうはいかないんだよ。」
「…では、その、みずぎを作れば良いんですか?」

 俺は笑う。

「そんなの作れないよ。その内買ってやるから、今日は泳ぐのはちょっと我慢して。」

 真珠は目に見えてがっかりした表情をした。

 まあ、確かに泳げなかったら真珠には退屈だろうな、とは思ったが、健二が追いかけてくるのは目に見えていたから、俺はちょっと気が気ではなかったのだ。悪いやつではないのだが、女に対してだらしないあいつの手の早さは有名だったし、何故か真珠はやつに怯えていたのだ。

 いや、別に真珠が俺の彼女ってわけでもないし、助ける義理もないんだけどね。
 第一、これは‘人魚’。人外の生き物だ。

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マーメイド・シンドローム 13 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 いつもの岩場に釣り場を選んで、釣りのセッティングしている横で、真珠は物珍しそうに俺にまつわりついていた。そこは、真珠を見つけた岩孔に通じる手前の大岩で、大抵、俺はそこで釣りをする。けっこう良いポイントなのだ。

 そう、あの日、何故ここを通り過ぎてわざわざあんな岩場に下りて行ったのか、俺にもその気まぐれの理由がよく分からない。

 遅れてやって来た健二は、俺の隣に場所を取り、何かというと真珠に話しかける。真珠も初めはイヤそうに避けていたが、次第に慣れてきたのか、少しは返事をするようになっていった。それで、俺はあとのことは彼ら自身に任すことにした。俺は魚を釣りに来たのであって、健二みたいに女を釣りに来たのでは、ない。

 ほぼ集中して釣りを始めてしまうと、雑音は雑音でしかなくなる。俺は、ただこうやってヒットの瞬間をぼうっと待っているのが嫌いではなかった。釣り竿を通して、釣り糸と海と俺は今つながっているのだ。覗いたって何も分からない海の中を指先で探っている。その地球との一体感のようなもの。

 潜っていたときとはまた違う海をなんとなく感じる。潜ることに限界はあるが、こうやって意識だけで捉えようとするときの海には限界がない。どこまでも深遠に意識を沿わせていくと、そこに漂う‘意識’を感じることがある。それは、魚たちの営み、海草の揺らめく様、或いは微生物たちの命の賛歌だろうか。

 それを捉えたと感じた瞬間の至福感を俺は愛する。
 そんな風に、釣りという行為は俺の中では神聖な儀式に相通じるものがある。
 しかし不意に、真珠の悲鳴で俺は現実に引き戻された。

「久継っ」

 振り返ると、健二が真珠のことを自分の車に連れ込もうとしていた。
 はあ…、とため息をついて、俺は釣り竿をその場に置いた。

 もみあっている二人に近づいて行くと、健二がそれに気付いてちょっときまり悪そうに笑う。真珠は、彼の腕を逃れて俺の胸にすがりついてきた。

「健二、別に俺は男女交際に関してとやかくは言わないが、無理強いはやめとけよ。」
「いや…、誘ったらここまで一緒に来たから、てっきり…」

 にやにや笑う彼に、真珠は本気で怯えているし、俺はなんだか面倒くさくなった。この二人に関わっていては、俺は釣りに集中出来やしない。

「浜辺に行っておいでよ、真珠。夕方までにここに戻ってくれば良いから。」

 俺がそう言って彼女の髪をなでると、真珠は俺を見上げ、こくんと頷いた。そして、えっ?と不思議そうな顔をしている健二の前をすり抜けて、彼女は俺たちですら知らないようなルートを取って、するすると岩場を下りて行った。

 それを目で追って、健二は慌てて彼女の消えた岩場を覗き込む。

「あの子って、この辺の子だったのかい?」

 真珠をすっかり見失ってしまったらしい彼は、呆気に取られて俺を振り返った。

「この辺…、まあ、そうだろうね。」

 俺は頭をかきながら釣りへ戻った。それを追いかけて健二はやってくる。

「おい、久継、あの子、お前の彼女とかじゃないんだろ?親戚か?」
「まさか。あんなのが親戚にいてたまるか!」
「でも、あの子、やけにお前に懐いているじゃん。」
「…なるほど。」

 なんだか妙に納得して俺は頷いた。そうか、捨て猫を拾って懐かれるのと似てるわ、確かに。

「すんげ~、可愛い子だよな!」

 はあ、と再度ため息をついて俺は友人を見つめる。

「騙されるなよ、あれは本当の姿じゃないんだから。」
「え?なんだよ、それ。」

 きょとん、と俺を見つめる彼に、俺は説明するのも面倒になって、いや、とだけ言ってまた視線を海に戻した。


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マーメイド・シンドローム 14 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 健二は、場所が変わると眠れない、というタイプの人間で、夕方まで適当に釣り糸を垂らし、そこそこ釣れると、真珠のことを気にしながらも帰って行った。すると、それをどこかで見ていたのか、真珠は彼の姿が消えた途端、俺の前に戻ってくる。

「海に帰ったんじゃなかったのか。」

 俺がそう声を掛けると、彼女はにこっと俺を見つめた。確かに懐かれるとどんな生物でも可愛いかな。
 夜中になって、釣具の片付けを済ませ、いつもの小屋に荷物を運び込むと、小さな荷物を抱えて真珠もとことこついてきた。

 釣った魚を調理して、持ってきたインスタントのご飯を温める。味噌汁も作る。母を手伝っているので、彼女も手伝い程度は出来るようになっていて、言われたことはこなしてくれる。味噌を溶き入れたり、温めたご飯を器に盛ったりと、真珠はなんだか楽しそうだ。

「君、随分、人間らしくなったじゃん。」
「良かった。」

 良いのか?

「いつまでいるの?いや、俺は別に良いんだけど。母さんもやたら喜んでるし。」

 真珠は、う~ん…と考えて、それには答えずにただにこりと俺を見上げた。

 よく分からないが、彼女の笑顔はそれだけですべてをなかったことにしてしまうくらい、なんでも許してしまうくらい純粋で綺麗だ。下心のようなイヤらしさがまったくない。

 真珠の笑顔は、宝石だ。それだけは本気で感じる。

「食べる、っていうのはもすごく大切なことですね。」
「うん?…ああ、そうなのか。君たちはあんまり食っていう概念がなかったんだもんな。」

 ええ、と頷いて、真珠は言った。

「珊瑚も魚も、貝もタコも、みんな何かを食べてそれを身体に同化させて生きている姿は知ってました。口と排泄器があって、取り込まれたモノが身体の一部として構成されていく。私たちは、本来、身体なんてあってないようなモノなので、‘命’を持たない限りは海との区別自体がありません。ミネラルを取り込む、という表現自体、本当は違うんです。だって、同じですから。私たちは‘海’そのものだから。」
「じゃあさ、海が汚れたりすると、君たちも大変だよね。」
「存在自体が、きっと、もうなくなります。」
「…壮絶だな。海の化身なのか。」
「‘命’を抱くと、‘魂’が生まれて、‘心’が働くんです。」
「へっ?」

 食事を始めながら、俺たちは話し続けた。

「魂と心って別物?」
「厳密にはよく分かりません。でも、魂がないと心は動きません。」
「そういう話題は俺には難しいなぁ。」

 真珠は少し誇らしそうな表情をした。俺に分からないことがあるのが嬉しいのだろうか。なんだか、その無邪気さがむしろ愛しいように思う。妹がいれば、こんな感じなのだろうか。

 いや。
 目の前にいるこの子は、決して‘妹’なんかじゃなかった。

 だって、俺は…。

 寝る支度をしようというときになって、俺ははっとする。

「そうだ、ここ、ベッドがひとつしかなかったんだ…。」

 あの夜は、俺は結局、俺は釣り道具をいじったりしている内にテーブルで少しウトウトした程度で眠らずに終わってしまっていた。しかし、今回は…。

 真珠はきょとん、と俺を見上げる。

「一緒に寝るかい?」

 俺が言うと、彼女は、にこっと頷いた。意味、分かってんの?こいつ…。


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マーメイド・シンドローム 15 

マーメイド・シンドローム(R-18)

「ヒトは、愛する相手にそれをどうやって伝えるんですか?」

 夕食の片付けを終え、インスタントコーヒーを飲んで、テーブルで向かい合っているとき、突然、真珠は言う。

「ず…随分、核心をついてきたね。」

 俺はコーヒーを吹き出しそうになった。しかし、真珠の目はとても真面目で、俺をからかっているとか試しているとか、そういう感じではなかった。それで、俺は仕方なくゆっくり考えて答えた。

「…そうだなあ、まず、愛してるって言うんじゃないの?言葉で。」
「じゃあ、言ってください。」

 真珠は嬉しそうに俺を見つめる。

「へっ?」
「言ってください、久継さん。」
「な…っ、なんで?」
「だって、そういうお約束だったじゃないですか。」
「…約束?」

 あまりにも真珠が期待に瞳を輝かせるので、俺も、まあ、良いかと思う。

「じゃあ…、愛してるよ、真珠。」

 適当に言うと、彼女は人魚のくせに、ムッとする。

「全然、感情がこもってないです。」

 面倒くさいやつ、と俺はため息をつく。

「じゃあ、こっちに来いよ。」

 言うと、真珠はテーブルをまわって俺の方にやってきた。俺は、ぐい、と彼女の腕を引いて驚いてよろけるその細い身体を不意に抱き寄せた。

「愛してるよ。」

 そして、真珠の目を見てそうささやくと、有無を言わさずその唇を奪った。
 真珠は、瞬間、驚いて目を見開き、固まってしまった。

「あのさあ…」

 俺は唇を離して腕の中の真珠を見下ろす。

「普通、目を閉じない?こういうとき。」
「そ…そうなの?」

 真珠はぎゅっと目を閉じる。
 う~ん…、それも、ちょっと違うような気がする。

 ‘妹’ではなくたって、この子は‘子ども’だ。むしろ、もっと幼い気がしてならない。

「…分かった、もう良いよ。」
 



 その夜は、一緒のベッドに入ったが、…それだけだった。真珠は、俺の腕の中で丸くなったかと思うと、あっというまに眠ってしまったのだ。それでも、抱こうと思えば抱けたが、なんだか、その無邪気な寝顔を見ているだけで、これはこれで良いか…という妙に穏やかな気持ちになったのだ。

 こんなに純粋な子は、いない。どこかちぐはぐで、おかしなことばかり言うけど、いつでもその瞳は真剣そのもので、必死だ。

 そして、さっき真珠が「やくそく」と発音したとき、俺は妙な気分に陥ったのだ。
 何故か分からない。約束だったじゃないですか、と言われ、ああ、そうだった、と感じたのだ。そんなわけないのに。


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マーメイド・シンドローム 16 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 翌朝早くに、健二はやって来た。

「おい。朝釣りしようぜっ」

 小屋の扉を勢い良く開けて入って来た彼は、久継と真珠が一緒に眠っている姿を目にして、一瞬、絶句して固まってしまった。

「…なんだよ、健二。やけに早いじゃないか…。」

 夜釣りが専門の俺は寝ぼけた顔のまま身体を起こした。真珠はまだ目を覚ます気配すらない。

「お前…お前…」
「なんだよ。」
「お前、彼女とは何でもない、って言ってたじゃないか。」
「え?…ああ、この子?何でもないよ。」

 今のところはね、と心で呟きながら、俺はベッドから下りて伸びをする。冷蔵庫へ向かい、水のボトルを取り出してそのまま口をつけて飲んだ。

「…抱いたのか?」

 なんだか、健二のらしくない表情がおかしくて、俺はちょっとからかってやろう、という気になってしまった。

「まあね。」

 飲み終わったボトルを、とん、とテーブルに置き、ふ~っと息をついて俺は椅子に座った。

「ど…どうだった?」
「何が?」
「彼女、処女だったのか?」

 相変わらず、本当に誰でも良いのか?こいつ…。俺は思わず、知るかよ、と言い掛けて、口を閉じた。

「俺にもちょっとやらせてくれないかな。」
「お前、この間の子はどうしたんだよ。」

 つい先日こいつを見かけたとき、一緒だった髪の茶色い小柄な女の子を思い出して俺は聞いた。

「ああ、フラれた。」
「なんで?」
「ん~…まぁ、価値観の相違っていうか。」
「お前と価値観合うやつなんているのか?」
「だから、ぴったり合う子を探してるんじゃないか。」
「…なるほど。」

 しかし、お前の価値観は下半身で量るのかよ?

「この子はよしとけ。」

 これだけ騒いでもくうくう寝息を立てている真珠を見下ろして俺は言った。

「なんでさ?やっぱり惜しくなったのか?」
「…そういうんじゃないんだけど、この子はお前に合わないよ。」
「そんなの分からないじゃないか。意外性ってのがあるんだぞ?」
「意外過ぎるのも考えもんだぞ。」
「はあ?」

 ようやく、真珠は目を開けた。そして、寝ぼけた顔で俺を見上げ、そして隣に立つ健二を見つけて、表情が強張った。

「おはよう、真珠ちゃん!どうだい?昨夜の久継は、良かったかい?」

 朝から、かっ飛ばすなぁ、こいつ…。
 俺は呆れて、もう何も言わず朝食の支度に取り掛かった。
 

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マーメイド・シンドローム 17 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 朝釣りに行こうと誘いにきた筈の健二は、結局、俺たちと朝食を共にし、仕掛けの準備をする俺を待って、そのまま小屋にいて一生懸命真珠を口説いていた。

 なるほど、簡単に落ちないから余計に必死になっているんだな、と俺は心の中で笑う。健二はかなりモテるタイプで、声を掛けると大抵の女の子はすぐに誘いに乗る。そういう設定に慣れているから、プライドが疼くのだろう。

 俺は、と言えば、もともとそれ程、女に執着がない。特に今回は真珠がまったく相手にもしていないのが丸見えなので、気にならないというのが正しい。

 だけど、視線の端の二人を見て、まったく心がざわつかなかったかと言われると、実は微妙だった。そのときは、自分でそれに気付かなかったのだが。

「真珠、泳いできて良いよ。人目につかないところでなら。」

 逃げ回っている彼女が少しかわいそうになって、俺は、健二がちょっと荷物を取りに車へ戻った隙にそう言った。
 真珠は、本気で疲れていたようで、頷いてそのまま岩場の向こうへ姿を消した。

「あれ、真珠ちゃんは?」
「泳ぎに行ったよ。」

 俺は準備を終えて荷物を抱えて立ち上がった。

「泳ぎ?おお、じゃ、麗しの水着姿でも見に行ってみようかな。どこで泳いでるんだ?」

 言葉の語尾にハートマークが付いていそうな声色で、健二はうきうきと言う。

「俺は知らないよ。あの子はこの辺、詳しいから、どこか穴場でもあるんじゃないの?」
「なんだよ、冷たいな。」
「いや、本当に知らないんだって。」

 不満そうな健二に俺は苦笑してみせた。だいたい、真珠はきっと丸裸で泳いでいるに違いないのだ。ちょっとその光景は困る。
 

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マーメイド・シンドローム 18 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 夕方まで、真珠は戻って来なかった。
 そろそろ帰ろうと考え始めた頃、ようやく俺は心配になってきた。

「俺、先に帰るわ~。真珠ちゃんも戻って来ないし。」
「あ?…ああ、気をつけてな。」

 女にはだらしないが、それ以外は素朴で単純な健二は、そう言って帰り支度を始めた。

「今度、またゆっくり彼女に会いに来るよ。」
「お前も、懲りないなぁ。」

 俺は半ば本気で呆れた。相手にされてないことが見え見えなのに。

「なんか、俺、あの子の雰囲気がすごく惹かれる。いや、本当だよ。俺、本気になったかも。」
「…え?」

 じゃ、と笑って去っていった健二を見送り、俺は不意に心中に複雑なものが湧き起こった。それをどう表現して良いのか分からない。何か、心の奥にもやもやしたような、いやひりひりした痛みというのか、そんな奇妙なものが貼りついたのだ。

 健二が帰ったら姿を現すだろう、と思っていたが、その日、真珠は夕暮れになっても戻って来なかった。太陽が海に沈む支度を整え、真っ赤な夕日となって海を染めても、真珠の姿はなかった。

「…真珠?いるのか?もう誰もいないから、戻っておいで。」

 俺は、真珠が消えた岩場の辺りに立って、海に向かって呼びかけてみた。

「おい、そろそろ帰るぞ?」

 波の音と、潮風のたなびく音だけが繰り返され、俺は不安になってきた。

「真珠?聞こえてないのか?俺、本当にもう帰るぞ?」

 段々、声は大きくなり、仕舞いに俺は彼女の名前を大声で叫んでいた。
しかし、遂に、夕日は海の彼方に姿を消し、辺りはうっすらと夕闇が下りてきた。どのくらい、俺はその場に佇んでいたのだろう?

 辺りが闇に包まれてしまう前に、片付けなければ、と俺は荷物をまとめ、それを抱えあげた。

「…小屋に戻って待ってみるか…。」

 俺は、独り言のように呟き、釣り道具と釣った魚を車に積み込み、身体ひとつで小屋へ戻る。一泊の予定だったから、食料はもうほとんどないし、水も用意していない。

 コーヒーを飲みながら、一人ぼうっと座っていると、なんだか段々腹が立ってきた。

 なんだって、俺は一人でこんなところにいなきゃならないのだ?と思う。そうだ、あの子は家に帰ったのかも知れないじゃないか。もともと、あっちの世界が本当なんだから。

 さっさと帰って着替えて釣った魚をさばいて母に食べさせてやりたかったし、観たいテレビもあった。
 ここで待つ必要なんてない。
 帰ろう。

 そう思って立ち上がりかけたとき、不意に小屋の扉が開いた。

「し…」

 真珠が、真っ赤に泣きはらした目で、俺に向かって飛びついてきた。

「ひどい、ひどいっ」
「な…っ、何が?」

 飛びつかれた勢いで、一瞬よろけながら、俺は何がなんだか分からなくて彼女の肩を抱いて言った。

「どうしたんだよ?どこにいたんだ、こんな時間まで。」
「どうして、待っててくれなかったの?ずっと探してたのに。ずっと待ってたのに。」
「はあぁ?」
「待っててくれると思ってたのに。」
「な…っ、何言ってるのさ?」

 真珠は顔をあげて俺をきっと見つめた。

「あそこに戻れば良いと思って、待ってたのに。」
「あそこって・・・釣り場?あんなとこ、いつまでもいられないだろ?もう、暗くなってきたし、今日は帰る予定でいたんだから。」
「そんなこと、聞いてない。だって、昨日は暗くなってもいたじゃない。」
「昨日は、泊まる予定だったから。・・・っていうか、なんで、君、さっさと帰って来なかったのさ?」

 真珠は、肩を震わせた。

「私は!イヤなの。久継さん以外、イヤなの!どうして助けてくれないの?」

 俺は、なんだか、ムッとしてしまった。何を言ってるんだ、と思った。俺にそんな義理はない。それに、誰のせいでこんなに帰りが遅くなったと思ってるんだ?

「君は、俺のなんでもないだろ?そんな言われ方される覚えはないよ。」
「愛してる、って言ったじゃない!」
「それは、君が言わせたんだろ?俺は、別に君を愛してるわけじゃない。」

 思わず言ってしまってから、俺ははっとした。彼女は大きく目を見開き、そして、ひどく驚いた瞳で俺を見上げた。その、悲しい色に俺の心臓は音を立てた。

「…愛して…ない?」

 俺は、どう答えて良いのか分からなくて、そして、その驚きとショックに茫然とした彼女の顔を見ていられなくて、一瞬、目をそらしてしまった。

 次の瞬間、ぱっと彼女は俺の腕からすり抜けて扉を開け、走り去っていく。

「真珠!」

 俺は叫んで、後を追った。

「真珠!待ってくれっ」

 しかし、駆けて行く彼女の姿はあっという間に闇に呑まれ、見失ってしまった。叫びながら暗闇に目をこらしても、もう彼女の姿はどこにも見えない。

「真珠っ」

 俺は、闇雲に走り回って、何かに足を取られてその場に転んだ。痛みに顔をしかめて身体を起こしたときには、周りには闇と静寂だけがしんと広がっていた。

 何故だか、俺はとても惨めな気持ちになった。
 …別に、俺は彼女を傷つけようと思ったんじゃない。
 それに、…だいたい、あれは本当のことだ。俺は、彼女を愛している訳じゃ…。

 不意に、彼女の甘えるような笑顔が浮かんだ。そして、愛してると言ってください、と嬉しそうに頬を染めたきらきらした瞳を。

「…どう言えば良かったのさ…。」

 俺は、誰にということなく呻く。

「俺は…。」

 俺は、彼女をどう思っていたんだろう?


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マーメイド・シンドローム 19 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 その夜、俺はその小屋で一晩を過ごし、彼女が帰ってくるのを待った。あの壊れかけたきいきい言う扉を不意にさっと開けていつも通りの子どものような笑顔で、何事もなかったかのように彼女が入ってくるのを。

 それまでほとんど考えもしなかったが、真珠は、その名の通り、いつでも決してぎらぎらし過ぎないつるりとした光沢を湛える真珠のような子だった。淡い色彩が辺りに満ちるように、彼女のいる空間をほんわりと彩り、母を微笑ませていた。

 俺は、その光景をそばで感じて、なんとなく幸せだった。
 穏やかな、春の日差しが、いつでもその二人を包んでいるような温かさがあった。

 彼女が抜けた穴は、ぽっかりと口を開けて、俺を覆っているような気がした。それは、きっと‘寂しい’と表現される暗闇だ。

 それまで満たされていたのだということを、欠けた瞬間に知った。




 真珠は、戻って来なかった。
 それが俺をこんなにがっかりさせることだと気付いた衝撃。

 あの子は、いつでも俺のそばに纏わりついて、いつでも俺を笑顔いっぱいの瞳で見上げてくれるものだと、どこかで自惚れていたのかも知れない。

 決していなくなってしまったりしないのだと。

 正体を知っているからとかではなくて、真珠はただ、俺を、俺だからと言ってそばにいてくれたのだ。その居心地良さの上に、俺は知らずにあぐらをかいていたのだろう。

 ほとんど一睡もせず、俺は彼女を待ったその小屋を後にし、車に乗り込んだ。バックミラーを確認し、周りを再度見回して、やはり真珠の姿はない、と思う。

 大事なものを置いたまま、俺は帰途に就いた。


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マーメイド・シンドローム 20 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 家に帰ると、母は、昨夜どうして帰って来なかったの?と聞く。そして、真珠の姿がないことに気付き、「あら?真珠ちゃんは?」と洗濯物を取り出しながら俺を見上げた。

「…いなくなった。」
「え?」
「もう、…真珠はいなくなったんだ。」
「どうして?」

 俺は、答えるのもイヤになって、無言で荷物を下ろし始めた。魚を積めたクーラーバッグと釣り道具とを黙々と下ろしながら、母が、背後で何か言いたげに佇む気配を感じ続けていた。

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マーメイド・シンドローム 21 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 その日の夕食に、釣ってきた魚を調理しながら、母はキッチンのテーブルでぼんやりテレビを観ている俺に、ぽつりと言った。

「真珠ちゃん、いつもあんたが町に出かけているとき、寂しそうにあんたの帰りを待ってたんだよ。」

 彼女が普通に家にいる間だったら、あ、そう、と聞き流していた筈のその言葉が、不意にちくりと俺の胸に突き刺さった。

「今回、ようやく一緒に出かけられるってんで、あの子、本当にはしゃいでたよ。」
「…ふうん。」

 心臓がずきずきした。テレビの賑やかなバラエティ番組は、もうただの雑音と化し、目の前をちらちらと流れ去っていく。

「覚えてる?」

 不意に、母は振り返って俺をにこっと見つめた。

「お前がまだ小学生・・・入学してた?入学前?いずれ、そんなちっちゃいとき、みんなで海水浴に行って、一日泳ぎまくった日のこと。」
「海水浴?」

 俺は、テレビから視線を外さず、どうでも良さそうにぼんやり聞き返した。

「そう。あの日、ものすごい綺麗に晴れた夏の日だったでしょう?」
「…それが?」
「思い出さない?」

 尚も、母はそう言い続ける。それで、俺はようやく母の顔を見た。そして、その晴れやかな笑顔の向こうに、青い空を見た気がした。

 そうだ、そんな日が確かにあった。
 俺はごく幼い頃から兄としょっちゅう海に行っていたから、海の光景なんて特に珍しいものでも印象深いものでもない。特に一人で海釣りに出るようになってからは、海は日常の延長線上の光景でしかない。

 だけど、あの日は、家族全員で何故か海水浴に出かけたのだった。

 ものすごい夏の太陽が鮮やかに照り付けて、岩場のしぶきも光を受けてキラキラしてて、なんだか分からないか俺は異様にはしゃいでいた。きっと、家族で海を訪れるってことがあんまりなかったからかも知れない。

 海水浴客もあんまりいなくて、その日は、海はとても広々していた。
 父も、兄も、その日は海水パンツを穿いて、海に潜ったり岩場まで競争したりと楽しそうだった。母は浜辺で白い帽子をかぶり、Tシャツ姿になって時々波打ち際で波と戯れていた。その光景は、皆、今より若くて、活気に満ちていて、きらきらしていた。

 その日、俺は覚えたばかりの素もぐりを何度も何度も、それこそ狂ったみたいに繰り返していた。息をつめてすとん、と海の中に潜り込み、ぐいぐい深海へと進んでいく。と言っても海水浴海岸の浅い海だったのだが、俺は何度も潜っては底に辿り着こうと夢中になっていた。

 そして、何度目かに潜ったとき、ずっと沖の方から、ものすごく綺麗な丸いものがふわふわ近づいてくるのを見たのだ。

 海の中にある宝石は‘しんじゅ’と言うんだぞ、と父が教えてくれた。兄が、貝殻の中に入っているんだ、とにこにこと言った。

 俺は、そのきらきら綺麗な丸いものをじっと目で追った。それはふらふらしながら水面へ向かっていて、俺は一旦海面に浮かぶとその方向へ夢中になって泳ぎだし、そして、再度海に潜ってみた。

 その丸いものは、まだ、あった。

「しんじゅ?」

 俺は思った。やった!宝石を見つけた!と俺は意気込んだ。それは、ふうわりと波間に浮かんできた。
 ふらふらしながら海面を漂うその丸いもの俺は必死に近づき、手の中にやっと収まりそうなシャボン玉みたいなそれを、俺はそっと両手で包み込んだ。顔を近づけて中を覗いてみた。そのとき、鼻と口が、その玉に触れ、触れた途端、それは弾けとんだ。

「あっ…!」

 と声をあげて、俺は驚いて固まった。
 次の瞬間、そこには小さな女の子がいたのだ。

 初め、目を閉じて膝を抱えるように丸くなっていたその子は、くるくる海面を回りながら次第にゆっくりと身体をほどいていった。そして、茫然とその様子を見ている俺に向かって、やがてぱっちりと目を開け、にこっと微笑んだ。

「…しんじゅ?」

 俺の見つけた真珠は、そういえばどこへ行ってしまったのだろう?俺はなんとなく、そんなことが脳裏を過ぎり、そう呟いていた。

 彼女は、尚もくるくる回りながら、時々俺を見つめてにこにこ微笑んだ。それで、俺はなんだか嬉しくなって、一緒に遊ぼうとその子に話しかけた。

「ねえ、一緒にもぐりっこしようよ。」

 その子は嬉しそうに目をキラキラさせて、すぽん、と海の底へと向かった。

「あ、待って!」

 俺は、彼女を追いかけた。かなり練習して早く潜れるようになったと思っていたのに、何故か彼女には全然叶わなかった。くそ!女に負けるなんて、と俺は夢中で彼女を追いかける。それでも、一向に差は縮まらず、俺は息苦しくなって水面に戻った。

 はあはあと息を切らしながら、水面を見渡すとすぐ近くに彼女がぽっかりと顔を上げて、不思議そうな顔をしている。

「ねえ、君、どうしてそんなにもぐるのが早いの?」

 彼女はにこっと笑って、再び、すぽん、と海へ潜っていく。ちきしょう!と俺は彼女を追いかけ、そして、あれ?と思った。あの女の子、魚の尻尾がついてる。

 その尾をひらひらと魚のように動かして、ぐいぐい潜っていくのだ。
 ずるい!あんなものがあったら、俺がかなうわけない!
 俺は、ムッとして水面に戻った。

 すると、ややあって、彼女はどうしたの?と言いたげな表情をして俺の隣に浮かんできた。

「君、ずるいよ。魚の尻尾があるんだもの。」

 俺が睨むと、彼女はころころと笑った。俺の周りをすいすいと周りながら、岩場の方を指差す。

「泳ぎっこ?良いよ、でも、君、半分魚なんだから、絶対勝つでしょ。」

 そう言いはしたが、ようし!という気になって、俺は一気に泳ぎだした。友人たちの中でも、俺は泳ぎはかなり得意な方だったのだ。

 岩場へ泳ぎ着き、俺はしぶきのあがるそこによじ登り、彼女の手を引いて上げてやった。並んで腰かけて、俺は彼女にいろいろ聞いてみた。

 名前は?とかどこから来たの?とか、その尻尾はどうしてあるの?とか、確かそんな素朴な質問だ。そのとき、明確な答えが返ってきたのかどうかよく覚えていない。ただ、俺はそのとき、新しい泳ぎの上手い子と知り合って、一緒に泳いだり潜ったり、海での時間を共有できたことに幸せだったのだ。

 一日中その子と遊んで、やがて、夕方になって別れるとき、俺は言ったような気がする。

「今度は、君が俺の家に遊びにおいでよ。待ってるから。いろんな玩具があるし、美味しいものもあるよ。あ、でもそのときは尻尾は外して来てね。一緒に駆けっことか出来ないから。」

 彼女はにこにこと俺の言葉を聞いていた。
 彼女がそのとき、何かを言ったかどうか覚えていない。ただ、純粋な、掛け値ない‘好意’だけが、二人の間に流れていた。

 俺は、はっとして、現実に帰ってきた。

「真珠…?」

 あれは、真珠、だったのか?

「あんた、あの日は、一日海から戻ってこなくて、帰りに‘真珠と遊んできた’ってばっかり言ってたよ。その子には尻尾があって、泳ぎももぐりっこもかなわなくて悔しかったって。」

 母は、笑ってそう言った。


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マーメイド・シンドローム 22 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 夜中にそっと、真珠が使っていた一階の和室を覗いてみた。

 たたまれた布団がそのまま置いてあって、彼女の服がハンガーに吊ったままになっている。そこに、ふと彼女の幻を見てしまう。あの、海で出会ったときそのままの純粋な笑顔で、きらきら光る瞳で。

 あのとき、俺は全身で君が好きだと伝えていたんだろう。
 それは、恋とかそういうものではなかったかも知れないが、あのとき感じた好意ほど強く純粋な想いはなかったというくらいの勢いで。

 だから。
 俺は、今まで付き合ってきたその辺の女の子たちのようには、真珠に簡単に手を出せなかったのだ。無意識の中で、幼い日の崇高な好意の中で、彼女の存在はずっと生きていた。犯しがたい神聖なものとして。



 
 その夜、夢をみた。

 真珠が、誰か男と歩いていた。その男の腕に腕を絡め、にこにこと相手を見上げている。その笑顔が眩しかった。真珠、と声を掛けてみても、彼女は俺の方を見なかった。

 代わりに男が、怪訝そうに俺の方を振り返った。

「健二?」

 俺は、そいつに叫んだ。
 いや、その男が本当に健二だったのか分からない。しかし、彼は俺を侮蔑的な目で一瞥すると、何も言わずにふいと前を見て、そして、真珠の肩を抱き寄せた。

 真珠は後ろ姿で、彼に甘えていた。
 その途端、今まで感じたことのないどす黒いものが湧きあがってくる。その闇に翻弄されながら、俺は彼女に近づこうともがく。

 苦しくて、二人が憎らしくて、俺は自分の感情に愕然とした。

「真珠!」

 たまらず、俺は叫んだ。 
 二人はゆっくりと歩いていく。俺から遠ざかっていく。そして、最後に真珠の足はぼやけ始め、うろこが綺麗に光りだした。

「真珠、ダメだ!足が…っ」

 俺は慌てて駆け出した。見つかってしまう!彼女が人間じゃなかったことがバレてしまう!
 何かにつまずいて転びそうになり、一瞬、世界は暗転する。

 次の瞬間、水槽に閉じ込められた真珠が何かを必死に訴えている姿が目に入った。
 助けて、と口が動いている。

「待ってろ、真珠!今出してやる!」

 俺は、ガラスを叩く。体当たりをする。でもガラスは割れない。狭い水槽の中で、真珠は苦しそうだ。

「しっかりしろ!今すぐ出してやるから!」

 叫んでも、彼女には届かない。水槽の中で彼女はもがく。苦しそうに顔を歪める。
 そうか、人の姿でいるとき、彼女は水中で呼吸が出来ないのだ。

「真珠!」

 はっと気付くと彼女は虚ろな瞳でふらふらと水中を漂っている。

「真珠~っ!!!」

 俺は、自分の叫びではっと身体を起こした。一瞬、ここがどこなのか分からなかった。はあはあと肩で息をしながらゆっくりと辺りを見回し、夢だったのか、と思う。

 いつまでも、彼女の苦痛の表情が消えなかった。

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マーメイド・シンドローム 23 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 いつもと同じ朝が開けた。
 しかし、俺の心は、もう真珠と出会う前にリセットすることは出来なかった。

 今、やっと、知った。
 出会ったとき、どうして彼女を助けようとしたのか。厄介ごとが大嫌いで、他人なんてどうでも良くて、斜めから人生を眺め、なるべく人と関わらずに生きていきたかった俺なのに。

 いや、本当は俺は誰かとこんなにも関わりたくて、俺を必要としてくれる存在が欲しくて。



 俺は、…真珠が、好きだったんだ。



 その日一日、夢が頭から離れなかった。

 何をしていても、常に真珠のことを考えていた。いったい、今、どこでどうしているんだろう?変な男に捕まったりしていないだろうか?或いは、正体がバレて、あの夢のようにどこかに閉じ込められているのではないだろうか?

 それとも、と俺は思う。

 海へ、帰ったのだろうか。
 もう、俺に失望した彼女は、人間というものに絶望した彼女は、人魚に戻ってしまったのだろうか?
 それなら、良い。海へ帰れたのなら。

 だけど、もし、誰かに捕まったり、事故に遭ったり、そんなことになっていたら…。それは、間違いなく俺のせいだ。

 俺を頼って人間界を訪ねてきたのに、守れなかったら、それは…。
 そこまで考えて、俺は自分の心の矛盾に気付く。
 守れなかった責任?無事に帰っていたらそれで良い?
 正体がバレて見世物にされていたり、どこかに閉じ込められていることを心配している?

 違う。
 そんなこと、本当はこれっぽっちも思ってやしない。
 違うのだ。俺は…。

 俺はただ、もう一度真珠に会いたい。もう一度、あの屈託のない笑顔を見たい。「愛してると言ってください」と俺に、俺だけに甘えてみせたあの熱い瞳を独り占めしたい。ふわふわと柔らかかった細い身体をこの腕に抱きしめたい。

 本当の望みは、それだけなのだ。


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マーメイド・シンドローム 24 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 夕方になって、俺はふらふらと表へ出た。どこへ行こうという当てがあった訳でも、何をしようと思った訳でもない。いや、どこかで真珠を探していたのかも知れない。

 車に乗って、知らず知らずに海へ向かっていた。
 真珠と出会ったあの海小屋へ向かう道を。

 なんとなく、健二の家の様子を覗い、付近の様子を覗い、次第に辺りが薄闇に包まれる頃、俺は海小屋に着いた。車を降りて、明かりのついていない暗い小屋の戸を開ける。人の気配を探ってみるが、そんなものはなかった。

 俺はとぼとぼと海へ向かう道を歩き、あの崖まで降りてみた。

 真珠が薬を飲んだ、あの岩場へ降り立つ。そこに立って海を見つめると、不意に寂しさがこみ上げてきた。
 いくつもの真珠の表情が浮かんだ。

 俺の言葉に凍り付いて怯えた彼女の顔、俺が名乗ったときの奇妙な表情、キスしたときの驚いて固まった幼い顔。真珠は、俺が幼い頃に出会ったときのまま、姿は大人になってもその心はまったく無垢な少女のままだった。

 それに比べて、俺はスレた大人になってしまっていた。世の中をひねて見つめ、感動を忘れ、人を信じることを諦めていた。

 真珠は、そんな俺をそれでも一生懸命愛そうとしてくれたのだろうか。
 思い出して欲しかったのだろうか。
 二人が交わしたかけがえのない‘やくそく’を。




 辺りが闇に沈むまで、俺はそこに佇み、そして、引き返した。
 もうすぐ後期の授業が始まる。
 ひと夏の‘奇跡’は、終わりを告げようとしていた。



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マーメイド・シンドローム 25 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 そのまま家に帰る気にならなかった。

 いつでも、真珠が俺の帰りを待っていてくれたこの夏。それが当たり前になって、うっとうしいのと同時にとても温かかった。

 いつも、いつでも、真珠は俺を待っていて、俺が「ただいまあ・・・」と玄関を入ると、どこにいても飛び出してきて、にこにこと俺を迎えた。

「おう、真珠、良い子にしてたかぁ?」

 と、俺も拾った子犬の頭を撫でるように、彼女のふわふわの髪の毛を撫でた。

 そうすると、真珠は今日は母と何を作っただの、庭の何が実っただの、俺に纏わりつき、一生懸命話しかけてくる。いつも俺は彼女の話を半分しか聞いてないのに、真珠は俺がそこにいるだけでいつも嬉しそうだった。

 その空気を、当たり前に思っていた。
 真珠が本当に一生懸命伝えようとしてくれていたことを、俺は何一つ受け取ろうとしていなかったのだ。
 



 もう、あの家に真珠はいない。帰っても俺の帰りを喜んで迎えてくれる人はいないのだ。
 もう、彼女は戻ってこない。
 もう…。




 ヒトはどうして、失ってからでないと、大切なものに気付かないんだろう・・・。


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マーメイド・シンドローム 26 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 それでも、他に行くところもなくて、俺は結局夜中近くになって家に戻った。母に文句を言われるかな、と思ったが、もう、何もかも面倒でどうでも良かった。それに、俺の母親は知らない振りをしながら俺の行動の意味を何気に理解している。放っておいてくれそうな気も、した。

 ただいまも言わず、玄関を入って、大きなため息をつき、そのままそこに佇んだ。
 玄関の明かりがまだついていた。

 そして、人の気配に気付いて顔を上げた途端、何かが俺に飛びついてきた。
 え?ネコ?
 と一瞬、本気で思った。しかし、それは俺の首に腕を回して抱きついてきたかと思うと、次の瞬間、わんわん声を上げて泣き始めたのだ。

「え?…あれ?えっ?…真珠???」

 よろけそうになりながら、見覚えのある髪の毛と、その小さな頭を抱いて、俺は茫然としてしまった。

「ひどいっ!どうして、置いて帰っちゃったの?ひどい~っ!!!」
「だ…だって、…え?…」

 帰ってこなかったのは、勝手に消えてしまったのは、君の方じゃないか、と喉元まで出かかった言葉を俺は飲みこんだ。

「…ごめん。」

 泣きじゃくる真珠の身体を抱きしめて、俺は言った。

「ごめん、真珠。本当にごめん。俺が悪かった。君を傷つけた。…ごめんよ。」

 すると、次第にすすり泣きに変わった彼女は、やっと顔をあげて俺を見上げた。そして、小さく首を振った。

「…違う。本当は私が、悪いんです。」
「違うよ、悪かったのは俺だ。信じてなかったのは、忘れてしまっていたのは、俺の方だ。俺は…」

 真珠は、涙で濡れた瞳で俺をじっと見つめたまま動かなかった。

「俺は、君を愛しているよ。」

 一瞬、大きく目を見開いた真珠は、やがてゆっくりと瞳を閉じた。


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マーメイド・シンドローム 27 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 玄関先での騒ぎを奥で聞いていたらしい母は、どこか赤い目をして出て来た。

「真珠ちゃんは、もう夕飯も済ませてお風呂にも入ってもらったから、もう休ませてあげなさい。あちこち迷いながら歩いてここまで辿り着いて、とても疲れているだろうから。」

 母の言葉に、俺は「え?」と真珠を見下ろすと、彼女はちょっと俺を睨みつけて頷いた。
 歩いて、帰ってきた?本当に猫みたいだ…。
 俺はほっとしたのと気が抜けたのとで、思わず笑い出しそうになった。

「よく、無事に戻ってきたね。」
「無事じゃなかったです。何度も車に轢かれそうになったし、犬に吠えられたし、いろんな人に怒られたし、転んで怪我もした!」

 真珠は、そう言って俺の胸に顔をうずめた。

「ごめん。」

 俺は彼女の肩を抱いたまま、片手でなんとか靴を脱いで家にあがる。

「でも、俺だって、あそこでずっと待ってたんだよ。」
「でも、私を置いて帰っちゃった!」
「…ごめん。」

 もう、戻ってこないと思ったんだ、と俺はそう言葉にして考えた途端、ずきんと心臓が音を立てた。母はもう二階へ引き上げていき、その場には俺と真珠だけが取り残された。
 真珠は、まだ何か言いたいことがありそうな瞳で俺を見上げ、しがみついていた手をゆっくりと離した。

「本当は、海へ還ろうかと、思いました。だけど、最後にもう一度だけ、確かめたくて…。」
「確かめる?」

 真珠は頷いた。

「‘やくそく’を。」
「‘やくそく’?」

 言葉で交わしたものではない、幼い日の‘やくそく’。それは、きっと「君が大好き」「もっと一緒にいたい」「もう一度必ず会おう」そういった類の‘想い’のカケラだったろう。

「…抱いて、良い?」

 すべての想いを込めて、俺は聞いた。
 すると真珠はちょっと首を傾げる仕草をして、そして、頷いた。


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マーメイド・シンドローム 28 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 人魚を抱くことなんて、考えたことはなかった。
 俺の人生にそんなことが起こるなんて。

 人魚って、哺乳類?魚類?あ、でも触れるとあったかいから、恒温動物なんだな。そうか、あれだ、クジラとかイルカと同じ?…いや、待てよ?人魚って、実はマナティだったっけ?

 妙に冷静にそんなことを考えながらも、俺は丁寧に彼女の身体を愛撫する。髪の毛を梳くように撫でおろし、その頬を両手で包みこんだ。白い肌。伝説の人魚姫さながらに。

 真珠は、確かに人間ではなかったようだ。
 俺の聞いた意味をまったく理解していなかったようなのだ。

 服を脱がせようとしたら本気で不思議そうな顔をされ、胸を触ってもキスしても、特にイヤがりはしなかったが、性感帯が人間と違うのかも知れない、という感じがあった。

 敏感なのは背筋とお尻と・・・特に下半身だった。足の指先もふくらはぎも、ひどくくすぐったがる。なるほど、普段うろこで覆われている部分が弱いんだ。

 それが分かったら俺は執拗に足を責める。初め、くすくす笑っていた彼女は次第に甘い喘ぎ声をあげるようになってきた。

 よく見ると手足に小さな擦り傷がたくさんあって、確かに苦労してここに辿り着いたんだな、と分かった。そう思ったら、余計に愛しくなった。

 丁寧に全身を愛撫していきながら、俺は、小さく痙攣する真珠の白い肌に紅い花を散らせていく。刻み込むように、何度も。

 そして、何をされるのかよく分かっていない彼女の両足を持ち上げて、驚いて暴れても逃げられないようにしっかり腰を抱いたまま、ゆっくりと中に侵入していった。

「…あっ?…」

 案の定、真珠は声をあげて目を見開いた。
 もがいて暴れるかと思ったが、彼女は、ただ必死に耐えていた。

「んっ…あ、あ、あ…」

 震える彼女の身体を抱きしめる。抱き寄せた勢いで奥へ到達し、真珠は背をのけぞらせた。

「耐えられる?」

 耳元にささやくと、真珠は、目を閉じたまま、必死にこくこくと頷いた。




 なんだろう?それまで、人魚だから…と冷めていたものが、どうでも良くなった。
 今、ここにいるのはただ俺が愛する人だと思えた。

 異種間で本当にうまく生きていけるのか、この先も一緒の時間を過ごしていけるのか、分からない。人魚はもしかして年を取らないのかも知れないし、死なないのかも知れない。

 或いは、かぐや姫のように向こうの世界から迎えが来るのかも知れない。

 それでも。
 この一瞬だけは二人は間違いなくひとつで、誰よりもお互いを深く感じて、ただ求め合っていた。永遠の刹那を信じていた。


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マーメイド・シンドローム 29 

マーメイド・シンドローム(R-18)

 真夜中を過ぎて、ふと目覚めた俺は、隣に眠る真珠の寝顔を月明かりに見つめ、そして、彼女の純粋な魂に敬意を表する。

 どうして、信じることが出来るのだろう?
 あんな遠い日のやくそくを。

 そして、どうして人はそういうものをどんどん忘れてしまうんだろう?
 本当は御伽噺だってすぐそこに普通に存在することを、それを見つけられる子どもの心を見ない振りをして。




 喉が渇いて俺はキッチンへ行き、グラスにジュースを注いでごくごくと飲み干す。そして、ふと庭に人の気配を感じてぎょっとする。

「まさか…泥棒?」

 そうっと窓の外を覗くと、母が立っていた。何をしているんだろう?と思ったが、何故か俺はそのとき、気軽に声を掛けるのがはばかられた。

 母は、月をうっとりと見上げているように見えた。
 下弦の月がぼうっと光りながら空を駆けていく瞬間。
 俺は、キッチンの扉から外へ出てみた。

「あら、どうしたの?」

 母は気配に気付き、俺を振り返る。さきほど、月に照らされて白く浮かんでいた母の姿はひどく幻想的だった。しかし、振り返った彼女はいつもの母の顔に戻っていた。

「うん、泥棒でもいるのかと思って。」
「そんな大きな音がした?」
「いや、窓から人の姿が見えただけ。」
「なんだ。」

 母は、再び月を見上げる。

「母さん、まさかかぐや姫だったなんて言わないでね。」

 俺も月を見上げてみる。白い光を放つ半分だけの月を。何、言ってるの?と呆れるのかと思っていたのに、母は、ふと黙り込んだ。

「…え?まさか、でしょ?」
「かぐや姫じゃないけど、母さんも、真珠ちゃんと同じよ。」
「…はああ???」

 母は、にこっと俺を見つめた。

「母さんも、海の泡から生まれてきたのよ。そして、父さんに命を吹き込まれて人魚になって、今は人になってここにいる。」
「ちょ…っ、ちょっと待ってよ。俺、人魚から生まれたの?」
「まさか。だから、今は人になったんだって。」
「え???全然、話しが見えないんですけど。いったい、何がどうなってんの?父さんは知ってるの?」
「当たり前じゃない。」

 母は笑った。

「みんなで海に行ったあの唯一の日。あの日、人魚が生まれる日だったのよ。うまくその泡に出会えた人だけが、人魚に命を与えられる。それをお前がやってのけるとは思わなかったけど。」

 俺は、あまりの展開に茫然とする。
 どおりで、初めに真珠を連れてきたあの日、真珠が人魚なんだと言っても動じなかった訳だ…。
 バカみたいな話しでも、実際、自分が体験しているから俺には笑い飛ばすことも出来やしない。

「…真珠は、母さんのこと、知ってたの?」
「ううん。初めはもちろん知らなかったよ。…今日、あの子を探しに行って、そのときに話した。だから、帰っておいでって。」
「え???母さんが迎えに行ったの?真珠を?」

 母は頷いた。

「そうしないと、真珠ちゃんは、もう海へ還ろうとしていたから。」

 母の横顔に、俺はぞっとした。海へ還る…。

「海へ還るって…どういうことなの?」
「帰宅の帰るとは違うのよ。人魚は想いを遂げられなかったら、海の泡になって文字通り海の一部に戻ってしまう。人魚姫の物語、知ってるでしょ?」

 俺は愕然とする。

「人魚はね、ヒトに命を与えられて、その人に恋をするの。そして、その想いが遂げられなかったら、また海に還るのよ。」
「海へ…。」

 つまり、海の一部として永遠に漂う。意志も心も失って。それが哀しいことなのか分からない。だけど、人魚は生まれる。生まれて、ヒトに恋をする。その時間は永遠の中に置いては刹那と変わらないだろう。それでも、地上で笑うことがある。喜びを噛み締めることがある。

 真珠は…そこまで、思いつめていたのだ。

「俺…彼女にひどいことを…。」
「だったら、これからは大事にしてあげて。あの子を。」

 母は微笑んだ。


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